EXHIBITIONS
動きの中の思索―カール・ゲルストナー
カール・ゲルストナーは、スイスのタイポグラフィとグラフィックデザインに大きな影響を与えたグラフィックデザイナー。その日本初個展がギンザ・グラフィック・ギャラリーで開催される。
ゲルストナーは1930年バーゼル生まれ。45〜48年まで、フリッツ・ビューラー・スタジオで見習いとして研鑚を積む傍ら、アルゲマイネ・ゲヴェルベシューレ・バーゼル(バーゼル工芸学校)でエミール・ルーダーとアルミン・ホフマンに師事。49年、医薬品メーカーのガイギー社の著名なデザインチームの一員となり、そこでコピーライター兼編集者のマルクス・クッターと出会う。
2人は59年に広告代理店「ゲルストナー+クッター」を設立。63年、建築家のパウル・グレディンガーを迎えて社名をGGK(ゲルストナー グレディンガー クッター)と改め、ヨーロッパ有数の成功を収めた。70年からは同社を離れてアーティストとしてのの活動に注力。芸術と日常生活を関連づけつつ、体系的な色彩とフォルムの言語からなる、環境の機能的かつ美的なデザインを生み出した。
日本では、若手デザイナー11名による展覧会「ペルソナ」(松屋銀座、1965年)に参加。のちに活躍する、永井一正、田中一光、福田繁雄、横尾忠則らが出展し、海外ゲスト4名のうちのひとりに連なった。
本展では、ゲルストナーのデザインによる洗練された広告や傑作ポスターなど、またデザインと並行して取り組んだアート作品を紹介。1週間の会期中3万5000人が入場した伝説的な展覧会「ペルソナ」から半世紀を経たいま、豊富な作品や資料を通してゲルストナーとは何者かをひも解く。
ゲルストナーは1930年バーゼル生まれ。45〜48年まで、フリッツ・ビューラー・スタジオで見習いとして研鑚を積む傍ら、アルゲマイネ・ゲヴェルベシューレ・バーゼル(バーゼル工芸学校)でエミール・ルーダーとアルミン・ホフマンに師事。49年、医薬品メーカーのガイギー社の著名なデザインチームの一員となり、そこでコピーライター兼編集者のマルクス・クッターと出会う。
2人は59年に広告代理店「ゲルストナー+クッター」を設立。63年、建築家のパウル・グレディンガーを迎えて社名をGGK(ゲルストナー グレディンガー クッター)と改め、ヨーロッパ有数の成功を収めた。70年からは同社を離れてアーティストとしてのの活動に注力。芸術と日常生活を関連づけつつ、体系的な色彩とフォルムの言語からなる、環境の機能的かつ美的なデザインを生み出した。
日本では、若手デザイナー11名による展覧会「ペルソナ」(松屋銀座、1965年)に参加。のちに活躍する、永井一正、田中一光、福田繁雄、横尾忠則らが出展し、海外ゲスト4名のうちのひとりに連なった。
本展では、ゲルストナーのデザインによる洗練された広告や傑作ポスターなど、またデザインと並行して取り組んだアート作品を紹介。1週間の会期中3万5000人が入場した伝説的な展覧会「ペルソナ」から半世紀を経たいま、豊富な作品や資料を通してゲルストナーとは何者かをひも解く。