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2021.8.10

「人間」に迫るドキュメンタリーとして鎧兜をつくる。野口哲哉インタビュー

鎧と人間をテーマに立体や絵画の制作を行い、多様な文化や感情が混ざり合った作品を通じて、現代社会の構造や、人類の歴史において普遍的に受け継がれてきたものを問いかけてきた野口哲哉。鎧兜というモチーフを選択する理由や、多様な制作技法を支えるデッサン力などについてインタビューした。

聞き手・文=安原真広(ウェブ版「美術手帖」編集部)

野口哲哉
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──野口さんのこれまでの作品を総覧できる展覧会「野口哲哉展 this Is not a samurai」が、高松市美術館を皮切りに、山口県立美術館、群馬県立館林美術館、刈谷市美術館と巡回しています。展示についての所感をお聞かせいただければと思います。

 私自身、制作を純粋に楽しんできた結果ですし、各作品、楽しかった思い出ばかりですね。いっぽうで、できなかったこともたくさん見えてくるので、今後の制作に向けて考えを深めることができそうです。

 今回、コレクターの手に渡っていた作品も展示のために集まりました。自分の作品が売れて誰かに所有されるということに、大きな注意を払わずに活動してきたのですが、こうして美術館の展示のときに全部そろうことはとても嬉しいですね。転売が重ねられ、作品の行き場所がわからなくなってしまう作家さんもいると聞いたこともありますが、こうして揃うことは幸せです。ギャラリーさんとの信頼関係の証ですね。作家のみならず、展示をつくる人、作品を売るプロ、買う人、鑑賞する人、それぞれが高いレベルで噛み合うことで良いものが生まれる、美術のシステムのおもしろさを改めて感じることができました。

「野口哲哉展-THIS IS NOT A SAMURAI」(2021、群馬県立館林美術館)展示風景より

──これまで一貫して鎧兜姿の人物をモチーフに立体作品や絵画を制作してきました。野口さんが鎧兜に出会ったきっかけは何だったのでしょうか?

 最初に鎧兜と出会って興味を持ったのは、家族旅行で旅館に飾ってあったものを見たのが最初だったと思います。とにかく怖かったことをよく憶えていますね。何かの抜け殻にみえたんですね。海老とか蟹じゃないですが、中身がいなくなった殻の姿に強い興味を覚えました。なぜ同じ人間がこんな姿になってまで生きていないといけなかったのだろう、と。 

──野口さんは鎧兜のどのようなところに惹かれるのでしょうか?

 鎧兜といっても、要するに当時のプロダクトだったわけで、時代を経るにつれて環境や素材、技術なども変遷して姿が変わっていきます。それが、人間の手によって施された有機的な進化のようで魅力的なんですね。

 とはいえ、私が一番重視したいのは「肉体を護るために人間は殻を必要とした」ということなので、「鎧兜ではしゃいではいけない、コスチューム・オタクになってはいけない」ということも強く意識しています。鎧兜は生存のなかで人が生み出した切実性があるので、その殻を見つめると中に入っている人間のことが理解できる気がするんです。甲冑は着る側の配置や経済状態によって種類が変わりますし、目的によるデザインの違いもあります。現代における洋服がその人の趣向や人物像を反映していることと同じようなことが、甲冑にも現れているんんです。だから、鎧のことを考えると、合理性や、命の軽重、痛みや恐怖に対する処方箋としての役割が垣間見えてくるんです。「武士の心」を知る前に、ちゃんと「人間の心」を知りたいと思いながら制作しています。

「野口哲哉展-THIS IS NOT A SAMURAI」(2021、群馬県立館林美術館)展示風景より、野口哲哉《Talking Head》(2010)

──学生時代は油画を学んでいた野口さんですが、モチーフとしての鎧兜にどのようにしてたどり着いたのでしょうか?

