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2020.2.29

新館長・鷲田めるろが語る十和田市現代美術館のポテンシャル。「日本の美術館界に一石を投じるものになりうる」

青森県十和田市にある十和田市現代美術館に、新館長として鷲田めるろが就任する。金沢21世紀美術館の立ち上げや、あいちトリエンナーレ2019にも関わってきた鷲田は、この地方美術館でどのような指揮を執るのか? また鷲田が思い描く十和田の可能性とは?

聞き手・構成・ポートレート撮影=橋爪勇介

鷲田めるろ
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十和田市現代美術館は割り切った美術館

──鷲田さんは金沢21世紀美術館(以下、金沢)の立ち上げに関わった後、あいちトリエンナーレ2019(以下、あいトリ)ではキュレーターのひとりとして参加されていました。そして今回の十和田市現代美術館(以下、十和田)館長就任です。まずはその経緯について教えて下さい。

 十和田の指定管理者であるN&Aから打診がありました。私が金沢を辞めた後で、あいちトリエンナーレ2019がオープンするかしないか、という時期でしたね。

──鷲田さんにとっては今回が初の館長職です。就任は即答だったのでしょうか?

 はい。この2年間はあいトリという国際展の仕事が中心でしたが、また美術館の仕事はぜひやりたいという気持ちは強かった。十和田と金沢は違うけれども、いずれも地方都市にある現代美術専門の美術館で、街との関係が強いという共通性があります。これまでの経験を生かせるのではないかと思いました。

鷲田めるろ

──鷲田さんにとって美術館の仕事にはどのような魅力があるのでしょう?

 長期的に物事を考えられることですね。芸術祭はここ2〜3年くらいの最新のアートを見せる。それに対して美術館は100年後のことも考えながら仕事をする。これはやっぱり美術館の仕事の魅力ですね。

──十和田市現代美術館は建築の雰囲気も金沢21世紀美術館とよく似ていますね(金沢はSANAA、十和田は西沢立衛)。どのような印象をお持ちでしたか?

 十和田は、金沢でやろうとしたことをさらに押し進めた、さらに極端にした、割り切った美術館だと思います。

──どういうことでしょうか?

 金沢は美術館の中に常設コミッションワークを入れたんですね。いつ来ても見られる作品もあれば、3ヶ月くらいの企画展があったり、1日だけのイベントがあったり、複数のプログラムが異なる長さを持って進行しているような美術館。でもあくまで展示室がメインなので、数も面積も少ないんですよ。

 ところが十和田は、常設展=コミッションワークがメインになっている。その面積は企画展よりはるかに大きいんです。それは、金沢でやろうとしたコミッションワークをより強めた、はっきり押し出した美術館だなと思っていました。

十和田市現代美術館 俯瞰

 もうひとつ、金沢も同じですが、街との関係を非常に意識している。金沢では街の真ん中に美術館をつくった。地方都市は中心市街地がドーナツ化現象で人がいなくなる。それに対抗するようなコンパクトな街にするため、人が集まる施設をつくろうと。だからもともと街との関係が強い美術館なんですよ。でも金沢は展示室と街との間に丸い屋根がある。十和田にはそれはなくて、展示室が街に剥き出しになっています。

 さらに、金沢ができた当時は、美術にとってホワイトキューブは必ずしも必要じゃないという空気がありました。美術館のホワイトキューブじゃない場所でも展示は成立するし、むしろその方が面白いぐらいだと。なので金沢ではホワイトキューブも用意するけど、廊下にもトイレにも作品はある。街の中での展示もできるし、美術館の展示室以外の場所でも展示できると。

 十和田はさらにそれを踏み込んで、企画展示室はあるけど、同時に街の中の店舗などを使って展示するということをずっとやってきたんですね。だから美術館は「基地」みたいなもので、「舞台」は街のような感じ。金沢と比べると十和田の方が街の規模は小さいけれども、その分発信力を持つために、よりキャラクターをはっきりとさせた。これは金沢のコンセプトを突き詰めたものだったから、面白いなと思っていました。

十和田市現代美術館 外観
高橋匡太 いろとりどりのかけら © Mitsutaka Kitamura

 十和田は企画展示室はあることはあるけど、むしろコミッションワークだけを全面展開したような非常に特殊な美術館なんです。それは金沢も含めて、今後の日本の美術館のあり方のひとつの可能性を示しているんじゃないでしょうか。日本の場合は、美術館という場所が「企画展を見にいく場所」になっている。でも十和田も金沢も、どちらかというと美術館自体、あるいはコレクションを見にいく。

 ルーヴル美術館などを考えると、企画展ではなく(《モナ・リザ》などの)コレクションを見に行きますよね。美術館の核がコレクションであるとするならば、日本における企画展主体の美術館のあり方は、特殊であるとも言えます。そういう意味で、コレクションが主体になっていて、それを見にいく場所としての美術館というあり方は、これからの日本の美術館に違う角度から一石を投じるものになるんじゃないか。そういう実験なのかなと思ってます。

草間彌生 愛はとこしえ十和田でうたう 撮影=小山田邦哉

軸は「コレクション」と「街との関わり」

──十和田は鷲田さんで6代目の館長です。そういう一石を投じるような可能性を持つ美術館を、どのようなビジョンでディレクションしていくのでしょうか?

