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2019.2.18

劇場化する東京に息づく、新たなアートの生態系とは。仲山ひふみ評 小宮麻吏奈展「−ATCG」/鈴木操展「open the door, 」/「孤独の地図」展

昨年末、ともに東京で、小宮麻吏奈と鈴木操による個展、そして布施琳太郎のキュレーションによるグループ展が開催された。同世代に属し、ともにコレクティブシーンのなかで活動する彼らの問題意識とその背景をいかに読み解くか。若手批評家の仲山ひふみが横断的にレビューする。

文=仲山ひふみ

「孤独の地図」展より作品配置図 撮影=岩崎広大
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慣れることに慣れることを拒むこと──思弁的実存主義の3つの可能な形態について

メタ生理学的導入

 小宮麻吏奈、鈴木操、布施琳太郎の3人の若い作家が、それぞれ東京の異なる場所で異なる狙いのもと同時期に開催していた3つの「展示」を見てきた後、私は自分がこれらの「展示」を、互いに独立した個別の「展示」として考えようとしていないことにふと気づいた。それらの「展示」での経験を私は、あたかもビエンナーレやフェスティバルといった街全体を舞台とする展示の一会場を訪れたかのごとく想起し、考察しようとしていたのである。

 この気づきは私を一瞬当惑させる。が、そのような見方が生じた背景にはすぐに思い至ることができた。年齢層を問わず普及したスマートフォンやタブレット型端末、もはや見知らぬ土地を歩く際の必需品と化したGoogle Mapに代表される地図アプリケーション、そしてそれに連動した各種SNS、Google自身のますます「意味論」化していく検索エンジン──いまや陳腐な指摘に響くかもしれないが、位置情報や画像つきでSNSへと投下される個人ユーザーからのレコメンデーション群、それらを高度なアルゴリズムにより自動でランクづけしつつ、効率的に検索可能としたハッシュタグのシステムなどは、日本の政治経済的・文化社会的中心地である東京を近年、巨大な劇場空間、擬似テーマパーク空間へと変貌させつつある。

 言うまでもなく、現代美術の世界にもその変化の波は押し寄せてきている。例えばTokyo Art Beatが公式配信するスマートフォン向けアプリは、端末に搭載された地図アプリと連携し、ユーザーの現在位置から近いアートスペースとそこで開催中の展示に関する情報を瞬時に表示する機能を有している。多くのアート愛好家が首都圏のギャラリー・美術館めぐりを企てる毎週末の行動計画は、この種のアプリが提供する情報や、各種SNS(主にTwitter)上でのリアルタイムの展示感想報告などによって、合理的というよりは相互関係が複雑に張りめぐらされた「錯乱的」と呼ぶのがよりふさわしい状態において、再組織化され続けている。駆け出しのアーティスト、在野のコレクター、純粋なアマチュアなどがこれらのテクノロジーに依拠して、擬似テーマパーク型、汎劇場型の新たなアートの消費生態系をつくり上げつつあるのだ。

小宮麻吏奈「-ATCG」展の展示風景より ©酒井透

 上記のような一般的状況認識はしかし、それ自体では別段特筆すべき事柄ではない。むしろ現在の東京のアートシーンに関わる人々の多くにとって、ほとんど常識に等しい内容でしかないだろう。にもかかわらず、私はこの一般的状況が、東京のローカルなアートワールドに関与する「プレイヤー」たちの個別の芸術的・美的・文化的な鑑賞経験に及ぼす影響は重大であると見ている。というのもそれがまず第一に意味するのは、すでに私自身の気づきが示していたように、個別の「展示」や「作品」をそれぞれ独立なものとして、つまりその個体性や統一性のもとで知覚し記述することが、ますます困難になるという事態だからである。個々の「展示」や「作品」に対し正確な価値判断を下すためには、事物一般の集合的で社会化されたネットワークの観点からそれを枠づけ、翻訳的に接することがますます必要になりつつあるというわけだ。念のため補足しておけばこれは、「作品」や「展示」はつねに同時代のより広い状況やコンテクスト、あるいは関連する過去のイメージ群との関係のうちに置き入れられて判断されねばならないというポストモダニズム以降の美術史・美術批評の教科書的な言説からは、本質的に遠く隔たった認識である。なぜなら、情報資本主義によって方向づけを欠いたまま加速されている、この「すべてがつながりあっている」という現在の全体的な文化状況は、ポストモダニズムに特有の記号論的読解や隠喩的操作の数々を経るまでもなく、すでに一個の自明な劇場空間として私たちの眼前/眼下に開かれてしまっているからである。