 幼いころから絵を描くことが好きで、ロボットや怪獣、人の顔まで、分け隔てなく色々なものを描いてきました。大学では油彩の写実絵画を専攻し、人物や静物を描いてきましたが「見たものをリアルに写す」ということへの興味がずっとあったんだと思います。

 同時に、鎧兜への興味もずっと持ってはいたのですが、その興味は絵を描くことと統合することはなく、異なる好きなものが併走しているという時期が長かったと思います。鎧兜というのは日本画のカテゴリーで扱うものであって、モチーフとするためには写実絵画を捨てなければいけないのではないか、という妙な先入観がありました。

 意識的に両者を統合しようと思ったのが大学院生の頃で、ドキュメンタリー的な視点で鎧兜を扱ってみるという視点で、現在の作風への糸口を見つけることができました。

「野口哲哉展-THIS IS NOT A SAMURAI」(2021、群馬県立館林美術館)展示風景より、左から野口哲哉《ホバリングマン浮遊図》(2008)、《着甲武人自転車乗車出陣影》(2008)

──写実絵画の出身でありながらも、野口さんの作品は大和絵風に描いたものから、西洋絵画風のもの、そして多様な立体作品まで、その作風は多岐にわたっていますね。

 それらを成り立たせるために大切な物があるとすれば、デッサン力なんだと思います。表面的な描写力ではなく、根本的な技術を大事にしたいですね。大和絵は大和絵、西洋絵画は西洋絵画とそれぞれ別の筋肉を使うわけではなく、じつはデッサン力があれば両者に対応できるのではないかと思っていますし、実際にデッサンの技術が色々な制作に対応できる力を与えてくれたような気がします。

 立体作品にしても、学生時代にオーブンで焼くと固まる樹脂粘土を使って人間の裸体をつくり、解剖学的な検知からデッサンを試みたことが誕生のきっかけでした。裸の人体の造型は、人体の骨格をわかっていないとつくれないので、解剖学の知識が絶対に必要なんですよね。こうしてつくった像も裸のままだと寂しいので、せっかくだから服を着せようと鎧兜をつくってみることにしたんです。

 鎧兜も人間の外骨格のようなものなので、人体のことを研究したノウハウが応用できました。最初は粘土の造型だったのですが、リアルなものにしたくなり、本物の鎧のパーツを参照しつつ、縮尺を小さくして組み合わせていくという実験を繰り返していまに至ります。僕は以前、鎧兜は鉄と漆の産物であって、それを使うことでこそ迫真が宿ると思っていました。でも、じつは造形の本質って素材じゃなくて造形性にあると思うんです。形態感がしっかりしていて、コンセプトに筋が通っていると、樹脂でも粘土でも、鎧兜の迫真は宿ると思うようになりました。優れた油彩画は、油絵具で陶器のお皿を描いても迫真の描写が成立しますしね。

「野口哲哉展-THIS IS NOT A SAMURAI」(2021、群馬県立館林美術館)展示風景より、野口哲哉の作品制作のメイキング

──彩色も作品のリアリティに寄与していると思いますが、画材についてはこだわりをお持ちなのでしょうか?

 じつはこだわりはあまりなくて、立体作品の塗装には一部に油絵具をつかっていますが、それも部屋にあった身近な画材なので使い続けているだけです。本当はもっと良い彩色手法があるのかもしれませんが。

 絵画にしても、レンブラント風の作品であろうが大和絵風の作品であろうが、すべてアクリル絵具で描いたりしています。結局はどんな素材で描くかではなく、どんな技法で描くかが大切だと思っていますし、そこはもっとも頑張るべきところだと思っています。

──野口さんは兜を被ったレンブラントの自画像を描いた《AD1660 〜日本の兜を被ったレンブラント〜》(2017)など、レンブラントの画風を模した絵画作品も発表しています。レンブラントという画家に強い思い入れがあるのでしょうか?

 じつはレンブラントって徳川家光と同時代の人間なんです。レンブラントが交易を通じて日本の兜を所有していた記録も残っています。そんな興味深い事実をもとにして、あの作品を描きました。

 レンブラントが活躍した17世紀のオランダは、世界との貿易が盛んになり、文化の激しい交雑が生まれています。そして、当時のヨーロッパに日本のものがたくさん入っていたということは、日本にもヨーロッパをはじめ、東南アジアや中東といった世界中のものが幅広く入ってきていたはずです。日本の中で独自に発生したと思われている奇抜な鎧兜も、じつはほかの文化圏の刺激を受けて進化していた可能性が高い。僕はそのことにとても勇気づけられます。文化の胎動のようなものを感じるんですね。進化の本質は混ざることと姿が変わることだと思うので、自作においてもそこを意識しています。

「野口哲哉展-THIS IS NOT A SAMURAI」(2021、群馬県立館林美術館)展示風景より、野口哲哉《AD1660 〜日本の兜を被ったレンブラント〜》(2017)

──鎧兜をまとった姿に注目が行きがちですが、野口さんの作品は絵画も立体も人物の表情は独特のものがあります。モデルなどはいるのでしょうか?

