エゴン・シーレ展ゲスト・キュレーター、ディータード・レオポルドに聞く(2) 心理学者として見るシーレ
東京でエゴン・シーレの大規模展「レオポルド美術館 エゴン・シーレ ウィーンが生んだ若き天才」が約30年ぶりに開催されている(東京都美術館・4月9日まで)。ウィーンのレオポルド美術館の所蔵するコレクションを中心にシーレの作品50点を紹介する展覧会のゲスト・キュレーターを務めるのが、ディータード・レオポルド氏だ。レオポルド氏は、コレクションの創設者で同館の初代館長であったルドルフ・レオポルドの次男である。コレクター家の一員であり、キュレーターも務めるレオポルド氏に、コレクションの成り立ちやシーレ作品の分析などについて語ってもらった。
コレクションとともに育ったからこそ
世界でも先駆的なシーレのコレクターであったルドルフ・レオポルド氏の次男であるレオポルド氏。日常生活の中にシーレの作品が掛けられている家に育ったという稀有な経験は、シーレ作品に対する見方に、美術史家とは違った視点をもたらしているという。
「一般的な美術史の視点からは、エゴン・シーレの創作は通常ウィーン分離派の活動の一例として受けとめられています。シーレの作品には、自己の在り方について問う実存主義的な性格や、タブーを厭わない挑戦的な姿勢が明らかに見られます。いっぽうで、たとえ心を病んだ人を描いても、彼は対象を視覚的にある種の美しい表現に仕上げています。創作活動全体を概観すれば、分離派の美学から遠く離れることはなかったと言えるでしょう。美術史家であれば、これらの点を考えて、どうしても彼を『ウィーン世紀末の画家』という美術史の文脈に位置づけて考えるわけです」。
「これに対して、私の場合は幼いときから既にシーレ作品に囲まれていた経緯があるので、作品を見る際に歴史的背景に結びつける作業は行いませんでした。むしろ、作品をほとんど現代的なメッセージとして受け止めていたのです。過去の歴史に生きた人物としてではなく、あたかもいまも生きている人物であるかのようにシーレを見ている、ということです」。
前知識や予断の無い、幼い頃からの純粋な美的体験が、歴史的観点に縛られないレオポルド氏の向き合い方をかたちづくったようだ。さらに自宅という私的空間でシーレ作品に対峙できる環境も、ディータード氏の特異な作品評価に関係している。
「シーレのドローイングやグワッシュなどの紙作品は、生前から非常に高く評価されています。迷いのないデッサンやユニークな構図を多くの人が評価していますが、私はシーレの描く描線そのものの力に注目したい。木炭など柔らかい画材による太い描線からはとくに、視覚だけでなく、私たちの身体感覚に訴えかけるような刺激を感じます。ガラス越しでない、むき出しの生の状態のドローイングに向き合うと、描線から生まれる波動や共振を自分の身体にはっきりと感じることがあります。仮にシーレの本物の作品が掛けてある空間と、同じ作品の複製のポスターが掛けてあるまったく同じ空間があるとしたら、二つの空間の中では皆さんも『なにかが違う』と体感できるのではないかと思います」。