なぜ『ブルーピリオド』はアーティストを惹きつけるのか。山口つばさと山口歴が語り合う美術愛とマンガ愛
ニューヨークを拠点に活動するアーティスト山口歴と、美大受験予備校や東京藝大を舞台とした青春群像マンガ『ブルーピリオド』が人気を博す山口つばさ。同作のテレビアニメ化記念のキービジュアル作成でコラボレーションもしている「ふたりの山口」対談が実現した。アメリカ東海岸と日本、遠大な距離をリモートでつなげての対話ではあるものの、お互いの美術愛とマンガ愛を語り合った。
美術への距離感を縮めたくて、美大予備校を舞台に
山口歴(以下、歴) 僕は大のマンガ好きなんですけど、『ブルーピリオド』はなかでも特別な作品。美大受験の内幕をあれだけリアルに描き出してくれると受験経験者にとってはたまらないし、エピソードの一つひとつが胸に突き刺さります。「当時の辛い努力は、この作品に深く共感するためだったのたかも」とすら思わせる……。
山口つばさ(以下、つばさ) ほんとですか? そんな褒めていただけるなんてうれしいです。歴さんは受験生時代、予備校はどちらに通われていたんですか?
歴 主人公の矢口八虎くんたちの通う東美(東京美術学院)のモデルになった、新美(新宿美術学院)ですよ! 僕は四浪してそのまま美大には行かなかったんですけどね。
つばさ そのままアメリカに渡られたんですね?
歴 はい、それからはずっとアメリカです。離れたところにいるから余計に思うんですけど、日本の予備校カルチャーって独特ですよね。入学前にあれほどみっちり技術の訓練をするなんて、こっちじゃ考えられない。よくぞあの風変わりな世界をマンガにしようと考えつきましたね?
つばさ 最初から「美大予備校を舞台にした話を描くぞ!」と意図していたわけじゃないんです。それよりも、絵を描くことがそんなに特殊じゃないってことを、マンガで示してみたかった。アーティストがマンガに登場するときって、とかく天才肌で浮世離れしたキャラクターにされがちじゃないですか。他のことは何もできないのに絵だけは抜群にうまい、というような。それだとアーティストが「遠い存在」になってしまい、美術館に行ったりしてアートに触れることにもどこか距離を感じてしまいそうだ、と。美術と私たちの距離をもっと近づけるためにも、美術とまったく無縁だった高校生が美術に目覚めて美大を目指し、読者と一緒に成長していく話をつくりたかったんです。
歴 そうか、読者がキャラクターとともに美術にハマっていける設計になっているんですね、だからこんなに親近感が湧くんだ。それにしても、予備校の様子や生徒の心情はびっくりするほど忠実だし、生徒たちの作例には本物の美大生が予備校時代に描いた作品を登場させたりもして。リアリティの追求が徹底していますよね。描き方の基本や絵画を観るときの着眼点もしっかり描き込んであって、美術とは縁遠い人からプロまでのどんな人も納得させてしまうのがこのマンガのすごいところ。この前ニューヨークの友だちに見せたら、「これ、ヤバいね」って言ってましたよ。予備校や藝大の雰囲気を知らない人が読んでも感じるところがあるというのは、やっぱり作品が本質を突いているからなんでしょう。
つばさ そこは予備校と藝大に通っていた自分の経験を生かしたり、あとはいろんな方々に取材させていただいているおかげで、なんとか描けています。ただしマンガは情報量がそれほど盛り込めるものじゃないので、美術の蘊蓄は必要な分だけにして、キャラクターやストーリーの流れを優先して描くよう心がけてはいます。
主人公・八虎が感じた渋谷の「青色」のリアリティ
歴 連載では、八虎たちがすでに予備校を出て藝大に進学していますけど、作品は今後どう展開していくんでしょうね? 彼らはどんな作品をつくるようになるんだろう? デビューするのかな? などなど、気になってしかたないんですけど……。
つばさ じつはいままさに、八虎たちの将来について悩んでいるところでして……。その意味でも歴さんにお話が聴けるのはうれしかったんです。美大を通らずニューヨークに乗り込んで、「叩き上げ」として道を切り拓いてこられた方の雰囲気を感じ取りたくて。『ブリーピリオド』を描き進めていくにはアートのことをもっともっと取材しなくちゃとはいつも思っていて、アートの一大中心地たるニューヨークについても本当は肌身で感じたいところ。でもコロナ禍もあってあらゆる取材がままならず、それでいっそう八虎たちの行く末も迷ってしまっている状態なんですよね。
歴 そういうことなら取材、いくらでも協力しますよ。状況が許すようになったら、ぜひニューヨークに来てください。アートフェアがある時期とかどうですか? 一緒にいろいろ観て回りたいですね。
つばさ ありがとうございます、ぜひ! ニューヨークってやっぱり刺激的ですか?