 日常は劇場に変貌した。そうである以上、劇場もまた日常に変貌せざるをえない。「すべてがつながりあった」この情報的かつ物理的な行動可能性の空間は、第二の自然ないし所与の条件として「プレイヤー」たちの芸術的鑑賞経験の反省的構造を、その外部から規定するようになり始めるだろう。平たく言い直せば、それぞれの「展示」や「作品」が「つながりあっている」という事実は、もはや分析が到達すべき「結論」ではなく、むしろ分析がそこから出発すべき「前提」になる、ということだ。かつて美術批評家のマイケル・フリードは、到来しつつあったポストモダンの表現形式への不安を滲ませつつ、現代美術における「演劇性」の要素の増大に対して警鐘を鳴らしていたが、いっぽうで彼は美術史家としてこの「演劇性」という要素を、あらゆる表象的芸術形式に不可避的に伴う自然的条件のように理解していたことを私たちは忘れるべきではない(*1)。「自然」ないし「所与」は歴史のうちで位相を変えつつ繰り返し現れる。その出現のたびごとに新たな「乗り越え」のプロジェクトが、新しい機知、小さなユーモアの発明とともに要請されることになるのである──その複雑で割り切りづらい否定性の反復のプロセスを、私たちはいまミニマルな弁証法と呼んでしまってもかまわないだろう。新規のミニマルな自然的所与は同じく新規のミニマルな弁証法を、絶えず要求する。それが歴史の生理学だ。

 〈地図〉をタップし、〈社会〉をブラウズしてみる。するとミニマルな弁証法の論理がいたるところで立ち働いているのが観察される。と同時に、その隙間を縫うようにして非弁証法的な〈一者〉の否定性が、時折ネットワークの偶然の切断というかたちをとって現れてくるのも感じられる。弁証法と非弁証法。この二兎を心のなかで追跡しつつも、私は私自身の眼が具体的に接続させつつとらえた3つの「展示」、それぞれほぼ同時期に開かれた私自身とほぼ同世代の作家たちの手になる3つの「展示」を、抽象的に切断させつつとらえ直すことを以下で批評の名のもとに試みる。

構造なき整序

小宮麻吏奈「-ATCG」展の展示風景より ©松尾宇人

 小宮麻吏奈の個展「-ATCG」はギャラリーの床全体に原色の緑色で塗装された木の板からなる「通路」を設置しつつ、直角で折れ曲がり分岐ないしは合流するこの「通路」の末端部にそれぞれ作品が置かれるという形式をとることにより、観客の鑑賞の際の動きをあらかじめ整序(コーディネイト)してみせている。この「通路」は来場者の多くに不思議な印象を与えたにちがいない。というのも、この緑の道による行動可能性の整序は必ずしも動線設計を意味しないし、観客が5、6人ほどいる場合にはそもそも「通路」の上を歩きながら鑑賞することは非常に困難となり、必然的に「通路」の外側の床に立ちながら作品を見るほかなくなるからである。したがって展示室内に置かれた作品同士が互いにつながりあっていることを示す以上の意味を、この「通路」は明らかに持ちえていない。にもかかわらず小宮は「通路」を諸作品のあいだに敷いた。それが意味するのは、この「通路」自体が観客によって眼差されるべき「作品」のひとつとなることを、意識的にせよ無意識的にせよ小宮が選択した事実である。実際、ミニマルな舞台装置としての「通路」は双子葉植物の葉の上に展開する葉脈のようにも見えるし、コンピュータの機体内部から取り出された基板回路のようにも見え、小宮自身が案出したとされるこの展示全体のコンセプト「クィア考古学」の謎めいた内容を──「通路」の末端部に配置された個別の作品がそうする以上に──視覚的にクールに要約してくれているとさえ感じられる。

 加えて、この「通路」の外側にも意味が仕掛けられている。ギャラリーの壁面に沿って室内を一周するように置かれた「通路」によって囲まれる床面には、辺縁部を盛り土されたターポリン印刷の写真がカーペットのように敷かれており、そこには踏みつけられて重なりあったイネ科植物と思しき雑草の姿が映し出されている。「通路」から外れて歩く来場者はこの雑草のイメージを踏まねばならないだろう。また展示室の入口にはドアの開閉上「通路」を設置できないためか、代わりに例の雑草写真のターポリン印刷が玄関マットのように敷かれている。この写真の「作品」風の見た目は観客に踏むことを一瞬ためらわせるが、これが通常のインスタレーションで行うように、どこかの空地から採取されてきた本物の雑草を敷き詰めてあったなら、観客は「そういうもの」と理解して迷いなくその上を踏み歩いていったのではないだろうか。さらに「通路」自体の外郭にも盛り土がなされていることから、観客はこの雑草写真と「通路」が一体となってひとつの植物的身体をなしているのだろうと想像する。「通路」上に置かれた、鉢から引き抜かれた観葉植物によってこの印象はさらに強められる。自然物と人工物のアマルガム的空間設計からは、ブラジルの新具体運動を代表する作家エリオ・オイチシカの《トロピカリア》(1967)との類似性なども指摘できるだろう。

