EXHIBITIONS
色あせない風景 滝平二郎の世界展
滝平二郎(たきだいら・じろう)は、1921(大正10)年、茨城県新治郡玉川村(現・小美玉市)の農家の次男として生まれた。子どもの頃から絵本や講談本に親しみ、高校時代は漫画サークルに加入し風刺漫画の制作に傾倒。卒業後は独学で木版画を習得し、身近な農村の日常を題材にした作品を制作し展覧会へ出品するなど画家を志す。徴兵により一時中断を余儀なくされるが、終戦の後に自然とともに生きる人々の姿や自身の戦争体験を題材とした作品を発表し、木版画家としての地位を確立した。
それらの版画作品と並行して50年代後半から本の装幀や挿絵の仕事を手がける。特に児童文学作家・斎藤隆介(1917-1985)との出会いによって、絵本『八郎』(1967)を皮切りに『花さき山』(1969)、『モチモチの木』(1971)など数々の名作を生み出した。当初は手書きであった挿絵だが、木版を経て60年代後半から〈きりえ〉へと移行し、1969年から朝日新聞紙上でもきりえの掲載を開始。高度経済成長の日本において急速に失われつつあった昔懐かしい農村の風景や遊びなどを温かな色彩で描き出したこの連載は大きな反響と人気を呼び、その後10年間にわたって継続した。
本展では、2009(平成21)年に亡くなった滝平二郎の画業を振り返り、知られざる初期の木版画からきりえへと移行した中期の絵本原画、人気を博した新聞連載の原画まで、その詩情あふれる作品群を紹介する。
それらの版画作品と並行して50年代後半から本の装幀や挿絵の仕事を手がける。特に児童文学作家・斎藤隆介(1917-1985)との出会いによって、絵本『八郎』(1967)を皮切りに『花さき山』(1969)、『モチモチの木』(1971)など数々の名作を生み出した。当初は手書きであった挿絵だが、木版を経て60年代後半から〈きりえ〉へと移行し、1969年から朝日新聞紙上でもきりえの掲載を開始。高度経済成長の日本において急速に失われつつあった昔懐かしい農村の風景や遊びなどを温かな色彩で描き出したこの連載は大きな反響と人気を呼び、その後10年間にわたって継続した。
本展では、2009(平成21)年に亡くなった滝平二郎の画業を振り返り、知られざる初期の木版画からきりえへと移行した中期の絵本原画、人気を博した新聞連載の原画まで、その詩情あふれる作品群を紹介する。