篠原有司男が語る、創造のエネルギー。「感動できる人間じゃないと絵を描き続けられないね」
ANOMALYで個展「吾輩のパンチがオーロラに炸裂!」が開催中の「ギュウちゃん」こと篠原有司男。1950年代に東京で作品の発表を開始し、ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズの活動を経て69年にロックフェラー三世奨学金で渡米。以降、ニューヨークを拠点とする彼に、ボクシング・ペインティングのパフォーマンスを終えた直後に話を聞いた。
──おつかれさまでした。ボクシング・ペインティングは非常に盛り上がりました!
作家としては爽快感があるし、見る側も楽しんだりショッキングだったりいろんなものがあるでしょ。やる側も見る側も楽しめるから長く続けられてるんだね。だけど準備は大変よ。今回は色も変えようとなって、ボクシングのグローブも最低8個から10個は用意しないとならない。東京に来てから隔離期間があったから、ホテルでつくったよ。僕の場合は戦前派で小学校の頃には飛行機の模型やなんかつくってたから、手仕事がずーっと背骨に染み付いてるんだ。
──1点は黒1色で、もう1点は4色を使ってパフォーマンスされましたが、アクリル絵具の準備も大変そうです。
そうよ。絵具屋さんでチューブで買うわけじゃないからね。バケツで買って、それをでかいタライみたいなのにぶっ込んで練るわけよ。練るったって筆じゃなくて、モーターの先にかき混ぜるやつがついたマシンを使うわけだ。それを練るのにも飛び散らないようにテクニックがいるのよ。塩梅を見て、汁粉を混ぜるような感じだよね。そういう準備はすごいよ。
──ボクシング・ペインティングは1959年から61年頃にかけて実験と実践を繰り返されたそうですが、最初に手応えを感じたときのことを教えていただけますか。