小宮麻吏奈「-ATCG」展の展示風景より ©酒井透

 もちろん小宮は、植物たちの生命の尊厳を日常的に無視して営まれる人間の社会生活に対してディープエコロジストさながらに非難の声を上げ、観客にもそれに同調することを求めてこのような表現を行っているわけではない。彼女はたんに私たちが踏みしめ自明と見なしている所与の条件のうちにも生命のシステム、すなわち遺伝子のコードに代表される情報伝達のシステムがあり、さらにはそうした分子生物学的なメディウム(展示のタイトルに含まれる「ATCG」は遺伝子を構成する塩基配列の記号である)の外側にさえ、なんらかの「記憶」の領域が広がっているということを想起させようとしているだけである。そのことは小宮自身が以前取り組んでいたプロジェクト「野方の空白」が、「無駄に見えることが無駄ではないということの証明として花屋を経営する」「新しい繁殖の方法」というキャプションを付されたものであることを踏まえれば容易に理解されうる。遺伝子のコードの外側にある「記憶」の領域とは、簡単に言えば歴史のことだ。「通路」末端部に置かれた擬似的な絵巻物のような《鍵式紋様物語絵巻》、「通路」と同じ緑色をした壺状の「作品」《内鍵式紋様壺(用途不明)》、日本庭園に置かれる石灯篭のような《鍵式紋様同祖神》、壁にかけられた勾玉あるいは生殖細胞の形状(この形状は先述の擬似絵巻物のほうにも描かれている)をした小さな立体物《鍵式紋様守》などが、小宮のそうした歴史考古学的対象への関心の高さを示すものであることは明らかだろう。

 とはいえ小宮が制作したそれぞれの奇妙な考古学的オブジェクトは、それ自体ではほとんどいかなる物語も観客である私たちに提示してくれない。私の考えでは、それはおそらく小宮が「クィア」「LGBT」「生殖難民」といった、いささか時流を読みすぎたとも受け取れる言葉を通じて示唆しようと努めているとおり、私たちが現在有するコード化のシステムとは異なるそれにもとづいて、これらのオブジェクトには「記憶」が保存されている、あるいは保存されている「かもしれない」と想像させることこそが、小宮がそれらの考古学的遺物の外見をまとった「作品」たちに与えている基本的な役割だからである。観客は「通路」を回路あるいは通信ネットワークに見立てつつ、これらのオブジェクトを結びつける未知のコード化のシステムを発見しなければならないような気分にさせられる。それを発見できなければ、それぞれのオブジェクトは独立の「作品」として眺められるだけの芸術的強度をほとんど獲得しえないと思われるためだ。しかし、そのようなコード化のシステムは実際には決して見つからないだろうという諦めにも似た予感が、私たち観客の胸中を同時に満たしてもいる。だからこそ小宮は彼女自身、それぞれの「作品」の構造を複雑化させることはせず、むしろそれらのあいだをつなぎつつ読解可能性の空間を整序するものとしての「通路」を設置することによって、この展示の目指すところを要約的に表現してみせたのではなかっただろうか。

 ギャラリーのガラス壁面に貼り出された小宮自身の遺伝子解析結果のグラフは《失われた家系図》と題されており、同じタイトルのもうひとつの作品、剥がれた皮膚を思わせる薄い樹脂製の支持体に家族写真風のイメージを出力したそれと合わさって、私たちをありえたかもしれない他なる生命形式のコード化とその解読についての様々な空想へと誘う。読解そのものには到達しえないかもしれない、しかし読解可能性は与えられている──そのような感覚は、「通路」と同じ緑色の折れ線が画面上を走るなか様々なイメージが並列されては流れ去ってゆく、今回の展示のために小宮が制作した映像作品《-ATCG》にも現れているだろう。そこには構造なき整序の試みがある。この点に関して、小宮の現在の植物栽培のプロジェクトが「家のない庭」と題されていることは興味深いことだと言わねばならない。家とは繁殖の構造である。しかし、庭はその整序にすぎない(だからこそ可能性を想像する余地がある)のではないか。

崩壊における開示

鈴木操「open the door, 」展の展示風景より

 重力とは何か。それは物理学者が語るように、本当につねに働いているものなのだろうか。鈴木操の個展「open the door, 」を訪れた際、私はそこに置かれた諸作品が彫刻という伝統的ジャンルに抗っているのか、それともその復権を謳っているものなのか判断がつかず、少々たじろいだ記憶がある。それらの作品は物理的にも心理的にも微妙なバランスのもとで成立している。重力と重心、材質、設地面などのファクターによって決定される彫刻作品の物理的自立に関する問題は、このジャンルにつきまとう技法上の古典的な関心事であり、それが心理的な自立に関する問題へと変換されるならば、ロダン以降の近代彫刻の表現上の関心事が射程に入ってくることになる。だがそうしたいずれの関心事も、鈴木の彫刻を説明するのには適さないように思われた。有機的でも無機的でもないそれらの彫刻の「色彩的な」(伝統的にはそれは「絵画的な」とイコールである)美しさが、問題が繊細な取り扱いを要求するものであることを早くも告知している。

