美術作品を残すということ 計測する作家・毛利悠子インタビュー
BankARTで開催中の「日産アートアワード2015」でグランプリを受賞した毛利悠子は、今もっとも注目を集める作家のひとり。展示環境に寄り添うインスタレーション作品を制作してきた彼女は、10月15日〜25日、アサヒ・アートスクエアにて、展示のための空間把握を数値化するプロジェクト「感覚の計測──《I/O ある作曲家の部屋》の場合」を実施しました。展示のためのあらゆる環境条件を計測し、作品展示のためのインストラクションを公開制作するこのプロジェクトは、サイトスペシフィック・アートの収蔵の問題や、美術作品の未来を見据えたものでした。
──このプロジェクトは、「ヨコハマトリエンナーレ2014」の展示空間に合わせて制作された《I/O─ある作曲家の部屋》(2014)の再展示を可能にするためのインストラクションを公開制作するものです。このプロジェクトを行うきっかけはどのようなものだったのでしょうか。
私はこれまで、美術館だけでなく、廃墟や倉庫、カフェなど、さまざまなスペースでインスタレーションの展示をしてきました。それぞれの展示環境に寄り添わせて作品を配置したり、時には作品の仕組み自体を変えたりすることで、展示環境の特性があらわになって、やがては環境と作品とが一体化する、そんなインスタレーションを目指しているんです。
この作業は非常に即興的なものであって、言葉になる前段階の、感覚に拠っているところが大きい。インスタレーション作品に内在する作家の即興的・感覚的な要素を、どのように保存し、再現可能なものにするのか──いつかこのようなことにじっくり向き合う機会をつくりたいとつねづね考えていました。
そこで今回は、制作・設置プロセスを徹底して記録に残すことによって、即興的・感覚的な制作活動のなかに潜んでいる法則を明らかにし、そのデータベースをつくることにしました。それは、制作において自分が何を基準に考えているのかを言語化することにもつながるかもしれません。
具体的には、仮設壁を移動させることで2種類の空間条件を用意し、そこに同じ作品を展示する、という方法を採ります。そして、それぞれの空間条件のなかで、作品の配置を変えたり照明を変化させたりして、ベストな条件を探り、計測し、図面などに記録する──その繰り返しです。モノを少しでも動かすたびに、いちいち記録しなければならない。基本的には、そういう細かい作業には向いていない性質なので、けっこう辛いです(笑)。でも、こういった作業を一度やっておくことで、今後作品をアップデートするための土台ができるのではないか、と。
──サイトスペシフィックな作品制作における、判断基準を可視化する作業ということですね。
そのとおりです。昔、展覧会でとある新作をインストールしている最中に、過労で倒れてしまったことがあって。身動きできる状態ではなかったのですが、設置のための事前データが一切ないので、私がいなければ展示作業が進まない。本当はすぐに病院に行って点滴でも打ちたかったのですが、そうもいかないので仕方なく台車に横になりながら「そこにロープを吊ってください!」などと指示を出したりしました。私がいなければ展示が一切できないというのも問題だな、と痛感した瞬間でしたね。
あと、バルセロナでアーティスト・イン・レジデンスをしていたとき、1929年のバルセロナ万博のために建築家のミース・ファン・デル・ローエが設計した《バルセロナ・パヴィリオン》を見学にいく機会がありました。この建物は万博終了後に解体され、ミースの生誕100年を記念した1986年に再制作されたものなのですが、万博が昨日開かれていたかのようなコンディションで。大理石の使い方、彫刻の研ぎ方、水の張り方まで、詳細なデータが残っていることが、この再現を可能にしているわけです。建築なので設計図が残っているのは当然といえば当然のことなのですが(笑)、即興的な制作方法をしている私にとって、これはとても新鮮な「発見」でした。
データがあれば、展示自体がどうあるべきかがわかります。作品が自立したものとなって、私のいない100年後にもいい展示をしてほしいという願いを込めた活動でもあるんです。
──今日は公開計測の2日目ですね。具体的にはどういった作業をしているのでしょうか。
架空の展示会場を想定してインスタレーションを設置し、ありとあらゆる計測をしています。昨日は作品の位置関係や部品の吊り方をすべて記録し、今日は照明の当て方のインストラクションを記録しました。あとは、オルガンやパーカッションを動かすための光センサーの感度調整を映像で記録して......。
