騒動を超えて。企画者が語る「ここはだれの場所?」展の真意とは
子どもたちにとって、大人たちにとっても美術館とはどんな場所だろう? もしくは、どんな場所になりうるだろう?今夏の東京都現代美術館の子どもを主題にした本展(7月18日〜10月12日)では、4組のアーティストが「ここではない」もうひとつの世界の入り口を示す場所をつくりあげた。しかし、開幕直後に会田誠と会田家の作品に対して美術館と東京都が撤去・改変を要請したことで、世間を賑わせたのち、要請を撤回するという騒動に注目が集まってしまった。ここでは担当キュレーターにこの展覧会の企画意図を寄稿してもらった。改めて、この展覧会が今の社会に投げかけた、「美術の力」について向き合ってみたい。
東京都現代美術館「おとなもこどもも考える ここはだれの場所?」展 これからつくられる場所のために 文=藪前知子
去年の夏休みの最後の日も、美術館は大勢の子どもたちで賑わっていた。その人だかりをすり抜けるようにして、ヨーガン・レールが現れた。彼はこの2年あまり、月の半分を過ごす石垣島で、 浜辺を汚染し続ける大量のプラスティックの漂着ゴミを、美しいランプに再生させる仕事に昼夜を忘れて没頭していた。
私たちは、来年の子どものための展覧会でそれを一挙に公開する話し合いを始めていた。美術館を一周して彼が漏らしたのは、美術に本当に現実を変える力があるのかという疑念であった。その頃、彼がテキスタイルをデザインしたスカーフには、有機的な美しい模様の中に、脱原発を訴える強いメッセージが隠されていた。
自然と共存し持続可能な生活の提案者であり続けてきたヨーガン・レールは、現実を前に、理想主義者ではなく行動する人としてそこに分け入っていくことを選んでいたのだ。
私はそのとき、美術とはおそらく遅いメディアなのだ、ということを語ったように思う。ある現実の影響が現れるのも、受け手に変容をもたらすのも、おそらくは他の表現に比べれば緩慢だろうが、一方で遠い未来へと生き残ることもできるのがその強みではないかと。
来年の夏の子どものための展覧会に出品される作品は、その場で消えてしまう刺激ではなく、彼らの内部深くに埋め込まれ、しかるべき後に形となり、未来を変えていくような美術の力を試すものにしたい。「子どものための」という冠にこそ、美術展としての批評性があるのではないか──。納得してもらえたかはわからないが、彼と話したのはそれが最後となってしまった。
それからほどなく、作品づくりのために戻った石垣島で、レールは不慮の事故により帰らぬ人となった。彼が健在であったなら、実現された展覧会をどのように見ただろうか。
子どもの視点を
企画の出発点にあった、私たちを取り巻く諸問題について「おとなもこどもも考える」という主題を実現するにあたり、私と共同キュレーターの崔敬華(チェ・キョンファ)が重視したのは、大人が一方的に与えるのではなく、子どもの視点をいかに展示に取り入れるかということだった。
フィリピンのアーティスト、アルフレド&イザベル・アキリザンは、世界各地のコミュニティとのワークショップをもとに、ローカルとグローバルの二つの視点が接続される領域を探ってきた作家である。
今回彼らは、美術館の近隣の小学校の全校生徒に段ボールで自分たちの「理想の家」をつくってもらい、それを、この地域の子どもたちには見慣れたコミュニティの形── タワーマンション状に積み上げた、《住む:もう一つの国》を制作した。
子どもたちは、現在はオーストラリアで移民として暮らす作家とのコミュニケーションのなかで、国や家といった自分の身の回りにつくられた既存の枠組みを意識し、作品をつくることを通して、「ここはだれの場所?」という、人が持つべき権利をめぐる問いを経験したはずである。
家族という社会と声
さて、型にはめるばかりの学校教育になじめず、特別支援学級で小学校時代の多くを過ごした後、現在は、得意とするプログラミング技術を使って大人たちとプロジェクトを展開する中学2年生、会田寅次郎は、その資質とともに会田誠、岡田裕子を両親に持つという家庭環境もあいまって、「もうひとつの場所」を自分の手で見つけることができた人である。
出品作のひとつである、プログラミング言語についてのカンファレンスの映像で、寅次郎は、宇宙全体に流通しうるまったく新しい言語を人工知能につくらせることを提案している。
