EXHIBITIONS
サムライ、浮世絵師になる!鳥文斎栄之展
千葉市美術館で「サムライ、浮世絵師になる!鳥文斎栄之展」が開催されている。
鳥文斎栄之(ちょうぶんさい・えいし、1756〜1829)は、旗本出身という異色の出自をもち、美人画のみならず幅広い画題で人気を得た浮世絵師だ。浮世絵の黄金期とも称される天明〜寛政期(1781〜1801)に、同時代の喜多川歌麿(?〜1806)と拮抗して活躍した。
田沼意次(1719〜88)が老中を辞した時代の変わり目のころ、栄之は本格的に浮世絵師として活躍するようになり、やがて武士の身分を離れる。当時の錦絵(浮世絵版画)は華やかな展開期にあり、栄之も浮世絵師として数多くの錦絵を制作、長身で楚々とした独自の美人画様式を確立、豪華な続絵を多く手がけた。寛政12年(1800)頃には、後桜町上皇の御文庫に隅田川の図を描いた作品が納められたというエピソードも伝わり、栄之自身の家柄ゆえか、とくに上流階級や知識人などから愛され、名声を得たことが知られている。
重要な浮世絵師のひとりでありながら、明治時代には多くの作品が海外に流出したため、今日国内で栄之の全貌を知ることが難しい栄之。世界初の栄之展となる本展では、ボストン美術館、大英博物館からの里帰り品を含め、錦絵および肉筆画の名品を国内外から集め、初期の様相から晩年に至るまで、栄之の画業を総覧しその魅力を紹介する。
鳥文斎栄之(ちょうぶんさい・えいし、1756〜1829)は、旗本出身という異色の出自をもち、美人画のみならず幅広い画題で人気を得た浮世絵師だ。浮世絵の黄金期とも称される天明〜寛政期(1781〜1801)に、同時代の喜多川歌麿(?〜1806)と拮抗して活躍した。
田沼意次(1719〜88)が老中を辞した時代の変わり目のころ、栄之は本格的に浮世絵師として活躍するようになり、やがて武士の身分を離れる。当時の錦絵(浮世絵版画)は華やかな展開期にあり、栄之も浮世絵師として数多くの錦絵を制作、長身で楚々とした独自の美人画様式を確立、豪華な続絵を多く手がけた。寛政12年(1800)頃には、後桜町上皇の御文庫に隅田川の図を描いた作品が納められたというエピソードも伝わり、栄之自身の家柄ゆえか、とくに上流階級や知識人などから愛され、名声を得たことが知られている。
重要な浮世絵師のひとりでありながら、明治時代には多くの作品が海外に流出したため、今日国内で栄之の全貌を知ることが難しい栄之。世界初の栄之展となる本展では、ボストン美術館、大英博物館からの里帰り品を含め、錦絵および肉筆画の名品を国内外から集め、初期の様相から晩年に至るまで、栄之の画業を総覧しその魅力を紹介する。