 特殊な美術館であり、その特殊性が可能性を持っています。その特殊性は大きくは2つある。ひとつはコレクションのあり方で、もうひとつは街との関係です。

 まずコレクションについて。十和田は開館して12年ですが、現代美術館なので同時代性が重要になってきます。さらに今後10年が経ったとき、「現代美術館」と言いながら「一時代前のコレクション」になっていくという危険性や難しさがあると思います。そういうなかで、いかにコレクションのフレッシュさを保っていくのかをまず課題として考えたいですね。常設のコレクションを例えば一部拡充していくとか、そういうことを通じてコレクションをアップデートしていく。

 つまり、いまある作品を一部倉庫に移して、そこの場所に新しい作品を入れていく。そういう更新をやってみたい。

スゥ・ドーホー コーズ・アンド・エフェクト © Mami Iwasaki

 もうひとつ、街との関係については(これは日本全体に言えることだけれども)少子高齢化とネットでの購入が進んでるので、商店街も変化してきている。そこで、どういうふうに商店街や街と向き合っていくのか。いままで考えていたような「アートを通じて街を活性化させる」だけじゃない方法を考えていかないと、これからの10年は厳しい。

 いまはまだ具体的に示せませんが、新しい街との向き合い方も探っていきたいですね。十和田には、これまでずっと美術館に協力してきてくださった松本茶舗さんというお店があり、その店舗の中にはいろんな企画展で展示した作品がちょっとずつ残っているんです。いろんな現代美術の作品が店の商品に混じって見られる。非常にローカルな店のあり方と現代美術が混ざり合っているような特殊な状況で、それを見てすごく感動したんですよね。街の中にここまでの関係が生み出されてきて、それが結果として眼に見えるようになっている。街の人との関係を大切にしながら、広げていきたいですね。

鷲田めるろ

──「コミュニティ」というキーワードを、最近いろんな美術館関係者から聞きます。そこには、美術館のあり方は変わっていかなくてはいけないという意識があるのかなと思いますが、いかがでしょうか。

 そうですね。ここ20年以上前からの話だと思うんですけど、美術館が美術を見せてさえすればいい、という状況ではなくなった。ビルバオ・グッケンハイム美術館(1997年開館)くらいから、美術館はまちづくりに役立つ、役に立つからこそ行政がそこにお金をかけてやりましょうという大きな流れがあり、その流れの中に金沢も十和田もあると思います。

 ただ今後、とくに地方都市は、「アートイベントをやりました。人が集まってきて店がオープンして活性化しました」というような単純なストーリーではいかないような厳しい状況になってきていると認識しています。そういうなかで、美術館やアートがどういうふうに街と向き合っていけばいいのかを、新たなフェーズとして考えていかなければならない

奈良美智 夜露死苦ガール2012 撮影=小山田邦哉

──金沢に18年いらっしゃった鷲田さんの経験というのは、どのように十和田に活かされていくのでしょうか。

 金沢では、私は街中での企画も多く担当してきて、その経験を評価してもらえて、あいトリも声をかけてもらえたと思うんですね。十和田は金沢や名古屋とは違うけれども、そこに金沢で色々やってきたプロジェクトの経験を生かせればと思っています。

 私は主に外から来るアーティストと地域をどうつなげるかを自分のキュレーションの軸にしてきました。外から来たアーティストが金沢の街を見て、金沢の人に出会ってできた作品を、街の人に見せることによって街の人がさらに集まる。そして自分たちも気づかなかったような視点で街を見る。そういうスタイルでやってきたんです。

 去年、あいトリに参加することになったとき、自分にとって愛知はアウェーだから最初は戸惑ったんです。でも自分のやり方を変えることはできないと思って、結局名古屋に家を借りて、そこに住むことから始めました。十和田の仕事でも、まずはこっちに移住して、街を知り、外から来る人を街とつなげていけるような仕事ができたらなと思っています。

ロン・ミュエク スタンディング・ウーマン 撮影=小山田邦哉

──金沢はもともと城下町であり、工芸の拠点でもあります。いっぽう、十和田はどのような地域的な強みがあると思われますか?

