日本とアメリカ、ふたつの視点で「原爆」を見つめる。Gaku Tsutajaとは何者か?
原爆にまつわる作品を描き、『ニューヨークタイムズ』と『アートフォーラム』の両方にレビューが載るなどニューヨークで注目を集める日本人作家がいる。アーティスト名は「Gaku Tsutaja」。その人物像にニューヨーク在住の藤高晃右が迫る。
広島と長崎に原爆が投下され、20万人以上の犠牲者が出てから75年。アメリカでは、今なお第二次世界大戦を終わらせるために原爆投下は必要であったという歴史認識が支配的だ。ただ、アメリカの有力紙としてはほぼ初めて、ロサンゼルス・タイムズが「戦争を終わらせるために日本に原爆を落とす必要はなかった。またソ連の日本への参戦によって原爆を落とさずとも日本は降伏を決めており、そのことを当時のトルーマン大統領は認識していたにも関わらず原爆を落とす決定をした」という旨の論説を8月5日に掲載した 。
そのような歴史認識の動きのなかで、ある若手日本人作家の原爆に関わる展覧会のレビューが『ニューヨークタイムズ』と『アートフォーラム』の両方に掲載された。もちろん、コロナの影響でニューヨークでの展覧会数が少なく、また再開しているところも、コロナ前の展覧会を再開するものが多いという状況が味方したとはいえ、若手作家の個展が両紙に載るというのは快挙と言っていいだろう。ニューヨークのダウンタウン、新しい若手ギャラリーが集まるローワーイーストサイドのUlterior Galleryでの蔦谷楽の「Spider's Thread (くものいと)」と題する展覧会だ。期間はニューヨークのコロナのロックダウンが徐々に緩和されつつあった6月24日から長崎に原爆投下されたのと同じ8月9日まで。展覧会後に蔦谷に話を聞いた。
蔦谷は1998年に東京造形大学の絵画科を卒業後、日本でgansomaedaというコレクティブを結成してビデオや、パフォーマンスを使ったインスタレーション作品を発表していた。2005年のヨコハマトリエンナーレにも出品している。06年にニューヨークに移り 、11年の東日本大震災の直後に日本に一時帰国した以外は、ずっとニューヨークで、蔦谷楽個人で活動している。ちなみに、アルファベットでのアーティスト名は「Gaku Tsutaja」で、一見、日本人作家とはわかりにくい。綴りについて聞くと、02年にデンマークの美術館の展覧会に参加した際に、「ヤ」を「ja」と綴るデンマークで誤ってTsutajaと表記されて以来、「国籍がわからない感じがいいな。それに日本語名だと男性と間違えられることも多いですし」と、その表記を続けているという。
16年にはニューヨーク郊外の州立大学パーチェイス校の修士課程に入った。「それまでは、ニューヨークにいても、日本人コミュニティもしくはバイト先の移民コミュニティしか知らなかったんですが、修士課程で初めていわゆる“アメリカ人社会”に属することになって、アメリカ社会のヒエラルキーの見え方が変わりました」。修士課程の課題では蔦谷が大きな影響を受けた東日本大震災のこと、そして福島での原発のことを取り上げた。それが後に原爆にまつわるプロジェクトへとつながっていった。
今回の展覧会は、ギャラリーに展示された2枚の絵画作品と、会期中に毎日1枚ずつインスタグラムやフェイスブックなどのソーシャルメディアで発表される47枚からなるデイリーコミック(Spider’s Thread Daily Drawings)からなる。きっかけは昨年に、テキサス大学エルパソ校 Rubin Center for the Visual Artsからコミッションされたエノラ・ゲイ(広島の原爆を投下した爆撃機)のプロジェクトだという。来年開催予定のその展覧会の一部として、今回の展覧会の構想を練っていた最中にコロナが世界を襲った。オンラインで発信していけるデイリーコミックと、ギャラリーがオープンできた場合の大型絵画の2本立てにし、展覧会の終了日を長崎に原爆が投下された8月9日に決め、展覧会初日の6月24日から1枚ずつデイリーコミックを発表していった。