プロジェクトの後半には、仮設壁を動かして別の空間条件を設定するのですが、これによって、同じインスタレーションでも配置は変わってくるはず。この変化を、さらにまた計測し、記録する予定です。
アサヒ・アートスクエアのテクニカル・スタッフである大庭さんが提案してくださって、「ベスト、マスト、NG」の3段階を記録することにしました。具体例を、部品の代替品で説明しましょう。たとえば、作家(=毛利)が選んだ、透明ガラス・フィラメントの形をした白熱電球とまったく同じ型を使用するのが「ベスト」だとすると、「マスト」の条件は少なくともほぼ同じ大きさの透明ガラスで、同様のオレンジがかった光を放つ発熱電球であること。同じようにオレンジがかった光でも、LED電球は「NG」である、といった感じ。
壁には大きな「メモ帳」を貼って、気づいたことや次の日の課題をどんどん書いて、あとでインストラクション・シートとしてまとめます。また、それとは別に、この公開制作自体のアーカイヴとして、Facebookに作業の様子を載せています(https://www.facebook.com/d.i.p.executive.committee/)。
──作品のどこまでが代替可能でどこまでは留めないといけないのかを考えると、無限のバリエーションがあるように思えます。
面白いですよね。再現性のデータが残っていて、作品のコアとなるテーマを読み取ることができれば、たとえば、過去の作家ともある種のコラボレーションが可能になるかもしれません。
──このプロジェクトの実現に至ったのは、作品が海外の美術館のコレクションとして収蔵が決まったことが大きかったのでしょうか。
美術館に収蔵されても、展示の仕方がわからなくて死蔵されてしまう例があると美術館の人から聞いたことがあって。このままでは自分の作品がそうなってしまうことは容易に想像がつく(笑)。なので、収蔵される美術館には、設置のインストラクションやドキュメンテーションも併せて納品する旨をオファーしました。
私の作品にはモーターや白熱電球などが使われているので、部品が壊れたり廃れたりすることは必ず想定しておかなければなりません。将来起こりうることは、なるべく今のうちに考えておきたい。「電源が100ボルトではなく240ボルトになったら」「DC電源しかなくなったら」「電気がこの世になくなったら」......。大袈裟な話にも聞こえますが、作品の条件を介してこのような仮定を考えることは、次の作品のインスピレーションにもつながっていくという意味で、おもしろい思考実験だったりもします。
──大きな機関では、専門でのコンサベーターがいるところもあります。ただ、実際に作品を残すためのインストラクションづくりを行うのが、作家自身なのか、第三者なのかによって、将来の作品の見せ方も大きく違ってくるのかもしれませんね。
そうですね。たとえば、2014年に東京国立近代美術館で開かれた「あなたの肖像──工藤哲巳回顧展」は、作品の再現という点で考えさせられるものでした。なんだか「資料」っぽくなりすぎていやしないか、本当はもっと変なオーラが出ていたのでは......なんて印象を受けたり。本人が構成していたらもっと面白かったかもしれないなあと。いずれにせよ、作品が「生きて」見えるかどうかが本当に重要だと思っているんです。
あるいは、新生したホイットニー・ミュージアム(ニューヨーク)の「America is Hard to See」展(2015)で、ジャクソン・ポロックの作品を90度回転して展示したことがちょっとした話題になりましたが、自分の見せたい部分をピックアップしたような、遊びのある展示ができるかもしれません。ポロックの例は、ある資料が裏付けになっているようですし、もちろん制作した作家のコンセプトを台無しにするものであってはならないとは思いますけど、こういったことは美術がもつ面白さのひとつですよね。
とにかく、こういったことはすべて、まずは作家によるインストラクションがあればこそ可能になることです。データベースをしっかりと残し、作品にとって普遍的な部分が何であるかが明らかにされていれば、作家の「感覚」を再現できるかもしれない。遠い未来に、作家の「感覚」を立ち上げることができるのが、作品というメディアがもっている希望なのかもしれません。そして、それを汲んだうえで、未来の人々が新たなバージョンをつくりかえる可能性にも開かれるのだと思います。