建築の「可能性」を照射。砂山太一評 「インポッシブル・アーキテクチャー もうひとつの建築史」展
約40人の建築家・美術家による、20世紀以降のアンビルト(未完)建築に焦点を当てた建築展が国内を巡回中だ。建築の不可能性に着目することで、その潜在力を考察する本展を、建築家・美術家の砂山太一がレビューする。
不可能性の所在
埼玉県立近代美術館で2月から3月まで開催された「インポッシブル・アーキテクチャー」展は、現在開催中の新潟市美術館をはじめ広島市現代美術館を巡回し、1年間をかけて大阪の国立国際美術館に至る。東京オリンピックが訪れる直前に、東京を除いた日本の各都市を巡る展覧会。本展は建築における不可能性を問う展覧会である。そして、本展カタログにおいても企画者が言表している通り(*1)、その中心には国際コンペで一等を獲得し、日本におけるトップクラスの設計・エンジニアリング会社らによって実施計画がすすめられ、あとは建設を待つだけの状態だったにもかかわらず白紙撤回となったザハ・ハディド・アーキテクツ+設計JVの「新国立競技場」(2013)が、不可能性の象徴として扱われている。
「実現を前提としない」や「建てることができなかった」インポッシブルな(不可能な)建築計画は一般的にアンビルトと称される。「実現を前提としない」は主に、建築の概念的側面により原理的に漸近するため、建設などの物理的な要件をいったん度外視して設計されるタイプのもので、ここでは建築計画の思想や理念、批評性が審議される。また、先進的な設計・建設技術の基礎研究的アプローチやその概念実証を提示するタイプ、つまり現行法規では建設不可能だが建築技術の革新性に訴求するものも広義の「実現を前提としない」に属するだろう。そして、「建てることができなかった」は建てることを前提としながらも、政治的・経済的な事由から実現することができなかったプロジェクトなどを指す。実現不可能性ではなく実現の不成立の意味に近い。しかし、建築計画において実現の不成立はどこにでもあることで、アンビルトとしての意味を持つには不成立の経緯における社会性および計画の革新性や批評性が重要であろう。
ところで、このようなアンビルトの建築作品は、日本において紹介されることがあまり多くない。事実、日本で行われたアンビルト系の展覧会は、監修の五十嵐太郎が本展カタログでも取り上げている「アーキラボ 建築・都市・アートの新たな実験 1950-2005」(2004)を最後として10年以上まとまったものがなかった。「アーキラボ」展では、アンビルトではなくエクスペリメンタル(実験的)と称され、フランスのオルレアン市にあるFRACセンターが所有する資料や模型が提示されていた。フランスの作品を中心としながらも、戦後から20世紀後半における建築と都市、アートを巡る実験的な作品や、そして21世紀初頭のコンピュータ活用を展望するプロジェクトまでが、歴史資料としての価値を担保するべく総覧的に並べられた。
「インポッシブル・アーキテクチャー」展に寄せられる期待も、日本で触れる機会があまりないアンビルト作品を総覧的に知ることがあるだろう。そしてこの期待に応えるように、本展ではヨナ・フリードマン、セドリック・プライスなどアンビルトを抑えるための主要な作品が並ぶ。いっぽうで、この展覧会の独自性として、国際的なアンビルトの文脈にたいして、日本の分離派建築会や荒川修作+マドリン・ギンズ、タイガー立石とエットーレ・ソットサスの関係などが接続されていることが指摘できる。企画の建畠晢が「私たちの想像力を注ぐことによってのみ立ち上がる反歴史主義的なコンテクスト」というように、一見不連続な陳列から鑑賞者の類推によって立ち上がる隠された物語が、この展示企画の本懐であろう。
アンビルトのプロジェクトがもつ批評性や先進性は、まだ見ぬ未来の萌芽やヴィジョンの提示など、ユートピア的な語り口を用いられることが多い。しかし、インポッシブルと銘打つ本展には、むしろ「建てることができなかった」ことの現実性を争点とし、建築と社会・政治のありかたを同時代的にあぶり出そうとする批評精神が漂う。例えば、藤本壮介や村田豊、川喜田煉七郎らの日本人による海外の国際設計競技案や、日本の戦後コンペ史に残る磯崎新や菊竹清訓などの設計競技案がアンビルト作品の並びに紛れ込み、「新国立競技場」に至る本展の構成のなかに、現代日本特有の「建たなさ」を顕在化させようとする意識が浮かび上がる。