 私の作品の人物ははっきりとした喜怒哀楽の表情はなく、表情を抑制的につくる傾向があります。でも、作品を見た方からは、表情が生き生きしているという感想をもらうこともあって、それはすごく嬉しいですね。人間が本当に生き生きする表情って無表情かもしれないと思っています。人は多くの時間を名づけようのないニュートラルな感情で生きているはずなのに、どうしてもお芝居ごとになると喜怒哀楽を詰め込もうとしてしまうので、それは避けています。私がレンブラントを好きなのも、彼の描く表情がニュートラルだからなのかもしれません。喜怒哀楽といった感情を詰め込んだり、ポーズを決めすぎていない。人間に対する視点に共感できるんです。

 特定のモデルはいないのですが、強いていうのであれば日本人にしても外国人にしても、画家や音楽家、哲学者といった人物の顔をモデルにすることが多いかもしれません。好んでそういった人物たちの顔をつくりたいというよりは、自分の好きな顔の人を調べていると自然とそうなることが多いんです。

 例えば、いまのサラリーマンは生産業なので昔のお百姓に該当するわけですが、武士は生産の管理者なので国家公務員に近い。知識階層ですね。警察であり、軍人であり、管理者である。しかしそれは同時に、私たちと同じ、誰かの子であり、親であり、友人でもある……。優しさや暴力性、複雑な感情を包含する人間という存在でもあります。「キャラクター化」のなかには決して宿らない、人として当たり前の灯火みたいなものをどんな職種にも探していきたいですね。それが私にとってのアートの眼目です。

「野口哲哉展-THIS IS NOT A SAMURAI」(2021、群馬県立館林美術館)展示風景より、野口哲哉《Red Man》(2008)

──西洋美術についてのお話はありましたが、いっぽうで日本美術ではどういった作品に惹かれますか?

 ライブ感があってドキュメンタルなものが好きですね。鎧兜を着た人を描いた日本美術はたくさん残っていますが、大きく分けてふたつに分類されます。実際に鎧を着慣れた侍に取材して描いたドキュメント絵画か、侍のふりをしている役者を描いたものか。それは野生のライオンのドキュメンタリー番組と、お芝居の『ライオンキング』くらいの差があります。リアルなものに興味がある僕は、やはりドキュメンタルであることが重要なんです。侍に憧れて勇壮優美にキャラクター化した絵画ではどうしても知性の奥行きというか、人間的な厚みを感じることができない。自然界のドキュメントな姿のなかに、無限の広がりと可能性を感じるんです。

──今後の制作についての展望を教えてください

 侍や鎧兜って、そこまで特殊なものではないと思います。あくまでローカルな一例に過ぎないと思うんですね。でもだからこそ、そのローカルな世界観を使ってグローバルな世界を考察するきっかけにできると思います。

 一部の物理学者は、お風呂のお湯や、サイダーの泡から宇宙を読み解く手がかりを得るらしいですが、その気持ちが本当によく理解できる。そのために必要であれば、どんなバイアスだって外して世界を観察したいです。

 ありがたいことに、海外で展示をしても広く興味を持ってもらえますが、「日本的な侍だから良い」という評価はそこまで多くないんですよ。僕たちが思うほど、世界は侍に興味がない(笑)。興味があるとすれば、自分と異なる時代や文化を生きる、人間に対してなんです。ヒューマニズムやユーモア、インテリジェンスなどを互いに響きあわせて、人間について考える契機となれば嬉しいと思います。

「野口哲哉展-THIS IS NOT A SAMURAI」(2021、群馬県立館林美術館)展示風景より、中央が野口哲哉《Think Of Operation -工学の鎧-》(2011)