【シリーズ:BOOK】
ジェンダー、フェミニズム論のその先を照らす。『ジェンダー写真論 1991-2017』
『美術手帖』の「BOOK」コーナーでは、新着のアート&カルチャー本のなかから毎月、注目の図録やエッセイ、写真集など、様々な書籍を紹介。2018年6月号の「BOOK」2冊めは、東京都写真美術館学芸員を経て現在ブリヂストン美術館副館長を務める笠原美智子の『ジェンダー写真論 1991-2017』を取り上げる。
「愛」の実践者として何を成しうるか
ジェンダー、フェミニズムの観点から女性やLGBTの作家を紹介する展覧会を精力的に企画してきた学芸員(現・ブリヂストン美術館副館長)の著者が、1990年代以降に展覧会カタログなどに発表してきた文章を一冊の書物にまとめた。ジェンダー、フェミニズムとアートの関係を考察する機会はいまでこそ珍しくはないが、日本国内でそうした問題が取り沙汰されるようになったのは90年代以降のことで、東京都写真美術館や東京都現代美術館での展覧会企画を通して前線を切り拓いた第一人者が笠原だった。はたしてこの30年で状況はどのように変わったのか。
笠原は日本社会に蔓延る女性嫌悪(ミソジニー)への違和感こそが自分を駆り立てる動機と語り、女性の社会進出をうたうようになった現在の状況も根本的には変わっていないと嘆く。依然として男性中心社会なのは美術業界も同様だ。だが、本書を読めば、この30年における笠原の仕事が優れた作家たちの評価を確実に後押しし、性差にがんじがらめになった固定観念への抵抗の旗印となってきたことが確認できるだろう。
本書は2部構成である。前半の世界篇ではセルフポートレイトという表現を通じて「一方的に見られる性」からの脱却を図った作家たち(シンディ・シャーマン、ナン・ゴールディンら)を取り上げるほか、ロバート・メイプルソープ、キャサリン・オピーのヌード表現やエイズをめぐる表象を検討する。後半の日本篇は、「記憶」というテーマから戦後を生きる日本女性の意識の変化を探る石内都論を筆頭に、やなぎみわ、森栄喜の作家論などが続き、新進作家展のテキストによって枠組みを拡張する視点が提示される。ジェンダー、フェミニズムに繰り返し突き付けられる批判的論調(芸術の中立性を欠いた視点である、非論理的でヒステリックな反応にすぎない)に対しては、歯に衣着せぬ物言いでの応戦も忘れられてはいない。
笠原は、あるとき人から言われた「フェミニズムとは究極的には『愛』なのではないか」という言葉を引き、「愛」の実践者として何を成しうるかを自問自答する。ここでの「愛」という言葉には慎重さが必要だ。かっこを外してその深奥に目を向けなければならない。笠原は、論及対象に安易に自己を投影せず、キュレーションの権威のもとに支配もせず、他者性と直面して自分が当事者でないことに逡巡しながら、一つひとつの作品を丁寧に解きほぐしてきた。 だから本書も、定型句のその先に踏み込んだ実践の結晶として読み解かなければならない。ジェンダー、フェミニズム論のその先を照らす灯のような一冊である。
(『美術手帖』2018年6月号「BOOK」より)