バグダードで生まれ、ロンドンで活動したザハ・ハディド。彼女は1972年から77年にかけロンドンの英国建築協会付属建築学校(以下AA) にて学ぶ。彼女の通ったその時期のAAは、まさに実験的かつ理論的に建築概念を構築する機運がピークであり、本展でも取り扱われているピーター・クック(アーキグラム)やレム・コールハース(OMA)などを中心として、それまでとは異なった建築表現や主題の模索、近代主義の乗り越えが画策されていた。レム・コールハースの影響を強く受けていると言われるザハのAA卒業制作は「マレーヴィッチのテクトニクス」と題される。ザハは、建築理論研究者のマーク・ウィグリーなどによって提唱された脱構築主義として形容される機会が多いが、20世紀初頭のロシア構成主義の作家カジミール・マレーヴィッチのシュプレマティズムへの言及を主として自身の建築理論を展開している。
本展でも、マレーヴィッチによる極限まで削ぎ落とされた幾何学や平面的な構成を用い何も指示しない無対象性・中立性を讃える一連の「シュプレマティズムの素描」(1914〜15)およびシュプレマティズムの建築的展開とも言える「アルヒテクトン」の複製模型が冒頭に提示されている。またマレーヴィッチの作品群の隣には、マレーヴィッチと同様ロシア構成主義の作家ウラジミール・タトリンの「第3インターナショナル記念塔」の模型が設置され、シュプレマティズムと「新国立競技場」のあいだに思わせぶりな斜線を引いている。そして、タトリンからザハに至る途上には、ハンス・ホラインの雑誌誌面に描かれた素描「超高層建築」(1958)、非建設としての空洞を内包するレム・コールハースの「フランス国立図書館」などが挿入される。ザハの水平に横たわる流動的な「新国立競技場」で極点を迎えるこの構図のなかに、本展が持つ「建たなさ」への批判意識を汲み取ることは、想像力の注ぎすぎといえるだろうか。
従来のカテゴリ紹介的な枠組みではなく、類推によるナラティブ構築を軸とした手つきが見て取れる本展。本展の見方はむろん様々だが、シュプレマティズムからラディカルな建築概念の展開を起点としアンビルトの女王と称されながらも、2000年以後発展したコンピュータをフル活用した設計・施工手法を牽引し「建つ」ことの意味を刷新した女性建築家をとりまく様々な不可能性の物語を重ねて見ると、やはり、極点となる「新国立競技場」から今日を生きる私たちに突きつけられる課題は大きい。
「アーキラボ」展において、ディレクターのマリー=アンジュ・ブレイエは「創造的独自性の追求と言葉・交流のネットワークのあいだに、またコンセプトの果たす役割と複雑な(社会的、経済的、人類学的)現実を受け入れることのあいだに、今日の建築家=『探求者』は位置するのだろう」と寄せている(*2)。2004年の言葉である。それから私たちは、コンピュータを用いた設計による新たな建築形態の実現を可能にしてきた。それから私たちは、日本においては震災を経験し、建築することの(不)可能性についての根本的な議論を繰り返してきた。それから私たちは、SNSなど言葉と交流のネットワークを拡充し、よりシームレスで民主的な社会を目指してきた、はずだ。「新国立競技場」の不可能性は、急速な変革のなかから立ち現れた新たな不可能性である。今日の不可能性は中心を持たない。まだ私たちはその不可能性を扱う術も言葉も持っていない。情報ミームの戯れ、断片的でデリケートなポエジー、寓話的テクトニクス、願わくば、本展最後で部分的に提示されているいま生まれつつある建築思考が、ただの撤退戦ではなく新たな不可能性の、中心なき中心で建築の可能性を賛美するものであると信じたい。
*1ーー埼玉県立近代美術館、新潟市美術館、広島市現代美術館、国立国際美術館、五十嵐太郎『インポッシブル・アーキテクチャー』、平凡社、2019、pp.8
*2ーー森美術館、Debord, Guy Ernest、Nieuwenhuij, Constant、Andreu, Paul、サントル地域現代芸術進行基金、読売新聞東京本社『アーキラボ:建築・都市・アートの新たな実験 1950-2005』、平凡社、2005、pp.16