2枚の大型絵画は《Spider’s Thread: This Landscape》と《Spider’s Thread: That Story》と題され、1枚目はThis Landscape=「この風景」で被爆した広島と長崎を題材にしたもの。そして2枚目はThat Story =「あの物語」として、アメリカでの原爆開発のためのマンハッタン・プロジェクトにまつわる様々な人物、場所を散りばめて構成してつくり上げられた作品だ。
日本とアメリカ双方に三途の川が流れ、頭のない鳩達や、昆虫、動物の頭をもった人々、そして大きな蜘蛛の足が空から伸びている。日本の方には上空に爆撃機から原爆が投下されようとしており、黒い馬に乗ったスーツの男が上空を飛び、眼下には原爆で破壊された原爆ドームや街の様子、特攻兵器も見える。アメリカの方はマンハッタン・プロジェクトの3大拠点のうちのひとつハンフォード・サイトのプロパガンダツアーバス、馬に乗った魚の顔を持つ男がやはり上空を飛び、眼下にはハンフォード・サイトのプルトニウム工場やそこで働く労働者に扮した動物たちが描かれている。
デイリーコミックの47枚全部はここでは紹介しきれないが、おおまかにストーリーを追うと、最初の数日は被爆した広島の悲壮なイメージからはじまり、6日目には時間を戻し、舞台をアメリカのロスアラモスに移し、物理学者達が集められたマンハッタン・プロジェクトの始まりが描かれる。10日目にはさらにすすんで原爆に使うプルトニウムの精製工場があったハンフォード・サイトに移り、その場から追い出されたネイティブ・アメリカン達や、2.3億ドルもの巨額を投じて建設された工場や街の様子。
15日目には原爆投下のパイロット達が訓練していたウェンドーバー空軍基地の様子、そしてエノラ・ゲイ。21日目からは原爆を人間がいる土地に落とすことに反対する嘆願書を出す物理学者達、それを無視して無警告の投下を決定する会議、ポツダム会談など歴史が動いていく。
26日目からは原爆投下を行ったB-29が飛び立ったテニアン島にてリトルボーイがエノラ・ゲイに装着され、ついに広島に投下される。30日目は原爆投下後の悲惨な広島の様子、33日目は長崎に投下されたファットマン。
34日目からは戦後広島、長崎での日米合同の原爆被害調査の様子。あくまで原爆の威力の調査であって治療のためではなかったという。38日目からは冷戦時代のハンフォード・サイト周辺にてウランの採掘に従事し、知らされずに被爆したネイティブ・アメリカンの労働者達、富の象徴としてウランを家に飾り被爆してしまうその家族達、さらには風下に住んでいてやはり被爆していく農民たち、放射能汚染についての内部告発者、現在も行われているハンフォード・サイトを都合のいい歴史だけを紹介するバスツアーの様子が描かれる。
44日目は広島の原爆復興の象徴でもある夾竹桃、45日目は被爆生存者を暗示する満身創痍の人物。46日目にはゲームに興じる政治家や軍人たち。最終日の47日目は被爆した体からプルトニウムをかかえて脱出する日米の被爆者達と翼にガスマスクをつけた核廃絶を訴える活動家達が飛んでいく姿が描かれてフィナーレを迎える。
蔦谷に絵解きをしてもらった。大型絵画に描かれている馬に乗った人物達は、苦難を象徴するといわれるヨハネの黙示録の四騎士から来ており、日本側には飢饉を象徴する黒い馬には戦後懸命に働いたサラリーマンと被爆生存者のシュンちゃんが乗り、戦争を象徴する赤い馬には米軍人が乗っている。アメリカ側では、死、疫病を象徴する青白い馬にウランを持ったネイティブ・アメリカン、そして支配を象徴する白い馬には原爆投下に反対した物理学者が乗っている。また、全作品を通して、物理学者は植物や花に、軍人はバッタ、政治家はゴキブリ、ネイティブ・アメリカンは鮭、活動家や軍縮関係者は鳥、労働者達はたぬきやうさぎなど、そして農民達は羊の頭をもった寓話化された人物で表現されている。
