中国現代美術をつくり上げた世代の、ひとりの文人。邱志傑(チウ・ジージエ)インタビュー
メディアや領域にとらわれない活動を展開し、中国現代美術をつくり上げてきた世代のひとりとして知られる邱志傑。金沢21世紀美術館での個展に際して、一貫して活動の中心をなしてきた「書」への思いと、その作品について聞いた。
「書くこと」がつなぐ、伝統文化と現代の世界
自分は「雑食文化」に育てられた文人だと邱志傑は言う。幼い頃から書や文人画を学び、考古学から現代美術に転向し、様々な領域の作品を制作する。キュレーターであり、スペースの運営者であり、大学教授でもある。
邱は1969年、文化大革命中に生まれ、小学校低学年の頃に毛沢東思想の教育を受けた。文革後に武術や書道などの伝統文化が復活すると「大衆芸術館」で書家から、廟や寺では道士や和尚から書を習い、篆刻をつくり、摩崖石刻で拓本を取るなど、文人文化にどっぷり浸かっていた。出身地の福建省は、民間文化・華僑文化がいまも残るいっぽうで、海外への移民も多く、多文化を柔軟に受け入れ、ひとりの人間が多くの文化的アイデンティティを併せ持つ「雑食文化」の土地だと言える。邱はまた、改革開放を背景に西洋文学や哲学、ダダイズムやプロセスアート、フルクサス、とくに中国現代美術の先駆的グループであるアモイダダの影響を受け、美術の道を志した。旧文人と民間の文化、社会主義の記憶とグローバル化が、彼の作品の背景にある。
国家のイメージをめぐって
金沢21世紀美術館での個展「邱志杰 書くことに生きる」では、彼が「東アジアの造形の鍵」と考える、漢字や書に関係した作品群を展示した。事物や観念に基づいてつくられた表意文字である漢字は、造形性と人と人とのあいだの情報伝達手段を同時に視覚芸術にまで高めたものだと彼は話す。
なかでも《南京長江大橋自殺介入計画》(2006〜)は、社会への介入と規模の大きさで知られる代表作である。
「2005年に南京でキュレーションの仕事をしたことをきっかけに初めて南京長江大橋に行き、翌年再び南京を訪れた際、大橋が自殺の名所であると知りました。文革期に完成した大橋は、当時の人々にとって非常にポジティブで進歩的・革命的な国家のイメージでした。小学校の教科書に載り、シンボルマークとしてノートや筆箱、鞄などにも使われ、表彰状にも必ず描かれていました。そのような場所で多くの人が自殺すると聞き、国家の象徴たる場所が個人の失敗による自殺の名所となっていることに興味を持ち、リサーチを開始しました。08年にはより詳細な社会調査のためにフィールドワークを行い、自殺者を助ける心療所『心霊駅』のボランティアとともに、実際に自殺志願者に関わる仕事をしました」。
このプロジェクトは、死を選ぼうとする人との会話から生まれた言葉を、生まれてすぐに病気を経験した自身の娘に伝えようとする「チウ・ジャワへの30通の手紙」、自殺を阻止しようとする人々へのインタビューをもとにしたドキュメンタリーや資料、書類を集めた「資料館」、これらの活動を行いながら「心に浮かんできたものを制作した」版画などの作品で構成される。
プロジェクトにおいて彼は、まず筆で字や画を制作し、考察のよりどころとしてきた。「自殺への介入」というリスクあるプロジェクトに臨むには強く自由な心が必要で、書と水墨画がそのお守りとなったと言う。生死の境目がおぼろげななか、筆で書くことで存在を確認する。こうして制作された作品群はまとまって展示されるとき「故郷のガジュマルのように」大きく広がっていくかのような効果を上げる。
《邱志杰の解釈による上元灯彩図》(2010〜)は、8年を経ていまも進行中のプロジェクトだ。南京・元宵節の風俗が描かれた明代古画《上元灯彩図》を模写した上に感想を書き込み、象徴的なイメージを地図や書物、インスタレーションへと発展させる。これらは実際に人が動かして遊べるようになっており、インタラクティブな効果を持つ。
「南京は中国の歴史で王朝の数がもっとも多く、不安定で数奇な運命をたどってきた場所です。失敗者のための場所とも言えるでしょう。本作は《南京長江大橋自殺介入計画》ともつながる、この都市の運命を垣間見る試みです」。
俯瞰するための「地図」
本展では兼六園など金沢ゆかりのモチーフも描かれた地図の大作《世界庭園地図》(2018)も展示されている。地図という形式の作品は、ほかのプロジェクトでも、関係性を俯瞰的に見るために必ずと言っていいほど制作されてきた。
「世界中のすべての絵は地図だと言うことができると思います。手を描けばそれは手の地図とも言えるし、人類の歴史上で初めて描かれた絵画は地図だと思います。ここから歩いて右に曲がれば滝がある、あそこに崖があるから気を付けろ、など。原始人が棒を使って地面に初めて描いたのがこのような絵だとしたら、それは地図でしょう。地図は総合的なもので、実用とシンボル、形象と知識のあいだにあり、個人の知識を他者の実用や経験に役立てることができます。地理や環境をリプレゼントし、符号的特性によって地理環境を再生しているのです。
私の地図には、山水画の伝統的な技法だけでなく、地図が最初につくられた時代からの版画技法や、地理学が発生する前の想像力や幻想に満ちた伝統、コンテンポラリー・アートにおける文字の表現も影響しています。これらを総合して制作した作品では、経験、知識、形象が組織立てられ、時にはロジックとして、時にはロジックを超えた新しい伝達手段として再発見されます。この知識は線ではなく、面もしくは網状につながっていて、無限の可能性を内包しています」。
