出産するとアート業界では働けない? ニューヨークMoMA PS1の事例から考える
MoMA PS1に就職が決まっていた女性が、出産を理由に内定を取り消されたとして、ニューヨーク市人権委員会に苦情申し立てを行った。本件を、出産に厳しいアメリカの労働環境や、アート業界における男女格差の問題と合わせて考えてみる。
MoMA PS1が出産を理由に内定取消
苦情申し立てを行ったのは、ニッキー・コロンバスという女性。アート雑誌『パルケット』のエディターを務めていたが、同誌の廃刊が決まったことを機に、2017年4月、MoMA PS1からパフォーマンス部門のキュレーターのポジションに興味がないかと声がかかった。
アメリカでもっとも歴史あるコンテンポラリーアートスペースで、全米最大規模を誇るPS1からの、願ってもない申し出に、コロンバスはすぐさま応じた。この時点でコロンバスは妊娠5ヶ月だったが、知人たちの勧めもあり、PS1側との話がまとまるまでは妊娠については触れないことにした。
コロンバスは、PS1の主任キュレーター及び館長と対面ミーティングを重ね、仕事内容や勤務体制の調整を行った。『パルケット』の残処理があるため、パートタイムからはじめ、フルタイムに移行することなど、フレキシブルな勤務体制を希望したコロンバスに対し、PS1側は理解を示し、話は順調に進んでいた。
しかし、主任キュレーターが前任者について「出産後に職場での存在感が薄くなった」と話していたのを見て、コロンバスは、やはり妊娠についてはあえて持ち出さないほうが賢明だと判断したという。ミーティングは出産の1週間前にも行われたが、PS1側からコロンバスの妊娠・出産について触れられることはなかった。そして7月末コロンバスは出産を迎えた。
8月半ば、PS1から9月より勤務開始というかたちで、正式なオファーを受けると、コロンバスは若干の給与アップと、出産後回復のために、はじめの間しばらく、在宅勤務が可能かを打診した。しかしその際、主任キュレーターはコロンバスが妊娠していたことにまったく気づいていなかった様子で、「なぜいままで妊娠していたことを知らせなかったのか」と問い糾したという。
その後、間もなくして、コロンバスはPS1から内定取消を言い渡された。その通知のなかで、PS1側は、「こちらから提示した勤務体制、給与に対する返答を見て、当ポジションを辞退したものと解釈した」と述べた。コロンバスは再度掛け合ったが、「すでにオファーは無効」とPS1側は交渉を退けたという。
コロンバスは、このPS1の対応を、ニューヨーク市の定める、子育て、妊娠、及び女性の権利に関する法に抵触するものとして、弁護士を通じ、ニューヨーク市人権委員会に苦情申し立てを行った。PS1はこれを受けて、「すべての求職者と従業員が、敬意と尊厳に基づいた待遇を受ける職場環境の確立に取り組んでいる」という声明を出しており、差別があったことは認めていない。
アメリカでは法律で、妊婦への差別を禁じており、女性は就職活動中、妊娠を明かす義務はない。しかし、こういった差別はいたるところでまかり通っているのが現実。コロンバスの弁護士は、「内定取り消しの前後で変わったのは、PS1がコロンバスの出産を知るにいたったという点のみ。このような差別行為は、セクシャルハラスメントと同様、女性の職場での活躍を妨げるものである」とコメントしている。
働く女性の出産に厳しいアメリカ
アメリカの、産休制度の不備は大きな社会問題となっているが、根本的な対策は取られておらず、働く女性に対して早期職場復帰を求める社会的プレッシャーは非常に大きい。現在、
カリフォルニア、ニュージャージー、ロードアイランド、ニューヨークの4州は、州の産休制度を施行しているが、4~8週間の産休と、その間給与の一部を補填するもので、出産後の女性を十分にサポートする内容とは言い難い。あとは、各雇用主が定める産休制度に頼ることになるが、中小規模雇用主の40%は有給産休制度そのものを設けていない。全体では、半数以上の女性が出産後4ヶ月以内に仕事復帰を余儀なくされているのが現状である。
このような産後の厳しい条件を乗り越え職場復帰を果たす女性が多いことで、子供を持つ女性に対する期待値が高くなるいっぽう、産後回復や子供と過ごす時間の確保などへの配慮が欠けていることも問題である。今回のPS1の対応は、アメリカの労働環境における出産・子育てへの無理解がベースにあるとも考えられる。
リベラルとは程遠いアート界の現状
もともとアートに携わる人々は、裕福な家の出身で、社会勉強、教養のためにアートの仕事に就いているというケースが少なくなく、その結果、給与交渉などが活発に行われてこなかったため、業界の給与水準が低くなっているという説がある。それに加え、労働力の需要と供給の不均衡から、圧倒的な買い手市場となっており、低賃金維持を後押ししている。
低賃金に加えて、男女間の給与格差も大きな問題である。就業比率で見ると、女性の方が男性を上回っているが、重職は依然男性で占められており、男女間の賃金格差は2万ドルと大きい。アートの仕事で生計を立てるのは難しいので、仕事を掛け持ちしたり、別業界に転職したりする女性も少なくはない。
女性の活躍が困難な状況は、さらに大きな問題を孕んでいる。例えば美術館などで、女性のキャリアアップが阻害されることは、美術館のビジョンそのものが偏ることにもつながっていくだろう。現に、国立女性美術館の調査では、51%のビジュアル・アーティストが女性であるにもかかわらず、主要美術館に掲げられている作品のうち、女性アーティストによるものは、わずか5%にとどまっている。
一個人の問題ではない
コロンバスが受けた差別行為は、一個人の問題ではなく、アメリカ社会とアート業界、双方における女性の活躍の困難さを反映している。コロンバスは周囲に止められたものの、#MeTooムーブメントに感化され、今回の申し立てに踏み切ったという。「私が声を上げるのを恐れていても、他の誰かが代わりに立ち上がってくれるわけではないと思い行動に移した。同じような差別が、他の女性に起こってほしくない」と語っている。
今回の一件が、アメリカのアート業界で働く女性の地位向上につながっていくのか、今後の動向に注目したい。