 鈴木操が今回発表した一連の彫刻作品《Untitled (Non-homogeneous arrangement)》は、制作の諸条件つまり「原因」をその「結果」である作品自体が観者に向けて開示し送り返すような、広義の自己言及的形式を目指して制作されている、と基本的にはそのように言える。それらは「作品」の搬入に使用された段ボール箱を台座としており、この段ボール箱に詰められていた廃棄物を「芯」として、ベルベットの布地で包み込み圧縮袋に詰めたうえで「部材」としたものを、さらに数個まとめて固定用のベルトでまとめ上げることで成立している。そして展示会場に置かれた作品リストを見ると、それぞれの段ボール箱の下には作品の配置を決定する際に使用したブーブークッションが置かれており、それもまた「作品」の一部をなすものであることが断られている。段ボール箱に収められた廃棄物と布地、圧縮袋と固定用ベルトというこの「彫刻キット」は、どこにでも持ち運びが可能であり、仮に「展示」の機会ごとに再制作あるいはむしろ再組み立てを行ったとしても「作品」としての統一性と同一性をいささかも損なわないだろう。観客である私は、そのような感慨を持った。実際、今回展示された《Untitled (Non-homogeneous arrangement)》のなかには制作年が2017年のものも混じっており、これらは沖縄BARRAKで開催された「自営と共在」展(齋藤恵汰キュレーション)に出品されたものだという。鈴木操の作品は大文字の彫刻の概念に反抗するのでも依存するのでもなく、手軽にして堅固な「彫刻キット」を提示することでそれをユーモアに変えてしまう。そして、このユーモアのうちで、観客は作品の成立の物理的・社会的条件が照らし出されるのを体験することになるのである。少なくともこの点において鈴木の作品は、伝統的な彫刻作品に求められるモニュメンタリティの基準からまったく逸脱している。鈴木の「彫刻キット」はモニュメントになることを目指しているのではなく、モニュメントが可能であるための場についてのドキュメントになることを、むしろ目指しているのではないかとさえ思われる。

 鈴木のこの展示において、来場者は台座となった段ボール箱のサイズとその上に乗った彫刻本体(圧縮袋に詰められたベルベットの布地が廃棄物に巻きついたもの数点、そしてそれらをひとまとめにする固定用ベルト)のサイズから、後者が前者のうちに収納された状態でこの会場に運び込まれ制作されたものであることを、現代美術の基本的コードにもとづいて割り出すよう求められる。ワリード・ベシュティ《FedEx》(2005-14)などを連想させる仕掛けだが、ベシュティの「作品」が宅配便で世界中に輸送され壊れて戻ってきた段ボール箱とガラス箱の形態的同一性を読解の鍵としていたのに対し、鈴木の「作品」では彫刻本体に造形的な美や隠喩性を持たせることが優先されたためか形態的同一性はサイズ的親近性という弱い鍵に変更されている。したがってこの展示に初めて、一回限りで訪れた観客が鈴木の彫刻作品を理解できる確率はそれほど高くない。にもかかわらず鈴木が選択しベシュティが放棄した、個体化された「作品」の造形的構造の問題は、ベシュティがその読解の鍵を通じて開示する物理的・社会的条件(芸術作品もまた日常的な物流・輸送システムに埋め込まれている)よりも深い存在論的条件へと、観客の思考を誘うところがあるのである。

鈴木操 Untitled (Non-homogeneous arrangement)  2017

 鈴木が《Untitled (Non-homogeneous arrangement)》に向けて執筆した「制作ノート」、そして会場に資料として置かれていた「彫刻についての覚え書き」なるテクストを読むと、この作家が彫刻史と美術批評史の論点を過去から現在まで着実に押さえつつ自作の開示しうるものについての可能性を緻密に思考しているさまが窺い知れる。現代美術の営みが言語ゲーム的性格を強めるに従い、「作品」の独立した実在性以上に「観客」と「作品」の相互の関係性が重視されるようになっていくこと、そしてそれによって隠蔽されるのが「作品」を構成するミクロな物質的資源の来歴であったり、それをめぐるマクロな地政学的諸力のせめぎあいであったりすることが、鈴木のテクストに一貫して現れる問題意識となっている。

 他方、そのような光による「開示」から遅れ続ける暗く沈黙した領域にこそ、鈴木が「開示」しようとする彫刻的造形性の問題が眠っていることもまた、それらのテクストは示唆してやまない。だとすれば、鈴木の「作品」が作品ならざる「部材」、暗い物質性の領域から生成してきたものであることを観客が意識しうるのは、その「作品」が崩壊する耐えがたい瞬間へと観客の無意識が差し向けられるその時をおいてほかにないのではないか。「遅れてやってくるものがある。光とは速さである。そして、光より遅れてやってくるものを、どのように捕らえるかという営為こそが彫刻の領域なのである。その領域を端的に言い換えれば、死そのものである」(「彫刻についての覚え書き」より)。同テクストではまた、鈴木のそのような彫刻実践が東日本大震災を契機として開始された彼の近年の思考に沿ったものであることにもふれられている。

