EXHIBITIONS
ジョナス・メカス展
2019年に惜しまれながら逝去した、前衛的な自主映画の伝道者ジョナス・メカス。ときの忘れものでは、「追悼 ジョナス・メカス上映会」を開催し、その死を悼んだ。今回は写真と版画作品に焦点を当てた展示を行う。
メカスは1922年リトアニア生まれ。ソ連に次いでナチス・ドイツがリトアニアを占領し、強制収容所に送られるが、45年収容所を脱走。難民キャンプを転々とし、49年アメリカに亡命し、16ミリカメラで自分の周りの日常を日記のように撮り始める。65年『営倉』がヴェネチア映画祭で最優秀賞を受賞。89年、ニューヨークにアンソロジー・フィルム・アーカイヴズを設立する。
83年に初来日。メカスは映像を志す人々にとって遠い存在のような人物だが、前衛映画の蒐集保存のための美術館建設計画を進めていた頃は資金不足に苦しんでいた。それを助けようと、現代版画センターがメカスを日本に招き、初めての版画7点を制作。これをきっかけに縁を結び、2005年にはときの忘れものでの4度目の個展のために来日した。
本展では、ときの忘れもののためにメカスが手がけた写真や初期の版画作品約20点を紹介。ギャラリー(予約制)とウェブサイトにて公開する。
メカスは1922年リトアニア生まれ。ソ連に次いでナチス・ドイツがリトアニアを占領し、強制収容所に送られるが、45年収容所を脱走。難民キャンプを転々とし、49年アメリカに亡命し、16ミリカメラで自分の周りの日常を日記のように撮り始める。65年『営倉』がヴェネチア映画祭で最優秀賞を受賞。89年、ニューヨークにアンソロジー・フィルム・アーカイヴズを設立する。
83年に初来日。メカスは映像を志す人々にとって遠い存在のような人物だが、前衛映画の蒐集保存のための美術館建設計画を進めていた頃は資金不足に苦しんでいた。それを助けようと、現代版画センターがメカスを日本に招き、初めての版画7点を制作。これをきっかけに縁を結び、2005年にはときの忘れものでの4度目の個展のために来日した。
本展では、ときの忘れもののためにメカスが手がけた写真や初期の版画作品約20点を紹介。ギャラリー(予約制)とウェブサイトにて公開する。