2024.10.21

地域に根付くアートを掘り起こし、光らせたい。「ルーツ&アーツしらおい」4年目の挑戦

北海道白老町を舞台に「ルーツ&アーツしらおい」が11月1日まで約1ヶ月半にわたって開催されている。白老に根付く文化や伝承、人々の営みを、アーティストの多種多様な表現を通してとらえ直し、再発見していこうとする4年目の挑戦をリポートする。

文=來嶋路子

野生の学舎《交信 “Correspondence”》 撮影=筆者
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 北海道の南西部に位置する白老町は、アイヌ文化の発信拠点である民族共生象徴空間「ウポポイ」があることで広く知られ、海もあり森にもかこまれた、自然豊かなまちだ。

 この地域を舞台に毎年開催されているアートプロジェクト「ルーツ&アーツしらおい」は、今年で4年目。通年で公開されている4つの常設展示に加え、今年は7つの展示や活動が展開されている。

美術という概念が生まれる以前から柱を立てるという行為があった

 このプロジェクトが投げかける「ルーツ」というテーマを制作の重要な起点としている作家をまずは紹介したい。

 3年連続の参加となる野生の学舎は、新井祥也が主宰する活動体で、洞爺湖を拠点に自然の中でのフィールドワークを通じて、創作の根源を見つめようとしている。

 昨年、野生の学舎は社台海岸に巨大な流木を運び、螺旋のような文様をノミで2週間にわたって彫り続け展示した。この流木を柱として海岸に立てるという2年越しの取り組みが、今年行われることとなった。

 「柱を立てるという行為は、美術という概念が生まれる以前の時代から世界各地で行われてきました。人間の表現行為の始まりは、どこにあったのか。おそらく個人的なものではなく集合的な営みの中から生まれていったのではないか」。

野生の学舎《交信 “Correspondence”》。草原に続く真っ直ぐの道をたどっていくと海岸が現れる
撮影=筆者

 白老をリサーチするなかで偶然にも海岸に続く道を見つけ、この場所を知った。道の整備をしていたのは、すぐ脇に住んでいた工務店を営む久保一美さん。久保さんは野生の学舎の制作に興味を示し、ともに作品制作を行うこととなった。

  昨年ノミを振るった流木に加え、今年はさらに4本を社台海岸に集めた。流木を移動させ、それを砂浜に立てるのは困難を極めたが、こうしたプロセスを通じて「柱を立てるという原初的な営みの中に人類はどのような想いを重ねてきたのか」という問いを野生の学舎は深めていった。

野生の学舎《交信 “Correspondence”》。昨年、ノミで彫跡をつけた流木。根を上にしており天地が反転している
撮影=筆者
野生の学舎《交信 “Correspondence”》。ホッキ貝を円形に敷き詰め、鯨と鹿の頭骨が向かい合わせになって配置されている
撮影=筆者

 「南側に海があり、北には樽前山が一直線にあって、ここは山と海をつなぐ場所であることを発見しました。柱とは何かを分けるための線ではなく、宇宙的な媒介であり、何かをつなぐものであると思います。天と地、人と自然、あの世とこの世、あらゆる境界を超えて1つに溶け合い、それぞれの時間や記憶を巡るきっかけの場所になればと思います」。

野生の学舎《交信 “Correspondence”》。海側から柱に向かうと、一直線上に樽前山が見える
撮影=筆者

人間ばかりではない平等や民主主義は、アイヌの社会にあった

 もうひとり、自身の「ルーツ」を見つめ続けた作家がいる。9月20日から3日間、しらおい経済センターで開催された「古布絵作家 宇梶静江の世界」ではオープン初日に作家のトークが行われた。

これまでの人生と古布絵との出会いについて語る宇梶。背後にはアイヌ民族が漁具などに入れた独自のマークをあしらった宇梶のタペストリーがかけられている
撮影=BY PUSH 高田賢人

 宇梶は現在91歳。生まれは北海道浦河郡の姉茶村。23歳で上京、1972年に「ウタリたちよ、手をつなごう」(ウタリはアイヌ語で同胞の意味)と新聞に投稿。和人から差別を受けるなかでアイヌ民族の団結を呼びかけた。同胞との交流を推し進める活動とともに詩を制作。そんななか、63歳で転機が訪れたという。