 崩壊における開示、それは暗い啓蒙とも呼び換えられるだろう。固定用ベルトによって束ねられた一瞬のあいだだけ、重力に対し安定した重心を獲得する鈴木の彫刻作品は、明るいユーモアの背後に絶えず暗い崩壊の予感を、それ自身の造形的輪郭として保持し続けているのである。台座と彫刻本体のサイズ的近しさが逆に造形的バランスを妨げているように見える場合もあるものの、鈴木の一連の彫刻作品は以上のようなある種ハイデガー的でさえある存在論的思弁の領域へと、「作品」の論理をつなぎ直す野心を秘めている。

我有化される集合性

「孤独の地図」展の展示風景より 撮影=岩崎広大

 布施琳太郎のキュレーションによる展示「孤独の地図」は、布施自身が出展作家のひとりであるということ以上に、その空間の構成の仕方とコンテクストの付与の仕方において、事実上布施自身の個展であると言って差し支えないような状況を呈していた。このこと自体は布施というアーティスト・キュレーターの「展示」においてつねに見られる現象として、私を含む多くの観客の注意を引かなかったかもしれない。しかし「展示」のタイトルが「孤独の地図」と銘打たれている以上、本展での布施と他作家との関係性については考察があって然るべきである。と同時に、本展の会場を提供した四谷未確認スタジオが布施の友人でもある画家の黒坂祐を中心としたアーティスト・コレクティブ(という括りを本人たちは嫌うだろうが)の拠点でもあるという事情から、不動産としてのギャラリーおよびそれを管理するギャラリストと、近年の日本の若いアーティストにおける集団性一般の問題が批評的にとらえ返されなければならない。

 本展に向けて布施自身により執筆された「コンセプト」を瞥見しておこう。先史時代から古代ギリシアを通じて西洋中世に至るまでの地図の歴史が簡単に振り返られ、それぞれの地図における投影法の差異あるいはそもそも世界に関する表象内容の差異が、異なる時代と地域に生きる人々の世界認識の型の差異を表現していることが語られる。「地図は、動的で有機的な世界を、静的な型の中に歪めて畳み込むことによって生成される」(展示公式サイトより)。この認識自体は通常の文化相対主義的な発想の域を出ていない。しかし「この企画では、今日の世界の形態を表象して地図化することに、足を踏み入れている」と考えられる作家の作品を集めたと述べられたうえで、さらにこれらの「作品」自体が再び「併置され、一枚の地図へと再構成される」ことが語られるに及んで、状況は一変する。この展示は地図の地図を描いているのであり、いわば世界の諸表象の集合体としての世界の表象を提示しようとしているのである。穿った見方になることを恐れず言うなら、布施はそのようにして文化相対主義自体の相対化可能性に「足を踏み入れ」かけてさえいる。

 「地図」が孕む以上のような問題設定に、布施が定義する「孤独」の主題が重ねられることになる。展示会場で配布された作品配置図(これも「地図」の一種にはちがいない)の裏面には「孤独とは自分自身との直面、つまり自分が自分に話しかける時間のことだ」と記されている。そして次のように述べる。「人間が地図を描くとき、あるいは見るとき、自分自身と世界を構成する諸対象は一つの地平に併置される。そこでは自身の知覚を身体から切り離し、世界の外部に仮設することが試みられる。これこそが孤独である。領土からの浮遊」。ここで布施が言わんとしていることは、「地図」を描くとき、人は物理的にはそれが表示する空間の〈内部〉にいながら、同時に論理的にはその空間を平面に投影するための何らかの〈外部〉に立たざるをえず、したがって「孤独」に陥らざるをえないということである。「地図において人間は、世界の外部から世界を認識することを強いられる。〔それゆえ〕地図を前にして人間は孤独になる」という明快な表現も、上記テクストの後半部には見出される。

永田康祐 Postproduction 2018

 以上のとおり布施の頭のなかで地図の実践は世界の〈外部〉に立ち、孤独になることを要請するわけだが、他方で布施はそのような地図制作者たちを自らの地図の〈内部〉に再記入することが今回の企画の趣旨だとも語っている。それは地図を描き出す知覚=主体が、少なくとも物理的には、その地図が描き出す空間=世界のなかに存在していなければならない以上、当然の成り行きだとも言えるだろう。あらゆる情報が網羅された完全な地図がもしこの世界の〈内部〉に存在していたなら、それ自身の縮小版をもその地図は自身のうちに描き込んでいなければならないわけだが、現実にはそのようなことは起こりえない。なぜなら物理的に可能なあらゆる地図は、有限の解像度でしか世界を記述しえないからである(ライプニッツのモナドのように)。そしてこの有限性こそが、結果的に、同じひとつの世界を複数の仕方で記述することを可能にしているのである。布施のキュレーションに潜む地図の地図の提示という狙いもまた、基本的にはこのような有限的複数化にもとづいたものだと言えるだろう。