 奥入瀬渓流や十和田湖の自然は大きな魅力だと思いますね。ただ、そこに直接行ってそのまま帰ってしまう方も多い。そんな人に来てもらえる工夫を考えていきたいなと。

 青森県という広域で見ると、4月にオープンする弘前れんが倉庫美術館と来年リニューアルする八戸市美術館もある。十和田と国際芸術センター青森・ACAC、青森県立美術館など、美術の拠点が集積してる地域だと思います。連携していくことで、単館ではできない規模感で人に来てもらうということも考えられます。

 それぞれ館を設計している建築家も面白いですしね。田根剛さんや青木淳さん、西澤徹夫さんとか。以前からとても注目している建築家です。シナジーが生まれる可能性はありますよね。

──先ほどおっしゃっていた芸術祭も、可能性としては考えられますよね。

 そうですね。まったく具体化した案ではないですけど、トリエンナーレなども考えられると思います。これもまったくの夢物語ですが、連携することによって備品やテクニカルな人材を共有したりね。いまは東京から来てもらわないといけないところを、青森のテクニカル・スタッフや美術設営を得意とする施工会社とネットワークをつくっていくことで、この地域に美術に関する技術を持った人たちが育っていけば。5館あるということは、それだけ仕事もありますから。いろんなアイデアを出し合って、プラスの方向に進めばいいなと思います。

マイケル・リン 無題 © Mami Iwasaki

多くの人が美術館を支え、美術館の独立性を保つ

──最後にプログラムについてお聞きします。十和田市現代美術館は現代美術の美術館ですので、昨年のあいトリ出品作にもあったような、ポリティカルな性質を持った作品を扱う可能性もあると思います。そういった時に、公立の美術館としてどのように「表現の自由」と向き合っていくのか。ここは鷲田さんの経験が活かされるのではないかと思うのですが。

 エデュケーションやラーニングの話になりますが、例えばもしスゥ・ドーホーやロン・ミュエクの作品に普段から身近に接していたら、「これはちょっと自分は嫌だけど、現代美術ってそういうのもあるよね」という受け止め方ができるかもしれない。でも「美術は誰にとっても心地いいものだ」と思っている人が、いきなり政治的な作品に出会ったときには、拒絶感しか抱かなくなってしまう。しかし、美術館としてそういう作品も含めて様々なものを展示できる場自体は担保されなければいけない。

 「美術の作品にはいろんな表現がある」ということに慣れ、見ないまま拒絶してしまうのではなく、まず向き合ってみるという姿勢をつくっていくのが──十和田だけではなく──現代美術館の役割だろうと思いますね。そこは地道に伝える努力をしていかないといけないと思います。

鷲田めるろ

 それともうひとつは、美術館を支えている人を分散させていくということです。つまり、市立の美術館で市だけがお金を出している状況だと、例えば市が政治的な表現をダメだと判断したとき、美術館が専門的な視点から判断することは難しくなってしまう。

 美術館は行政から一定の距離を保って運営されるべきだという「アームズ・レングス」の理念だけでなく、それを支えている人を分散させていくことによって、行政との適切な距離を保てるのではないかと思っています。

 例えば、私がかつて籍を置いたことのあるベルギーのSMAK(ゲント市立現代美術館)は市立の美術館なんですが、市とフランドル政府が両方で資金を出している。そうすると、ゲント市が美術館に対して何か言おうとしても、100パーセント資金を出してるわけじゃないから、その分美術館の独立性は保たれる。

 SMAKのコレクションの半分くらいは市のコレクションですが、あと半分くらいはコレクターの寄託なんです。美術館を支える人をなるべく複数化・分散化していくことを意識しながら美術館活動をしていくことは、地味ですが美術館の独立性を保つための重要な方法かなと思います。

 あいトリは、大村知事が県の行政とトリエンナーレの間に距離を置くべきという見識を持っていたから、展示再開もできた。でも、行政と芸術祭の適切な距離を認識していない人が首長になった場合には、行政の判断で内容に介入されるような事態が生じてしまう。それは、長い時間軸で物事を考えていくべき美術館にとってはリスクでしかありません。方針を首長の考え方によって短期的に変えてしまっては、美術館は果たすべき継続的な活動ができなくなってしまう。

 それをリスクヘッジする意味でも、行政だけでなく、いろんな人に美術館の存在価値を理解してもらい、応援してもらうという関係をつくっていかなければならない。そうすれば、少しずつ人が多様な表現に触れられる余地を広げていけるとは思っています。そういうことを地道にやっていくことがいまはとても大事かなと。

──ラーニング・プログラムもとても重要になってきていますよね。

 そうですね。SNSの普及などによって、美術館が大きく社会に開かれた結果、これまで美術業界の中で当然とされてきた暗黙の了解と世間の感覚の間にまだまだ距離があることを今回のあいトリで痛感しました。その距離を埋めるときに、ラーニングがますます重要な役割を果たすと思います。狭い業界内での暗黙の了解が必ずしも正しいのではなくて、(美術業界が偏ってるだけかもしれないので)世間と向き合うことによって、お互いが当たり前だと思い込んでいることを考え直すきっかけになればと思います。

撮影=小山田邦哉