第21回TARO賞は、さいあくななちゃんに決定。敏子賞は弓指寛治
岡本太郎の遺志を継ぎ、次代のアーティストを顕彰する岡本太郎現代芸術賞(通称TARO賞)が今年21回目を迎え、大賞となる岡本太郎賞にはさいあくななちゃんが、岡本敏子賞には弓指寛治が選ばれた。
岡本太郎現代芸術賞(通称TARO賞)は、岡本太郎亡き後、岡本敏子が次世代を切り拓く才能を支援するため創設されたアワード。21回目となる本展は、558作品の応募があり、その中から26作家が入選。2月16日から川崎市岡本太郎美術館で始まる「岡本太郎現代芸術賞展」でその作品を見ることができる。
15日に同館で行われた授賞式では全入賞作品が発表。大賞となる岡本太郎賞には、さいあくななちゃんが、岡本敏子賞には弓指寛治が選ばれた。
さいあくななちゃんは1992年山梨県生まれ、神奈川県在住。2014年に自身の描いた絵がバイト先の同僚に「最悪」と言われたことをきっかけに、自身の本名である「なな」に「さいあく」を付け、さいあくななちゃんとしてアーティスト活動を行っている。
15年には雑誌『美術手帖』が主催する「シブカル杯。」で入選、17年には個展ツアーを行った経歴を持つ。「私はロックが好きで、音楽がいつも自分を助けてくれた。私もそんなロックみたいな絵を描きたい。息苦しさを表現していいんだと言いたい」と制作動機について語るさいあくななちゃん。受賞作《芸術はロックンロールだ》は、過去5年間に制作された全作品の8割を、インスタレーションとして構成したものだ。
膨大な数のドローイング、ペインティングにはアイコンのように女の子が描かれている。これは「自分の心の中にいる女の子なんです。自分では言えないことを言ってくれている。この子を描くから気持ちが落ち着くんです」。メディウムは多種多様で、油絵具やアクリル絵具からクレヨン、化粧品まで幅広い。さいあくななちゃんの展示は毎回、本展のような展示スタイルをとっており、その理由をこう話す。「毎日絵を描いているから、作品の数が多い。それを展示するためには必然的に場所が必要だからこのスタイルなんです」。
今回のTARO賞には「これまでいろんなコンペに落ちて苦しかったから、どうにかしたくて応募しました。もともと縄文土器が好きで、そのつながりで岡本太郎にも興味があったんです」という。
本作について、審査員の一人である美術批評家・椹木野衣は「決め手はこの唯一の機会にどれだけの力を注ぎ込んでいるか」だったと語る。「さいあくななちゃんは世間から『さいあく』と呼ばれて傷ついた瞬間をエネルギーにして生まれた。こういう負の力を進んで引き受けた彼女のパワーは今回の展示でもベラボーなまでに発揮されてとどまることを知らない」。
いっぽう、岡本敏子賞を受賞した弓指寛治は1986年三重県生まれ。ゲンロン カオス*ラウンジ新芸術校の第1期生であり、16年に開催された同校1期生成果展「先制第一撃」では金賞を受賞している。15年に母が自ら命を絶ったことをきっかけに、「自殺(自死)」を制作テーマの中心に据え、作品をつくり続けてきた。
受賞した《Oの慰霊》は、80年代に社会現象になったとあるアイドルOの自殺がモチーフ。
本展のためだけに、実家で1年をかけて制作したというこの作品。中心にそびえる巨大絵画には、その自殺現場と慰霊に集まった人々、慰霊の意味を持つ花火、無数の鳥、巨大化したサソリなど様々なモチーフが力強く、しかしこと細かに描かれている。「自殺というものがわからなくて調べていくうちに、Oさんがよく出てきたんです。Oさんの自殺後は後追い自殺が多かった。この自殺を別のものに置き換えたい。芸術の力で変えられるということを証明したかった」と話す。「慰霊の現象が自殺現場を聖地化させてしまう。死者に対して、生きている人間が向き合う方法が興味深いと思って作品化したんです」。
絵を覆うように壁と床に見えるのは、板に描かれた21764羽の鳥(21764は2016年に政府が発表した自殺者数の速報値)。この鳥は、弓指の母が亡くなったときに自身が描いて棺桶に入れた鳥と同じものだという。
審査員の一人、ワタリウム美術館キュレーター・和多利浩一はこれを「祈りや鎮魂から勢いよく、一歩も二歩も踏み込んだ作品となっている」と選評した。
なお、今回は特別賞に市川ヂュン《白い鐘》、冨安由真《In-between》、ユゥキユキ《ユキテラス大御神 天野岩戸伝説》の3作家も選ばれている。