 だがいま素描してみせたような論旨の展開は、布施の考える「孤独の地図」の概念が矛盾していることを必ずしも意味しない。なぜなら自身が取り組む「孤独」の概念が、19世紀的ロマン主義の美学を支えていたような「孤独」の概念とは異なるものであることを、布施は次のようなスローガンのもとで強く意識しているからである。「孤独によって芸術が生産される時代から、芸術が新しい孤独を生産する時代へ」。いまや芸術の「原因」ではなく、その「結果」になろうとしている「新しい孤独」とは、それではいったいいかなるものなのか。

 具体的な「展示」の内容を確認する。最果タヒのみ詩の「引用展示」という特殊な形式での参加になっているが、布施を含むほかの出展作家はすべて広義の絵画あるいは写真作品を出品している。それゆえ大ざっぱに言って本展は平面作品のカテゴリーに焦点を当てたものと言える。例えばガラスコップやスマートフォンの画面、アルミ製の水平器など、表面に透過性や鏡面性があるオブジェクトを複数組み合わせて撮影した写真素材にデジタル編集ソフトで加工を行うことで、複数の錯覚的な奥行きを生じさせる永田康祐の《Postproduction》と《Theseus》は、まさにそのような平面性と立体性の魔術的絡み合いを正面から扱った作品である。また三次元(立体)から二次元(平面)へ、あるいはその逆方向への写像の問題を直接扱った例としては、岩崎広大による昆虫標本を支持体とした細密画のようでもある「風景写真」の作品群と、cottolink feat. 小御門早紀によるアニメキャラクターの3DCGの「変身」過程に迫った作品群が、それぞれ該当するだろう。布施自身の出展作品は、本展のもうひとつのキーワードになっているスマートフォン(iPhone)上で撮影され鑑賞されるセルフィーを題材とした絵画作品になっており、「孤独」すなわち「自分自身との直面」がつねにインターフェイスによって間接化されるために実現不可能となっている現代の情報社会の状況への言及を試みている。

岩崎広大 かつて風景の一部だったものに、風景をプリントする。
-Pomponia imperatoria(4°30'21.7N101°23'21.0E)WGS84 2018

 ところで以上のように出展作品全体を見渡してみた限りで、私には、「コンセプト」で述べられているような世界を地図化することと不可分な人間の孤独(通常の社会学的孤独とは異なる)が現れていると言えるのは、岩崎と永田の作品のみであるように思われた。というのも、岩崎のシリーズ《かつて風景の一部だったものに、風景をプリントする》の支持体をなす、住宅地や雑木林などの風景がその羽に印刷されているところの昆虫たちは、まさにそうした風景のなかに存在したものとして岩崎自身によって捕獲されたものであることが明確だからであり、また永田においては、画像の撮影やそのデジタル編集に使用されたと思しきスマートフォンやノートパソコン(MacBook Air)の画面が最終的に出力された「作品」の表面上に位置を占めることによって、地図化の作業そのものの複数性と相互背反性ばかりでなく、それに伴う撮影者=編集者の視点のほかの視点からの分離までもが明示されているからである。cottolinkの作品には地図の問題はあっても孤独(あらためて言うが通常の社会学的孤独とは異なる)の主題があるかは明らかでなく、布施(また最果)の作品には孤独の主題はあっても地図の問題があるかは明らかでない。本展の解釈上の困難さはその意味で、布施が主張する孤独の概念と地図の概念との根本的結びつきなるものが、そもそもあまりにも形式的な──〈内部〉と〈外部〉の再帰的一致と不一致といった──省察のレヴェルで想定されていたがゆえに、実際の作品においてはむしろ2つの概念の内容的な隔たりを印象づけてしまっている点にこそ求められるだろう。言うまでもなく、これは参加作家ではなくキュレーターに帰せられるべき非難である(もしそのような非難を発する必要があるとすればだが)。

 にもかかわらず、本展を前にして私たちが真に問題視すべきだと感じるのは、このような通常の意味での「キュレーションの機能不全」ではまったくないのである。先ほど私はこの展示が布施の個展と事実上呼んでもよいような様相を呈していると述べたが、それは本展で布施がキュレーターとして集めた作家たちの作品=地図をみずからの展示=地図に再記入すると明言している以上、また布施自身の絵画が名も知らない他者のセルフィーを収集して印刷し、性的眼差しの運動を思わせる絵具の描線によって加工することから成り立っている以上、十分に了解可能な主張であると思われる。端的に言ってしまえば布施の展示はTumblr的あるいはInstagram的なのだ。そこには布施自身が制作したイメージと他者の手になるイメージが等価に集められている。そして布施はそのような等価性と集合性そのもののうちでまず「錯乱」し、次いで「孤独」へと移行する。

