美術館は「不要不急」なのか? 日本博物館協会専務理事・半田昌之に聞く、ミュージアムの現状と課題
3度目の緊急事態宣言が延長されるなか、美術館界では国立と都立でその再開をめぐり混乱が生じた。文化庁はミュージアムでの安全性を主張し、休館に合理性がないとする。いっぽうで都は人流抑制のために休館を要請したが、劇場など他の施設における対応との整合性がとれていない。こうした状況を踏まえ、ミュージアムをめぐる状況はいまどうなっているのかについて、公益財団法人日本博物館協会の専務理事・半田昌之に話を聞いた。
現場の声が届かない政策決定
──今回の緊急事態宣言も、大方の予想通り延長されました。そのなかでも想定外だったのが、ミュージアムの再開をめぐる国と都の対立です。国は美術館・博物館を再開させようと発表までしましたが、都がこれにストップをかけた。かなりの混乱が見られましたね。
利用者目線からすると、国と都で対応が1本化されたことについては一安心だと言えます。振り返ってみると、文化庁もよくあそこまで踏み込んだなというのが正直な感想です。つまり、美術館・博物館はできる限り開館することによってその役割を果たすべきところであって、感染防止対策もしている安全な状態のなかで、休館しなくてはいけない理由が合理的にはない、ということを文化庁が明言したことは、個人的には高く評価します。それだけ文化芸術、あるいは博物館の存在価値・役割を認識しているということですから。
かたや、東京都の立場も理解できます。規制を緩和する状況にないという厳しい認識のなかで、文化庁から各施設に通達された事務連絡にも、都道府県の方がより厳しい状況だと判断すれば独自の規制を要請することが可能だということは明記さてれている。確かに感染状況は厳しい。だから理屈としては通っていると言えますが、国と都が協議しきれないままに、それぞれの主張が別々に外に出てしまったことが、混乱を招く結果となってしまいました。とても残念です。
──そうした判断の場に、博物館・美術館を担う人々が参加できていないことも問題ではないでしょうか。
状況は刻一刻と変わっていくので、つねにミュージアムの当事者が関わるというのはシステム的に考えても難しいとは思います。ただ基本に立ち返ってみると、こういった社会的危機を迎えているなかで、危機に対応する政策立案のプロセスに現場の声を届ける仕組みはやはり脆弱だと思います。
都にしても国に対しても、現場は対立軸に立つものではなく、ミュージアムというものがそもそもどういう存在で、国民・利用者に対してどういう役割を担っているのかを共有すべきなのです。コロナに限らず社会的危機が訪れたときに、規制をかける必要があればどういう規制をかけ、その代替としてどういう情報発信をしていけばいいのか、ということを共有しながら政策を立案する、同じ土俵に立って議論するような体制づくりが必要でしょう。今回の混乱をひとつの学習機会として、そういう仕組みづくりを自治体の大小に関わらず、国も自治体もその規模の大小に関わらず、前向きに考えていただきたいですね。
コロナになってから1年以上が経っており、各現場にも様々な経験と知恵が蓄積されています。それにも関わらず政策にあまり活かされていない。もちろん、国や自治体の決まった方針に従うのは当然のことですが、それを決めるプロセスに現場の状況や実態が反映できるような仕組みがあれば、現場も納得できるのではないでしょうか。プロセスが共有できていないことが、強いストレスになってしまっている。
──そういう仕組みづくりにおいて、日本博物館協会が行政にコミットする可能性はあるのでしょうか?
公的な機関として、日本博物館協会のような機関がそういう役割を求められるのは当然のことで、もっと努力が必要だと思います。そのうえで、私としてはミュージアムに限らない文化芸術セクターのプロフェッショナル同士がより緩やかにつながり、現場の意見を反映できる政策提言グループ、コンソーシアムのようなものがあればいいのではないかと考えています。
──コロナから1年が経ち、文化芸術セクターが大きな影響を受け続けるなか、そうした仕組みづくりは喫緊の課題だと感じます。
いまの状況だと、国立・都道府県立・私立を問わず、各施設が主体的な主張をしにくい環境にあると思います。自分の館は安全だと明言できたとしても、開館/休館は上位にあるマネージメントレベル、設置者の考えに大きな影響を受けてしまう。最終的にその考えには従うべきですが、その考えが共有されず、しかも上から降りてくる話自体が今回みたいに二転三転してくると、現場は右往左往しながらそれに対処せざるをえない。それ避けるためには、横串の刺さった、現場の実情を反映した信頼性の高い組織や仕組みみたいなものがあればいいなと強く感じます。
厳しさ増すミュージアムの経営
──今回の休館延長もそうですが、コロナ禍から1年以上が経過し、ミュージアムの経営状況は厳しさを増すいっぽうです。
少なくとも3年から5年はダメージが続いていくでしょう。ブロックバスター(メディア共催の大型展覧会)にしても、長蛇の列を成すような展覧会には戻れないでしょう。この1年で日時予約制などの導入も進み、ユーザーフレンドリーな鑑賞環境が提供されるようになった。つまり、本来あるべき美術館の楽しみ方を手に入れたと思っている人もたくさんいるのではないでしょうか。今度はパンデミックが解消されたとき、どこに戻るのかが美術館・博物館は問われている。ユーザーフレンドリーの考え方と、自己収入を上げていく事業展開の在り方のバランスをどこでとるのかということが、これからのミュージアム経営では求められると思います。いままで通りの手法ではなかなか難しいし、とても大きな曲がり角に来ているなという気がしますね。
