「TRANS, E BASTA. (トランス、それだけ!)」。スコットランド、タイムスパンの事例から見るトランスジェンダーの権利の現在地
スコットランドのハイランド地方にある小さな村ヘルムズデールの公共文化施設「タイムスパン」で、4月8日、9日に週末イベント「Ēastre Weekend」が開催された。そのなかで、トランス運動家で作家のポルポラ・マルカシアーノをフィーチャーした初の写真集『Porpora』の出版記念を軸としたイベントが行われた。このイベントの様子をスコットランド在住のキュレーター・メイボン尚子がレポート。同地における「トランスジェンダーにまつわる権利」の現在地について論じる。
天気に恵まれた4月8日、9日の土日、スコットランドのハイランド地方に向かった。800人弱が暮らす小さな村、ヘルムズデールにある公共文化施設タイムスパンで「Ēastre Weekend(イースター・ウィークエンド)」に参加するためだ。異教徒アングロサクソンの、暁・春・豊穣・再生・嵐の女神「Ēastre」にちなんで名付けられたこの週末プログラムは、写真家リナ・パルロッタによる、トランス運動家で作家のポルポラ・マルカシアーノをフィーチャーした初の写真集『Porpora』(*1)の出版記念を軸に、トーク、読書会、パフォーマンス、上映会、コミュニティランチなどを通じ、移行・抵抗・コミュニティ・祝福・愛情を経験するものだった。
写真集『Porpora』出版記念トーク
1日目は『Porpora』出版記念トークでスタート。イタリアから駆けつけたリナ、ポルポラ、ミケル・ベルトリノ(本写真集キュレーター)に対して、グラスゴー大学博士課程の研究者ソフィ・セクソンが質問を投げかけながら『Porpora』を紐解いていく。
90年代初頭からポルポラを撮り続けてきたリナは、ドキュメンタリー写真家としての自身のアプローチを「ポルポラをトランスの代表か何かとして扱うのではなく、周縁化を規定するカテゴリーの背後にいる人物を見せること」と説明した。「友情のおかげでプライベートな時間に触れることができた」と言う通り、リナの写真には70年代からトランスジェンダーやセックスワーカーの権利のため矢面に立ち続ける戦士としてのポルポラだけでなく、部屋着で無防備に寝そべったり、旅先で散歩したりするひとりの女性が写る。
撮られる主体としての自分をいま再び見ることについて問われたポルポラは「自分は主体であり客体。これらを分かつものは曖昧で、交替可能だと感じている」「リナと私の関係性も曖昧で、私が写っていたとしてもリナの個性が浮かんでくる写真もある。50年の友情にはいろんな瞬間があった。美しいとき。最悪のとき。写真はそういうものをとらえているいっぽうで、自分の体が通過してきた、そしていま現在も通過している、変化や移行もとらえている」と答えた。
『Porpora』は3つのパートからなる。写真、テキスト、そしてアーカイヴ。アーカイヴは、リナとポルポラの友情にそって、過去50年間にイタリアやニューヨークなどで起こったトランスの権利運動が、写真、ポスター、新聞の切り抜きなどとともに紹介される。印象的なのは、資料が歴史年表のように年代順には並んでいないことだ。ミケルは、資料を「死んでいるものではなく、あくまで生きているもの」として扱うため、そして「いったいこれまで誰の手によってアーカイヴは取捨選択され、歴史として編纂されてきたのか」を実践を通して問うためにも、複数の関係が織り交ざるそれらの集合的なプロセスの断片を「別の系列」で構成したと語った。それは「バラバラに見える出来事がじつは複雑に絡まりあっている」という関係性を浮かび上がらせ、議論を誘発するような「ある世界の見方」として組まれている。なかでもポルポラが芸術監督を務め、2021年12月にボローニャで開催されたトランス経験の描写と表現に特化した映画祭「Divergenti(分岐するの意)」の宣伝コピー、「TRANS, E BASTA.(トランス、それだけ!)」は短くもすべてを語り尽くしているように思えた。
最初にリナがたくさんの写真を見せ「いずれは本にしたいと思っている」と言ったとき、リナやポルポラよりも若い世代のキュレーターで研究者のミケルは「本にすべき。例えば国や市から助成金をとって……」と提案した。リナは即座に「ないない。国や市がトランスのためにお金なんて出すはずがない」と言ったそう。そうしたら本当に助成金がとれて本の出版が可能になった。「だからミケルは天使。まあ天使はときに悪魔でもあるけど」とリナは観客を笑わせたが、このエピソードは、リナやポルポラがトランス運動に関わり始めた時代から物事が少しずつ変化していることを示すいっぽうで、世代を超えた協働の有益さを示す好例だと思った。