ヴィトゲンシュタインの「深部には底があり、ひとつの事物は必ずしもすべてを深く表しているわけではない。重要なのは合理的な前後左右の関係だ。関係が正しければ、真相が明確になる」という言葉は地図を表している、とも邱は言う。
「幅広い活動を行っているので、人は私の職業はいったいなんなのかと聞きますが、私はいつもin between(中間にいる)と答えます。私はつねに同時に違う仕事を進行させています。精神分裂状態とも言えますが、私にとってこのような状態はとても効果的です。ひとつの立場からでは問題をとらえられないからです。しかし最近は、地図を書くことですべての立場を統合することができていると感じます。地図を書くとき、私はキュレーターであり、教授であり、書家であり、芸術家であり、さらに科学的な視点を持つこともできるのです」。
《遊戯場》(2013〜14)は領土問題がある場所の地図の上に、文字を刻んだ大小様々なガラス、木、ステンレスの球が転がされている作品だ。ガラスには関係性や心理状態、木には身分や職業、自然現象、ステンレスには政治的形態を表す単語が彫られている。それらは鑑賞者が蹴ることで集散し、とどまることなく別の状況を構成する。現れては消える単語が予測のつかない事件が起こる現実を表す劇場のようであり、事象を文字で表す中国特有の文化を垣間見るようでもある。
芸術の核心としての書
《一字一石・論成敗》(2018)は、展覧会前の下見に訪れた金沢でインスピレーションを得て制作された。
「金沢市寺町の承証寺に幕末の武士・福岡惣助の墓があり、そこに彼の母が納めた一字一石経(石に一文字ずつ経典を写経したもの)の供養塔がありました。文章を分散させて石に書き、再度集めて塔を建てるという行為に興味を持ち、一字一石経について調べました。中国・山東省の摩崖石刻では、岩の上に彫った経が分散されています。文章が集められたり分散させられたりするということに興味を覚えました」。
この作品に使われた文章は、1898年に日本に亡命した政治家・学者、梁啓超が書いた『自由書』の一文「論成敗」。清での改革運動を経て、明治維新後の日本で言論運動を展開した梁が、激動の時代、大事に対しての覚悟を書いた文章だ。期待しなければ「成功」を、恐れなければ「失敗」を感じることはない。
「600以上の文字を石に篆刻して拓本を採りました。拓本は集められ、文章として壁面に展示されています。篆刻された石は美術館内外など様々な場所に置かれています。ひとつの文章が物質的に分散して置かれていたとしても、意義としてはそのつながりを保っているのです。金沢市内に置かれた石は、おそらく誰かが持っていくでしょう。同時に、文章も現在進行形として拡散されていく。私にとってとても魅力的で感動的なプロセスです」。
また、《逆さ書きの書道》(2018)は、書かれた文字が書き終わると同時に空中に消失する、書の概念に踏み込んで制作された。
「私にとって書道は造形芸術であるだけでなく、時間をベースにした芸術です。筆を持ち字を書くとき、文具がまるでフィルムのような作用をして、発生した運動を紙と筆と墨が写し取っているのです。ここには情緒や感情があり、目がこれらの筆跡を追うとき、当時の運動を再生しているのと同じ作用が起こります。この書に独特の時間性を映像で表現しようと思い、可視なものを不可視の状態へと導いた《逆さ書きの書道》や、その逆を試みた《心経》(2015〜18)を制作しました。時間を伴う鑑賞の運動そのものが生まれ出る感触を視覚的に表したものです」。
東アジアの文化は、書の伝統に培われていると邱は言う。「人と規則との関係、身体と統制との関係、造形と時間性運動との関係のすべてが同時に訓練される書法は東アジアの造形芸術の核心であり、音楽・建築・工芸といった芸術すべてが書法の変形したものだとさえ思います。幼少時から書家に習い、その後現代美術の世界に至った私にとっては、書は哲学とも非常に近く、世界を理解するときに使う唯一のツールともするほど、制作の中心軸にあります。
東アジアの言語では、書道・書法の『道・法』という字は『芸術』よりも深い意義を持っています。『芸』の意味は生活のなかに華を添えるようなものですが、『道・法』は生存するため、世界を理解するための方法や知識であり、人生そのものから切り離せません。このことは西洋やほかの文化圏で説明してもなかなかわかってもらえませんが、日本では比較的理解されやすいのではないかと思い、今回のような展示構成にしました」。
彼は「中国人は不朽を信じない。本当のエネルギーは流れてやむことがなく、代々伝わるものだ」と言う。文字を書くという行為は、最初の社会的な造形訓練だと言える。連綿と続き、その場所固有の審美を反映する。外来語の氾濫のなかで生きる私たちは、自らが持っていた造形性やその意義を軽んじているのかもしれない。雑多な現代に生きる文人は、筆一本をつねに携え、今日も休むことなく仕事をしている。彼の作品は文化の原点としての書に立ち返ることで、自らを含めたアジアを振り返る機会を生み出すのだ。
(『美術手帖』2018年12月号「ARTIST PICK UP」より)