 「あるとき古い布の展示を見に行きました。そのなかで、A4サイズほどの布絵を見つけ、『布で絵を描けるなんてこれはすごい』と思いました。ガーンと衝撃を受けたわけです」。

 この出来事の1年前にアイヌの伝統刺しゅうを学んでいた宇梶は、この技法に古布を組み合わせて叙事詩・ユーカラの世界を表現する創作活動を始めることとなった。

 また埼玉から白老へ3年前に移り住み、アイヌ文化を語る活動も行っている。

「古布絵作家 宇梶静江の世界」展示風景より。古布を使った布絵とアイヌ刺しゅうを施した作品
撮影=BY PUSH 高田賢人

 「いままで私は差別から逃れるためにアイヌであることを隠そうとして、アイヌの叙事詩を深く知ろうとしませんでした。こうした物語を探し始めてみると、主人公は人間ではなくシマフクロウやサケなどの生き物で、これはすごいと思いました。子供の頃、成績優秀な人間が良いという社会で生きてきましたが、人間ばかりではない平等や民主主義は、アイヌの社会にあったと気づき涙が止まりませんでした」

 自分自身の「ルーツ」に背を向けてきた状況を転換させたのが、古布絵という「アート」であったことが、宇梶の言葉として語られたことが印象的だった。

「古布絵作家 宇梶静江の世界」展示風景より。書籍『アイヌの治造物語』につけられた絵
撮影=BY PUSH 高田賢人

地元在住の作家や白老をテーマにした作品が多数展開

  このほか白老駅から徒歩圏内の4か所でも展示と活動が展開され、そのうちの3ヶ所では、地域在住の作家やこの地域を具体的なテーマとして掲げた作品が発表された。

 地元作家として2年目の参加となる田湯加那子は、1990年代後半から本格的に絵を描き始め、各地のアールブリュット展に参加してきた。昨年は「田湯加那子の軌跡」と題し、絵を描くきっかけとなった小学生時代の作品から現在まで約200点を出品した。

 今年はまたたび文庫という書店で、田湯が描いてきた膨大なスケッチブックや支持体となった書籍や写真集の表紙と裏表紙が展示された。

田湯加那子「No Message」展示風景より。起きている時間のほとんどを制作に費やす田湯のスケッチブック
撮影=BY PUSH 高田賢人

 いずれの表紙、裏表紙にも、植物のようにも幾何学的なコンポジションのようにも見える、共通性のあるフォルムが描かれている。ハンディキャップを持つ田湯がなぜこのような絵柄を描いているのか言語を介して知ることは難しいが、自身の大切な決め事、あるいは何かのメッセージのようにも見てとれた。

田湯加那子「No Message」展示風景より。中央のテーブルでは実際にスケッチブックを手に取って中身を見ることもできた。写真集をベースに上から色鉛筆でタッチを描いたものもあった
撮影=BY PUSH 高田賢人

 同じ会場では、このほか5人の映像作家が白老町に滞在して各々制作した短編映画が上映された。制作者のフィルターを通して現れる白老の人々や風景は多種多様。これらの映像を比較することで地域をより深く理解する契機となる展示だった。

5人の映像作家による「SHIRAOI SHORT SHORT – ドキュメンタリーで紡ぎ出す、5つの白老の物語。」より
撮影=BY PUSH 高田賢人

 2024年4月にビール醸造所併設のギャラリーとしてオープンしたbrew galleryでは「樽前山を望んで」と題し5名が参加。

 樽前山は活火山で特徴的な溶岩ドームがあることで知られ、このエリアに住むアーティストに多くのインスピレーションを与え続けてきた。

 今回、改めて山を見つめ、樽前山そして山という存在の魅力を見出していこうと、白老生まれの前田育子(陶芸)をはじめ、隣接する苫小牧に住んだことがあり山に親しんできたという河合春香(絵画)やjobin.(立体)、このほかアキタヒデキ(写真)、風間雄飛(版画)が展示を行った。