Chim↑Pomら若いアーティストたちと3歳から11歳まで撮った映像をまとめた《TANTATATAN》も、彼の言葉では「世界」そのものをつくろうとする試みであるが、創造主のような俯瞰的な想像力は(その途方もないスケールや密度を除けば)、抑圧から解放されたいと願う子どもたちの多くが共有できるものだろう。
一方で、言語の発明という発想や、《TANTATATAN》の自律し閉じた複数の世界間の交通プロジェクトをめぐる物語は、その傍らに大きく投影される、父・会田誠が架空の日本国首相に扮して、不自由な英語で鎖国を主張する映像作品や、コミュニケーションを主題にした母・岡田裕子の諸作品と、絶妙な対比をなしている。
これらの作品が指し示す、個と個が交流することの可能性と不可能性が不安定に揺らぐ領域において、「社会」なるものはくっきりと可視化される。展示の中心をなす《檄文》もまた、既存の枠組みに対する批評の形式を記号的に見せるとともに、三人それぞれの視点の分裂をそのまま内包している。
「家長の一声」ではなく、個々の声がせめぎあう場として、家族という社会の最小単位が、立体的に浮かび上がるのである。
たがいにわかりえない領域があることを認め合うという、会田家にとっては当たり前の態度について親子で考えることは、きっと何かのはじまりとなるだろう。他者だらけの社会において、子どももひとつの声を持つべき存在であることを、彼らは大人と子どもの両者に向けて投げかけているのである。
未来を変える美術の力
抑圧され声を持たない存在が、他者とは共有しえない、一般化されない感覚に向き合い、自分の言葉で話し始めるまで──。その変容をもたらすものこそが美術の力なのだと、「子どものみが入れる美術館」としてこの過程が確保される空間をつくり上げたのが、おかざき乾じろ(岡﨑乾二郎)である。
壁に書かれたおかざきによるステイトメントには、平易な言葉の中に、美術を媒介にして「子ども」という概念を再定義する、あるいは「子ども」という概念から美術の領域を照射するという、25歳で実現させた「子ども空想美術館」(西武美術館、1981年)以来の彼の活動のひとつの核となる論点が結実している。
バリケードを模したような外観や、「はじまるよ、びじゅつかん」というタイトルは、例えばフランス革命期に民衆が自由の象徴的として勝ち取ったルーブル美術館など、この場所に複数の場所の意味が転送され、多重に焼き付けられていることを想起させる(つまり、ここでの「大人と子ども」は、社会的、歴史的な他の対立項にも代入可能と言えるだろう)。
中には、東京都現代美術館の収蔵品を中心に、作家が選りすぐった作品が展示されており、「カンシイン」と呼ばれる人々(その人たちのびじゅつかんの外での仕事は、詩人、画家、小説家、俳優、研究者など多岐にわたる)が、日々入れ替わりで子どもたちと言葉をかわすことを待っている。
おかざきによって練り上げられた、「大人と子どもを分ける」厳密なルールと造形物によって、外の世界から 自律し守られているこの空間は、不思議なことに、展覧会が始まって一か月が過ぎた現在、居心地のよい庭のように自生し、子どもたちに影響を与えはじめているように感じられる。
日に日に彼らの滞在時間が長くなり、1、2時間を過ごす子はざら、という状況が生まれているのだ。もちろん、このことは私の塀の外からの観察に過ぎないし、この空間で起こった出来事を、総括的に記述する視点を持つ者はいない。おかざきの「実験」は、ここに集まり過ごした子どもたちが成長していく、個別の経験と時間軸のなかで、ひそやかに芽吹くのだろう。
ふたたび冒頭の、ヨーガン・レールとの会話に戻りたい。美術とは、人の体内に深く潜り、時限爆弾のように時間を超えて発現することのできる術なのだと。子どもたちを待っているだろう不安定な未来に、この展覧会の経験が、なんらかの形を与えることを企画者として願う。
PROFILE
やぶまえ・ともこ 東京都現代美術館学芸員。1974年生まれ。主な担当企画に「大竹伸朗 全景 1955-2006」(2006年)、MOTコレクション「特集展示 岡﨑乾二郎」(2009年)、「山口小夜子 未来を着る人」(2015年)など。