柳宗悦、黒澤明らが認めた木漆工芸家・黒田辰秋。京都で初の回顧展が開催
木漆の技術を巧みに操り、優れた作品を多く生み出した黒田辰秋の回顧展が美術館「えき」KYOTOで開催されている。河井寬次郎に才能を見出され、多くの著名人にも作品が愛好された黒田の、京都で初となる注目の回顧展をレポートでお届けする。
京都の玄関口・京都駅に直結している美術館「えき」KYOTO。9月2日から始まった「京の至宝 黒田辰秋展」は、美術館「えき」KYOTOの開館20周年を記念した展覧会であり、京都で生まれ育った黒田辰秋の故郷で初めての回顧展でもある。
黒田辰秋(1904〜82)は、京都・祇園生まれの木漆工芸家。漆匠のもとに生まれるが、分業課程で上塗りだけを行うのでは物足りず、10代より木漆工芸の一貫制作を志すようになったという。河井寬次郎らに出会ってから、民藝運動に関わり、27年に「上加茂民藝協團」に参加。以後、祇園の菓子舗「鍵善良房」をはじめ、京都の注文主の支えのもと、独自の表現を追求し、60年代には、黒澤明や宮内庁からも依頼を受け、70年に木工芸における初の重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定された。
展覧会は3部構成で、「第1章 河井寬次郎との出会い」では民藝に影響を受けた作品を、「第2章 黒田辰秋と京都の注文主」は鍵善良房の所蔵品を中心に紹介。「第3章 人間国宝への歩み」では、拭漆、朱漆、螺鈿といった技法ごとに作品を見ることができる。
本展を監修したのは、元・豊田市美術館副館長で美術評論家の青木正弘。青木は18歳の頃から6年間、黒田の制作を手伝っていたことがあり、黒田の制作方法や考え方についてよく理解する人物である。豊田市美術館やドイツ・ミュンスターなどで黒田の展覧会を監修し、関連書籍も多く出版してきた。会場には所々、青木が日記に書き留めた「黒田辰秋語録」から言葉が引用されており、黒田の人柄や制作に対する姿勢を垣間見ることができる。
青木は、彫刻的な「かたち」は黒田作品の魅力の一つだと説明する。
「朱漆の茶器や蓋物によく現れている螺旋を描くかたちは、黒田辰秋の作品の特徴的な要素です。私は長年《赤漆流稜文飾手筐》を見ていて、ただただ美しいなぁと思っていたのですが、近年、あることに気づいてはっとしました。螺旋は本来、円形や球体の曲面に沿って回転する物なのに、この作品は四角い箱に螺旋が描かれているではないか、と。直方体と球体の一体化という無茶なことを思いついた辰秋は、なんと独創的なのでしょうか。彼の作品は、何十年見ていても、まだまだ知りたいと思える深さがあります」。
木や貝などの素材そのものが持つ装飾性にゆだねるような方向性も、拭漆や螺鈿に共通して見られる黒田作品の特色なのだと、青木は語る。
「黒田の拭漆は、たっぷりと木地に漆を吸わせる独自の方法で、艶やかな漆の質感とくっきり鮮やかに浮き出る木目を実現しています。螺鈿でも絵や文様を描くことはほとんどなく、総張りにして素材が本来備えている姿を見所にするような作品が多くあります」。
展覧会では、黒澤明が黒田につくらせた拭漆の傑作《拭漆楢彫花文椅子》や、青緑色のメキシコ鮑が贅沢に貼り付けられた逸品《乾漆耀貝螺鈿飾筐》なども出品され、見ごたえのあるラインナップとなっている。
この展覧会に作品を多く出品しているのは、河井寬次郎記念館や鍵善良房。無名だった若き黒田に出会い、柳宗悦らを紹介した河井寬次郎、店のシンボルとなっている飾り棚をはじめ多くの作品を購入してきた鍵善良房と、黒田の活躍の背景には京都の人々の支えがある。回顧展とともに、河井寬次郎記念館、鍵善良房、初期作のテーブルセットが今も残る京大北門前・進々堂と京都の黒田ゆかりの地を巡り、作品世界を深く味わいたい。