イッタラはなぜ世界的ブランドになれたのか? フィンランドの歴史と社会から解き明かす
ガラスや陶磁器の分野を中心に、フィンランド・デザインを代表する製品を生みだしてきたライフスタイルブランド・イッタラ。その日本で初めてとなる大規模展「イッタラ展 フィンランドガラスのきらめき」が(Bunkamura ザ・ミュージアム)で開催されている。イッタラ・デザインの成り立ちやデザイン哲学について、本展をキュレーションしたハリー・キヴィリンナ(フィンランド・デザイン・ミュージアム展覧会担当上席学芸員)が、戦後フィンランドの歴史と社会の視点から解き明かす。
カイ・フランクと敗戦国フィンランド
デザイン先進国として知られるいっぽう、世界でもっとも若い在職中の女性首相の誕生や、ウクライナ危機に伴うNATOへの加盟交渉など、昨今世界の注目を集めるフィンランド。ハリー・キヴィリンナ氏(フィンランド・デザイン・ミュージアム展覧会担当上席学芸員)によれば、イッタラのデザインを理解するうえでも、戦後フィンランドの外交や社会を考えることは重要だという。
「デザイナーがどのようにイッタラ製品のデザインにアプローチしたのか。どのような需要がイッタラのデザインを支え、育てたのか。イッタラ・デザインの根底にあるものを考えるうえで、その時々のフィンランドの歴史や政治、社会情勢を知ることは欠かせません。展覧会でもその視点に触れています」とキヴィリンナ氏は語る。
例えば、1950年代に機能性と美の融合を追求し、イッタラを含め器のデザインに革命を起こしたと言われるカイ・フランク。彼のデザインは、当時のフィンランドの人々の暮らしの切実な要求に応えて考え出されたものだという。
「戦後のフィンランドでは、多くの人々が集合住宅で暮らすようになりました。都市への人口流入と住宅不足は世界的な傾向でしたが、フィンランドの場合は政治的状況に大きく影響されました。フィンランドは1939年にソビエト連邦に侵攻されたのち、3つの戦争を経て44年にソ連と休戦協定を締結。第二次大戦を敗戦国として終えました。ソ連へ大規模な領土割譲が行われた結果、住む土地を失った40万人もの避難民が都市に移住せざるを得なかったのです」。
戦禍で発生した国内の難民問題。広大なフィンランド東部の戸建てから、都会に移り住んだ人々を悩ませたのが、空間の限られた集合住宅での暮らしだった。