「樽前山を望んで」展示風景より、風間雄飛《やまやま》。様々な山の風景の中に、樽前山が織り込まれている
撮影=BY PUSH 高田賢人
「樽前山を望んで」展示風景より、アキタヒデキ《汽水域のトニカ》。現在、樽前山の登山道が一部閉鎖されており登山が叶わず、アキタは川の流れを追いながら撮影をしていった
撮影=BY PUSH 高田賢人
白老在住の工芸作家16組による「白老の手仕事展」がしらおい創造空間「蔵」で開催中。アイヌ刺しゅう、木彫り、大漁旗を用いた作品、陶芸など、さまざまな作品が集結。アイヌ刺しゅう体験も土日祝に実施された
アイヌ刺しゅう体験の様子

地方での芸術祭が行われるようになった草創期を振り返って

 地域との結びつきを強く打ち出した展示を核とし、それらを俯瞰し、各地で実施されてきたアートプロジェクトの事例を踏まえつつ、未来への可能性を探っていこうとするのが旧堀岡鉄工所で行われていた「kan-yo studio beta」の取り組みだ。

 これまで「ルーツ&アーツしらおい」に参加したことのある青木陵子+伊藤存、梅田哲也、是恒さくらに加え、多彩なアーティストが参加し、トークやワークショップ、制作活動などを行った。

kan-yo studio betaで9月29日に行われた羊屋白玉、渡辺たけし、箱崎慈華、アイスマンズ、志田健、原口弘子による「宇宙船みみのお隣り」オープンスタジオの様子
撮影=BY PUSH 高田賢人

 「kan-yo studio beta」の企画者の一人・小田井真美(さっぽろ天神山アートスタジオ)によると「アーティストはエネルギーを注ぎ込んで作品を形にし、それが展覧会として結実するが、ここでは溶岩が固まる前のドロドロとした状態とも言える作品になる以前の段階に触れてもらえたら」と語った。

  9月21日には「目標とか思惑を超えてアートが残すものってなんだろう」と題したシンポジウムが行われた。22年前に帯広市で開催された「とかち現代アート展デメーテル」(以下、デメーテル)を例に、芸術祭が地域に何をもたらすのかを検証しようとするものだ。この芸術祭のディレクターだった芹沢高志(P3 art and environment)、当時地元の美術館で学芸員を務めていた寺嶋弘道(北海道文化財保護協会理事)、そして北海道でアートプロジェクトを実施するメンバーらが集った。

左が芹沢高志
撮影=筆者

 会場となった輓曳(ばんえい)競馬場の中で垣間見られた人と馬の営みを出発点に、土地の記憶を掘り起こすことをテーマとし、国際的に活躍する10組のアーティストが作品を展開。トークではコンセプトの紹介とともに、運営や資金調達、いかに地域住民との接点を持つかなど、現在のアートプロジェクトにも通じる課題が話された。

 興味深かったのは、この芸術祭にボランティアスタッフとして関わっていた登壇者のひとり、中山よしこの発言だ。

 「アートについて知らなかった私にとって、ここでしか出会えない人たちと触れ合うことができ、人生が変わるような強烈な体験でした」。

 中山は、現在、地元の斜里町で「葦の芸術原野祭」を企画運営している。そのルーツには「デメーテル」に参加したことが生きていたそうだ。

 この芸術祭の継続は叶わなかったが、そこでまかれた種が20年以上の時を経て北海道で花ひらいていたことは、希望を感じさせる出来事と言える。

屋外写真展
撮影=筆者

 多くのアートプロジェクトは、単年度ごとにその成果が問われるが、同時に長いスパンでものを見ることによって、つながっていくものが確かにあると感じられた。

 「ルーツ&アーツしらおい」はスタートした頃と比べ、地域にゆかりのある作家をより増やし、まちとの関わりを鮮明にしようと試行錯誤を続けている。

 こうした取り組みのなかで地域にどんな種がまかれるのだろうか?

 未来への期待を胸に留めながら、みなさんも白老のまちをめぐってほしい。