セックス博物館で「荒木経惟展」が開催。#MeToo ムーブメントのなか、何を問いかける?
荒木経惟のこれまでの活動を振り返る「The Incomplete Araki: Sex, Life, and Death in the Works of Nobuyoshi Araki(未完成なアラーキー:荒木経惟の作品におけるセックス、生活、死)」が、ニューヨークの「ミュージアム・オブ・セックス」で開催されている。#MeTooムーブメントが高まるニューヨークで、荒木の作品はどのように受容されているのか? 現地メディアの反応を含めレポートする。
ニューヨークで開かれる荒木経惟の展覧会としては、最大規模となる本展「The Incomplete Araki: Sex, Life, and Death in the Works of Nobuyoshi Araki」展では、半世紀に及ぶ活動を振り返る約80点の作品(150プリント、500ポラロイド)と、フォトブックおよそ400冊が公開されている。
展示会場となる「ミュージアム・オブ・セックス(セックス博物館)」は、人間のセクシャリティの歴史、進化、文化的重要性の保全と展示に焦点を置いた博物館。2002年にオープンして以来、若い観光客が集まるアトラクション的施設として知られている。昨年、アートディレクターの交代が行われて以降、これまでの「イロモノ」的存在から、美術館レベルの展覧会も開催しうる施設への変革が進んでおり、本展はその試みの第一弾となる。
荒木のような国際的アーティストの回顧展となると、美術館が順当な会場の選択肢として浮かぶ。しかし、あえてファインアートを専門としない営利施設での開催となった本展に、現地メディアは注目している。日本では商業的なアートとファインアートの境目があいまいであること、荒木自身が両分野で活躍していること、また何よりも荒木が「セックス」をテーマにした作品を数多く手がけることから、「セックス博物館」は的を射た会場のチョイスであると評されている。
展示は、主題、作品へのアプローチ、作品を巡る論争という切り口で構成されるなか、荒木の用いる被写体と手法・メディアがくまなくカバーされており、限られた展示スペースながらも、50年に及ぶキャリアが俯瞰できる、濃い内容となっている。
「東京ラッキーホール」シリーズに収められている、歌舞伎町、性風俗といったような、表立って海外に発信されることのない「日本の裏社会文化」についても、丁寧な説明が加えられ、荒木の作品の根底に流れる「日本の空気感」が少しでも伝わるよう、工夫がされている。
展示では、緊縛シリーズに見られるような、「服従化・性の対象物化する女性のイメージ」を巡る問題についても触れられている。荒木のとらえる女性像が、西洋の目を通して鑑賞されるとき、「東アジアの女性は服従的でエロティック」という時代遅れの人種差別的ロマンティシズムと結びついていること。またそのことが、日本国外での荒木作品の人気の一因であるとする見解が紹介されている。オリエンタル、エキゾチックといった「他者」のイメージが作品に投影されているという問題の提議は、海外での展示ならではの視点であろう。
また、被写体となる女性モデルたちとの関係についても取り上げられている。モデルの多くが、荒木と性的・感情的に深い信頼関係を築いており、主体的に表現に加担することで作品が成立していることが、インタビュー動画と合わせて紹介されている。いっぽうで、荒木作品のモデルとなったある女性が、「撮影時に荒木に性的虐待を受けた」と、昨年フェイスブック上で告発した件にも言及。作品の意味や評価について語られることは多いが、作家とモデルの関係が注目されることは少ない。とくに地位のある男性アーティストが、女性の身体を扱う制作を行う際の、複雑なダイナミクスに焦点が当たることは皆無である。展示では、そのような現状について、観客に問いをなげかけている。
アメリカでは、高まる#MeTooムーブメントの最中、告発された側に対しては即時の社会的抹殺が望まれる傾向があり、嫌疑をかけられた人物とは関わりを一切絶つという対応が主だっている。しかし本展では、荒木のアプローチを容認する側、否認する側、両者の言い分を提示しつつ、荒木の行為に対する是非の判断を留保するというニュートラルなアプローチが取られている。
現地メディアのレビューの多くは、緊縛シリーズを巡る問題にフォーカスしているものの、本展の一番の見所は、荒木のフォトブックの展示コーナーであろう。一冊ずつ手にとって見ることはできないが、その圧倒的数を目の当たりにすると、荒木の写真に対する狂気とも言える執着が伝わって来る。表紙を眺めて回るだけでも、荒木のテーマがセックスにとどまらず、多岐にわたっていることが分かる。すべての作品の根底にあるテーマを敢えて括るとするならば、月並みではあるが「生きることの喜び」という言葉が浮かんでくる。「生きることと写真を撮ることは不可分」と語る荒木のアーティストとしての生き様が、フォトブックの展示ケース内に凝縮されているようであった。
荒木を知る、知らないにかかわらず、作品への理解が深まるよう、きめ細やかに構成されている本展。その一方で、会場で見かけた若い観客たちのギャラリー内における滞在時間は短く、荒木作品への理解を促す作品ラベルが彼らの目に留まったのかは疑わしいところ。しかし、そんな御託を抜きにして、写真を単純に楽しめばいいじゃないかという荒木の声が聞こえてくるような明るさが、この展示からは感じられた。