NYではみんな他所から来たということが共通点で、結構重要なんです。笹本晃インタビュー
雑誌『美術手帖』の貴重なバックナンバー記事を公開。6月は、発売中の2021年6月号からニューヨークで活動する日本人アーティストの言葉を紹介する。本記事では、自らつくり上げたインスタレーション空間を舞台に、即興的なパフォーマンスを行う作品で知られる笹本晃のインタビューを掲載。
日本とアメリカ、ダンスとアート 2つの世界を往還し制作する
インスタレーション、映像と自らの身体を組み合わせ、演劇的要素を持つ作品を展開する笹本晃は、ニューヨークのダンスシーンでの経験を経ていまのスタイルに至ったという。その経緯と制作に迫った。
パフォーマンス黎明期のNY
装置が置かれたインスタレーション空間のなかを、独特のストーリーを展開させながら、自身が動き回るパフォーマンス作品を展開する笹本晃。2010年にはNYの若手登竜門とも言えるホイットニー・ビエンナーレと、MoMA PS1での5年に一度の大企画展「Greater New York」の両方に選出。NYだけでなく、日本、アジア、ヨーロッパで活躍する笹本に話を聞いた。
「日本で普通に育ちましたが、高校のときに学校が窮屈に感じ、外に出たくて奨学金を探し、イギリスに行ったんです。そこで一気に世界が広がって、いろいろなことを見てから将来を決めても遅くないと思いました。旅をしたり、専攻を決めずにリベラルアーツの大学を志望して、奨学金で行けたのがアメリカの大学。そこで出会った先生の影響で、ダンスと彫刻にはまったのがきっかけです。その後はとりあえずNYに行けばいろいろな人が来ているだろう、新しいダンスが見られるだろうとNYに来たんです。ダンスと彫刻が混ざったり、詩人が振り付け師と共作したりとか、プロなってからではなくビギナーレベルでも共作してごった返している状況が楽しくて、もう少し見たいと居座っているうちに、アーティストになっていました(笑)」。
大学時代の友人たちとNYのダンス界にいた笹本だが、コロンビア大学のMFA(美術学修士)プログラムに進学する。
「1年目はスタジオでリハーサルをして、劇場で披露しても誰も見に来なかった。それならばとホワイトキューブで発表したら、少しずつ自分のやることが変わっていったんです。アートに絞る必要もないと思ったけど、ダンスをアートに訳すのが面白かったんです。劇場ならこうやるな、シアターライトがないから違うやり方だとどうだろう、観客が椅子に座っていないなら、むしろそこにスポットライトを当てるとどうだろうと、アートの形式にあてはめるのが楽しくなって」。