 これは現在のいわゆるコレクティブに対する布施自身のポジショニングとも関係してくるだろう。四谷未確認スタジオも含めて、布施自身はいかなるコレクティブにも属さないが、そのことでむしろ彼が欲望するその都度のコレクティブを「展示」の名のもとに我有化(アプロプリエイト)する権利を獲得しているのである。それはたしかに「錯乱」を通過した後の「新しい孤独」と呼ばれるにふさわしい状態である。技術的に実現された集合性はいまやスマートな孤独(結果)を生産するための積極的条件(原因)となるのだ。だがその種のメタレヴェルでの我有化に携わるという意味では、「展示」会場を提供するギャラリー、そしてその法的占有者たるギャラリスト──今回のケースでは四谷未確認スタジオの主、黒坂祐がそれに当たる──こそがよりふさわしい「新しい孤独」の主体だと言われうるのではないか。それは近年の若いアーティストたちが主に経済的・物質的理由から、なんらかのコレクティブに間接的に参加するかたちでしか活動を継続できないといった事情とも深く関連してくる話題である。加えて、布施がその「展示」において達成した集合性の我有化の経験は、布施の「作品」自体にも反映され、いわば布施自身の意図を超えた「新しい集合性」の次元をその絵画に付与している可能性がないとも言えないということは、彼自身の考えはどうであれ私たち観客の地図の上にはたしかに記入されている事柄なのである。

慣れることに慣れることを拒むこと

 小宮、鈴木、布施の3つの「展示」はそれぞれにまったく異なる狙いを持ちながらも、ひとつの共通項で結ばれていたと私には感じられる。それは、主に情報技術の発展によって実現された「すべてがつながりあっている」現在の汎劇場的文化状況のなかに埋め込まれていることに対して、ある種の反撃を企てるとまではいかずとも、少なくともその状況に慣れてしまうことを拒んでいるように見えるということである。小宮は「作品」のあいだに広がる無限に希薄化しかねない関係性の空間を(小宮自身が言う「生殖難民」、すなわち「すべてがつながりあっている」現在の「記憶」のコード化のシステムからは不可避的にこぼれ落ちていく人々)構造なき整序により、かろうじて可能的につなぎ留める。鈴木は彫刻的「作品」の自己言及的構造を通じて「すべてがつながりあっている」社会的・物理的現実の条件をただちに照射しようとはせずに、そこから絶対的に遅れて「沈黙」のなかへと落ち込んでいく存在論的条件を造形的ユーモアを通じて探るべく、崩壊における開示を行う。布施は自らの「展示」と「作品」のあいだで物理的/論理的に引き裂かれて「錯乱」しつつも、その我有化された集合性の経験を通じて「すべてがつながりあっている」状況に「新しい孤独」を対置する手がかりを見出しつつある。

 むろんここで取り上げた3人には、表向きなんの接点もなく、年齢が近いがゆえに人脈上のつながりが多少生じていることが指摘しうるにすぎない。だが、そのようなありきたりの無関係性についての事実確認を行うだけではハイパー演劇的な「すべてがつながりあっている」状況、哲学者の千葉雅也が主張するような「接続過剰」の状況から抜け出したり、それに抵抗することはできないのである。私たちは意識しようとしまいと、社会的・物質的インフラのレヴェルで「つながりあって」しまっている。そのことを理解するためには、小宮が展示したTAV GALLERYのギャラリスト佐藤栄祐は渋家(シブハウス)の元住人であり、鈴木の展示したroomF 準備室もまた元渋家メンバーを中心とする渋都市株式会社が運営に関与している(今後の展示では外れる可能性もあるが)という事実を指摘すれば十分だろう。インフラの思想、あるいは「運営の思想」(黒瀬陽平)を意識しないで活動を続けることは、今日のアーティストには事実上不可能となりつつあるのだ。

 しかし、私たちはこうした状況に慣れることそのものよりも、むしろ慣れることに慣れることをこそ恐れなければならない。結局のところ、万物は慣れに向かうのである。慣れることで私たちは情報を縮約し、意識しなくてよいものを意識しないで済むようになり、つまりは同一性の根拠を手に入れ、注意すべき差異に注意を向けることができるようになる。慣れは「能力」なのだ。私たちはむしろ、この「すべてがつながりあっている」状況にさっさと慣れてしまい、それを「自然」ないし「所与」としたうえで、この汎劇場的文化空間の存在を分析の「結論」ではなく「前提」とすることをまずは目指さなければならないのだとさえ言える。このとき恐れるべき対象が慣れそのものから、慣れに対する慣れ、つまり「能力」としての慣れを慣れそれ自体の深まりにおいて喪失してしまうことに転位していく事情は、あらためて説明するまでもないだろう。慣れることに慣れることを拒むこと。それが私たちが差し当たりミニマルな弁証法と呼ぶことに決めたものの正体である。ところで、この複雑な繊細さを孕んだプロセスにおいて重要なのは、少なくとも現代美術の現在の状況に照らしてみた限りで重要となるのは、「作品」と「展示」という個体性の単位をいかにして新しい角度から擁護するか、という美学的、ないしはむしろ詩学的課題であることはもはや疑う余地がないだろう。