海外ではすでに昨年の春頃から職員の雇用問題が表面化してきました。最近ではアメリカのメトロポリタン美術館が経営状況改善のためにコレクションを売却するという話も出ています。日本は一見、まだそこまでではないように見えますが、内実は非常に厳しい。
注視すべきは、その厳しい経営環境がミュージアム活動のどの部分にしわ寄せが行くのかという点です。国も自治体もコロナ対策で大幅に支出が増えて、蓄えも使い込んでいますよね。ミュージアムを持っている企業も苦しい状況です。去年は2020年度予算が決まった後のコロナ禍だったので、なんとか動けたところもありましたが、今年度から来年度にかけ、中期的な視点から見ると予算的には非常に厳しいでしょう。ベーシック・インカムをどう確保するかはミュージアムにとっては喫緊の課題です。
持ちこたえる体力がある施設はいいですが、それはほんのひと握りでしかない。いままで使っていたお金のどの部分を切るのかを考えなければいけない施設も出てくるでしょう。そういったときにミュージアムの理念を共有し、経営を長期的にどう支えていくのを考えるメンバーの存在が重要なのです。
先ほどの話にも通じますが、ガバナンスとマネジメントを担う人々がミッションや社会基盤としてのミュージアムの役割を共有していれば、減った予算のなかで何を優先して機能を維持するのかという生産的な話ができる。逆に理念や存在意義が共有できていないと、どうしてもそれぞれのあいだに齟齬が起きてしまします。いまの日本のミュージアムのとても深刻な問題はガバナンスとマネジメントの両方がきちんと機能しているところが少ないという点です。そうなると「100あった資源が80になるので20をカットする」という話が出たとき、「要らないものは捨ててしまえ」「物を買うなんてとんでもない」ということになりかねない。
──作品購入などもってのほか、となるわけですね。
現状でも6割のミュージアムは作品購入予算ゼロでと言われていますからね。寄贈で受け入れるにもコストがかるので、それもできなくなる。ガバナンスとマネジメントと現場のオペレーションのあいだに理念が共有できていないと、結局は作品収集や調査研究といったミュージアムの基本機能が打撃を受けてしまう。そうした状況が広まることがまさにいま、懸念されています。
──海外ではコロナで再開できないままに閉館、というケースもあります。
日本でも皆無ではありません。開館の継続が危ぶまれたり、日本博物館協会の年会費の数万円が支払えないので退会する、というケースは実際に起きています。またコレクションを“トリアージ”して、優先度の高くない所蔵品を売って運営費に回さざるを得ないと考えているようなところもあります。個人で経営されている施設なども、このままの状態では早晩成り立たなくなるというも少なくはないでしょう。
ミュージアムは必要な作品・資料を収集して保管するコストの積み重ねでその役割が果たせる施設でもあるわけです。そもそもコロナ以前から収蔵庫は大きな課題であって、スペースだけでなくコストの問題も深刻でした。コストをかけてまでコレクションを増やしていく必要性があるのかと問われたとき、コレクションの価値を語る館長や学芸員の力が必要になりますが、説明ができても予算が付かなければ、収蔵庫問題はまた先送りされていく。
ミュージアムを続けていかなくちゃいけないと志を持っている博物館人はたくさんいると思いますが、今回のような危機に瀕したときに、何を維持すべきで何を縮小するのかというコンセンサスがないままでは、ミュージアムの持続可能性は担保できません。
ミュージアムは未来のためにある
──この1年、文化は不要不急なのかという議論もずいぶん出ました。
個人が孤立し、孤独感が増幅されていくなかで、「ミュージアムを含む文化芸術セクターが果たせる役割がある」という認識はミュージアム関係者だけではなく、一般にも広がりつつあるのではないでしょうか。ミュージアムはできるだけ日常のなかで活動を続けていく努力をしなくてはいけないし、行政も我々も、そのことを大事な共通認識として考えていけるような世界であるべきだと思います。
博物館の体力が弱っていくだけに任せておくと、記憶をモノとコトの両面から留め置き、次世代に渡していくという機能自体が弱ることになります。モノの集積はコレクションとなり、それぞれのモノの価値を情報化する学芸員の仕事が「ものごと」としての記憶を積み重ねていくことで、いまを生きる私たちはその情報を次の世代に引き継ぐことができます。ミュージアムは未来のためにあると思うんです。私たちは未来を想像することはできるけど見ることはできない。私たちが描いている未来はすべてが過去のなかから拾い集めたイメージの欠片なんです。その欠片を集めておかないと、未来は描けません。拾い集めた欠片を留め置いて、そのパーツがどういう意味を持っているのかを語っていくことこそが、ミュージアムのひとつの大きな役割なのです。
──今回のお話に通底することですが、そうした考えをミュージアムも行政も共有することが、今後の文化芸術政策における要ですね。
そうですね。いまの経済、あるいは10年先の経済に文化が貢献しなくてはいけない、というのはもちろん大事なことだとは思いますが、やっぱり大事なのは300年とか500年先の未来のためにいまを残していくこと。世代間の継承ができないということは、日本にとっても全地球にとっても非常に悲惨なことですよ。まだ生まれていない世代の人たちに歴史や文化を引き継ぐというミュージアムの使命は何事にも代え難く重要であり、ミュージアムに求められている本来的な社会的使命であり、魅力なのです。その考えが社会全体で共有できればいいですね。