本やインターネットでの情報収集だけでなく、日本では被爆者の方々や教育者達、軍縮関係の研究者達に実際に会ってインタビューをし、またアメリカでも、エノラ・ゲイが展示されるスミソニアン博物館、マンハッタン・プロジェクトの舞台であるロスアラモス、そしてハンフォード・サイトに実際に足を運んで、様々な人にインタビューすることで綿密にリサーチしたうえでの作品だという。アメリカに長い間住んできたこと、アメリカで修士課程の大学に行って生のアメリカ社会に触れたことがきっかけで原爆について日米両国から複眼的に見つめることで、直線的な原爆反対というメッセージを超えたずっと複雑な歴史、現実を作品に落とし込んでいるからこそ、アメリカでも受け入れられ、評価されたのではないだろうか。
この作品を見て、怒っている鑑賞者はいませんでしたか?と向けると、いまのところいないとのこと。もちろん、コロナ禍で、比較的小さなギャラリーで開催した展覧会ということですごくたくさんの人が見たわけではないこと、またそもそも開催地がリベラルなニューヨークであることも影響しているかもしれない。だが、本当に複雑に相互しあう多くの登場人物たちを虫や、植物、動物などに寓話化し、大量の歴史的情報やストーリーをモンタージュのように随所に散りばめた作品群は、自然に鑑賞者に時間をかけて追うことを求め、単発的で瞬間的な怒り、反発心のようなものを起こさせないものだからとも言えるのではないだろうか。そして蔦谷はこうも言う。
「ゴヤは政治的抑圧の強かった18世紀スペインで妥協した作品も多くつくりましたが、政治的な風刺版画は隠喩を使い、さらに異端審問にかけられないように本屋や版画を売る店は避け、酒屋で売りました。彼のこれらの作品は当時の政治背景を知らなくても人間の狂気が感じられて想像力が掻き立てられ見ていて飽きない。やはり名作だと思います。また、何より、今回のリサーチのポイントは、アメリカにも被爆者はいる、ということです。核兵器は製造する側も被爆するという当たり前のことがやはりメジャー級の歴史やメディアには登場してこない。アメリカは日本以上に隠されていることが多いです。現地での実際の被爆者の人たちから話を聞くと、SF映画のような世界です」。
蔦谷の言葉にもあらわれるように、この作品群は、多くの人が考えるアメリカによる原爆の投下、そして破壊された広島・長崎、被爆した何十万の犠牲者達という構図を超えて、投下側のアメリカにも、何も知らされずに被爆していたハンフォード・サイトの労働者、ネイティブ・アメリカン達、農民達など、じつは多くの被害者がいたということを語りかけてくる。そのように、社会の様々な場所にいる弱い立場にいる人々を見つめ、つねにその側からの視点で物語を語り、制作をしている蔦谷の姿勢がうかがえる。
最後に、冒頭のロサンゼルス・タイムズによる論説をあげて、アメリカでも少しずつ見直されてきているように見受けられるが、どう思いますか?と質問したところ、次のような答えが返ってきた。
「原爆をあのとき落とす必要がなかったということは昔から多くの歴史学者が言ってきましたが、やっとそれがメジャーな新聞に載るようになったのは変化でいいことです。ただ、原子爆弾の投下は間違いだったと歴史認識が修正されたのではなく、ポイントは戦争を終わらせるために投下したのではなく、理由は他にあり、どれほど反対する人がいても投下は実行されたことが明確になったということだと私は考えます。核産業は材料が危険で莫大な資金が必要なので、戦後も厳密な情報操作を伴って成長してきました。成長の妨げになる負の事実は速攻隠されてきた。歴史がゆっくりと暴かれるいっぽうで、隠していく体制は変わらない。核問題は今後何世代にも渡って引き継がれる。その側で警告を発し続けられる作品をつくりたいです。原爆について調べるなか、ハンフォードで起きてきたことを知ると、福島がますます心配になります」。
たしかに、75年が経っても、小さな歴史認識の変化が一部の人に受け入れられただけだし、日々センセーショナルに飛び交うニュースは世界を分断に追いやっている。しかし、だからこそアートはゆっくりだがじわじわと社会に冷静な影響を与えていけるひとつの方法なのではないだろうか。