歴 街もアートもエネルギーが強くて激しいのは間違いない。僕は2007年にソーホーのギャラリー「Deitch Projects」で、クリスティン・ベイカーの個展を見て衝撃を受けました。ここにはなんて自由な表現があるんだろう、そうだやっちゃいけないことなんて何ひとつないんだと気づかされた。藝大受験を目指していたころは、ある一定の思考に囚われてしまっていたんですよね。あの展示を観た日を境にすべてが吹っ切れて、自分は自分でいいんだと心から思えるようになりました。そういう気づきが、日本ではなかなか得られないから。
つばさ そんな話をお聴きしたら、ますますニューヨークに出かけたくなりますね!
歴 あ、でも八虎をはじめ『ブルーピリオド』のキャラクターたちは、日本にいても、いい時期にいい「気づき」を得て、どんどん成長していくから読んでいて気持ちがいい。キャラクターごとに美術に対するスタンスや考えがまったく違うのもまたおもしろいですよね。僕がいちばん感情移入してしまうのは、やっぱり八虎ですけども。僕が予備校に通い始めたのも、八虎と同じく高校3年生のときだったし。八虎が藝大に受かったときは僕、読みながら本気で泣きました。
つばさ それはうれしいです。そこまで作品に入り込んでいただけたとは。そういえば八虎は「オール」明けの早朝の渋谷で色に目覚めて、それがアートに関心を持つきっかけとなります。歴さんも日本にいるころは、渋谷が「ホーム」だったとか?
歴 実家が恵比寿なので、10代のころは渋谷でまさに八虎たちみたいに遊んでましたよ。マンガに出てくる早朝の青色に染まる渋谷の感じとか、よくわかります。そう、高校3年生のころによくそんなことをしてましたね。やってることが八虎とまったく同じだ……。渋谷っていろんなところから人が集まってきて文化がつくられていて、早朝に限らず独特の風情というか色があるように感じます。スクランブル交差点のあんなに人がいるのに誰ともわかりあえない感じとか、僕にとっては地元なのにつねに寂しさが胸に迫ってくる。八虎もきっと同じような何かを、早朝の渋谷から嗅ぎ取っていたんじゃないかな。そういう忘れかけていた感情まで思い起こさせてくれるから、マンガっておもしろい。僕にとってマンガを読む時間って、かなり大事なんです。その世界に浸って、他のことをすべて忘れられるひとときなので。そうはいってもつくる側ともなれば、大変で苦労も多いのでしょうけれども。
つばさ 私が好きなマンガは、読むことで自分の考えやものの見方が広がるような作品。私のマンガも、誰かにとってそういうものであればといつも思います。『ブルーピリオド』がそうなっていればいいんですけどね。
歴 もちろんなってますよ。『ブルーピリオド』をすこしでも多くの人に読んでほしい、僕は心からそう思ってます。マンガを通して予備校、美大、そしてアートのこんなおもしろい世界もあるんだよと知ってもらえたら、もっと美術を目指す人やアートを楽しむ人が増えるでしょうから。つばささんから、美大を目指す人や美大生へのメッセージはありませんか?
つばさ ありがとうございます。歴さんからもう充分に言っていただけた気がします。私としては作品に触れていただくことが何よりで、そこですこしでも考え方やものの見方を広げてもらえたなら本望です。
歴 いちファンとして僕がちょっと熱くなり過ぎましたね、失礼しました。
つばさ いえ、もう光栄のかぎりです、ありがとうございました。