「孤独の地図」展の展示風景より。左手前が布施琳太郎《Table/au/t》(2018) 撮影=岩崎広大

 かつて哲学者のカンタン・メイヤスーは、彼が批判する相関主義(千葉雅也の読解に従い私たちはこれを「接続過剰」の思想と同一視する)を乗り越える立場を探る思考実験のなかで、有神論者や無神論者まで含む架空の哲学者たちを登場させ、彼らに「死後の世界」の実在をめぐる論争を繰り広げさせていた(*2)。「死後の世界」など、科学的世界像に十分すぎるほどに慣れ親しんだポストモダン以降の哲学者の議論の主題にはおよそ似つかわしくないと思われるかもしれない。しかしメイヤスーが語る「死後の世界」(の可能性)は、むしろ「私たちの死後にも生き続ける他者たちの世界」なのだと考えてみたらどうだろうか。そこには私たちの意識は不在だが、私たちの魂──すなわち私たちに関する「記憶」の最後のよすがとしての私たちの固有名が残存し続けている。私が知っている人、私の顔を覚えている人は、そこにはもう誰もいない。これこそがメイヤスーが偶然性の必然性という主張によってその実在性を擁護しようとした、「死後の世界」なのだろうと私は考える。

 むろん実際には、固有名たちは日常的に忘れられ続けている。その健全な忘却、慣れへの慣れ(忘れたということさえ忘れてゆくこと)を止めることはできない。他方で、アーティストは「作品」を制作し「展示」を開くことで、このアーティスト自身の「死後の世界」に一石を投じる。それがアーティストたちの魂=固有名を永遠化するなどと、私は言おうとしているわけではない。そこまで理想主義者になることは私にはできない。しかし、自身の「展示」あるいは「作品」に何かしらの絶対的実在性を与えようとアーティストたちが画策するとき、彼女らは意識していないかもしれないが、いわばこの「死後の世界」の実在性のほうに、彼女ら自身の存在の強度が許す限りで、彼女らは法外なベットを重ねているのである。「死後の世界」などありはしないと嘯く汎劇場型の消費空間の住人たち、彼らの言葉に「そうかもしれない、しかしそうだとしても、いやむしろそうであればこそ、こうはならないだろうか」と可能的な返答を重ねていくなかで、もはや返答が不可能になる地点がほの見えてくる──そのようにして慣れることに慣れることを拒むことの限界を迎えるまで、彼女らは「作品」という名の異様なプロジェクトに取り組み続けなければならないのである。

*1──「この〔18世紀中葉以降のフランス絵画における〕伝統の核心部には〔……〕次のような命法が存在した。すなわち、絵画は観られるために作られるという原初的慣習〔primordial convention〕を否定ないしは中性化する方法を画家は見つけなければならないという命法——あれやこれやの方法で、観者が存在しない、絵の前に誰も立っていないというフィクション、メタイリュージョンを画家は何とかして確立しなければならない、という命法である。」(Michael Fried, Courbet’s Realism, University of Chicago Press, 1990, p. 79.)哲学者グレアム・ハーマンによる近年の指摘を待つまでもなく(cf. Graham Harman, “Aestheticizing the Literal: Art and Architecture”, in Michael Benedikt and Kory Bieg (ed.), CENTER 21: The Secret Life of Buildings, Center for American Architecture and Design, 2018, pp. 60-69)、絵画に限らずあらゆる芸術は観客なしには成立しえず、その限りでミニマルな演劇性の条件を享受する。このようなミニマルな演劇性をフリードは「原初的慣習」と呼ぶ。それはある不可避的な、動物的「慣れ」の問題にも関わるような「慣習」だろう(フリードは上に引いたクールべ論のなかで、クールべにおける絵画の身体化の問題を論じるために、この画家と同時代の哲学者フェリックス・ラヴェッソンの『習慣論』をたびたび参照してもいる)。この「慣れ」の水準、つまり何を演劇的と見なすかの基準自体も変動するなかで、それぞれの領域における「中性化」の戦略が企てられることになる。
*2──正確にはメイヤスーがこの架空の論争の主題に選ぶのは「私たちの死後の未来」であるが、それが即自(物自体)や絶対者といった彼の思考にとっての第一の賭け金となる概念のアレゴリーであることは明白である。以下を参照せよ。カンタン・メイヤスー『有限性の後で──偶然性の必然性についての試論』(千葉雅也、大橋完太郎、星野太訳)、人文書院、2016、96-103頁。