シャルロット・デュマはなぜ馬と少女を撮り続けるのか
小山登美夫ギャラリー六本木と天王洲の2会場で個展「Ao 青」が開催中のシャルロット・デュマ。馬と少女を被写体に写真と映像作品を手がける背景、インクドローイング作品に込めた思いなどを聞いた。
2020年に銀座メゾンエルメス フォーラムで開催された個展「ベゾアール(結石)」で、2点の映像作品《Shio 潮》《Yorishiro 依代》に染色家のキッタユウコが琉球藍で染めたオーガニックコットンや同タイトルの写真作品、さらには球状の立体作品を思わせる馬の体内で見つかった「結石」などを組み合わせてインスタレーションを展開したシャルロット・デュマ。小山登美夫ギャラリーの2会場では、六本木で写真とインクドローイング、小映像作品を、天王洲で本編と呼べる映像作品《Ao 青》を組み合わせた複合的な展示を見せる。映像を軸に3部作を展開した彼女は、「すべてがオーガニックに進んだ」と語る。
2014年、日本の在来馬との出会い
──日本の在来馬を撮影したのが2014年だと伺いましたが、その経緯を聞かせていただけますか。
シャルロット・デュマ(以下、デュマ) 話を遡ると長くなってしまいますが、ふたり目の娘を妊娠していた頃に、林業で利用される馬に興味をもってイギリスで撮影するようになりました。キャリアの初期から動物を撮り続けていましたし、私が住むオランダからも遠くないイギリスで研究されている新たなエコロジーのあり方や、サステナブルな林業への関心もあったことがきっかけです。そこで撮影するチャンスを得ると、イギリスの林業で働いていた馬が、アメリカのアーリントン国立墓地(注:米軍が運営する国立の戦没者慰霊施設で、軍馬たちは兵士の棺を運ぶ伝統的な埋葬式に従事する)にもいることがわかり、アーリントンでも撮影することができました。
そしてそのイギリス人の林業者から、馬とともに林業に従事する方法を指導するために日本に行く予定だと聞いたのですが、ちょうど私もアーリントン国立墓地で撮影した作品を東京のギャラリーで初めて公開することが決まっていたので、日本で木曽馬を用いて林業に従事する人物にコンタクトを取るチャンスではないかと感じたのです。また、作家で環境保護活動家でもあるC.W.ニコルさんと知り合うことができたのですが、彼からも日本には8種の在来馬がおり、まず木曽馬という長野の馬を撮影してはどうだろうかと勧めていただきました。侍が使用していた種であり、人との関係も古い馬なので絶対に気にいるはずだから、と。実際にとても美しい馬でした。これは続けようと、日本の8種の在来馬を撮影するきっかけとなったのが木曽馬との出会いでした。
──現存する8種の在来馬(長野・岐阜の木曽馬、北海道の道産子、宮崎の御崎馬、対馬の対州馬、愛媛の野間馬、トカラ列島のトカラ馬、与那国島の与那国島)の撮影を続け、《Shio 潮》《Yorishiro 依代》といういずれの映像作品も与那国で撮影されました。なぜ与那国だったのでしょうか。
デュマ 与那国という島に恋に落ちたきっかけは、この島だけに長く暮らし続ける与那国馬を魔法のような存在だと感じ、その動く姿を映像に収めたいと思ったことが始まりです。しかしながら、与那国での撮影を始める動機は馬たちの存在でしたが、馬も含めた島そのものへの興味が大きくなり、クブラバリの神話について調べてゆくと、島の闇の側面にも行き当たりました(注:久部良地区の岸壁に、幅3メートル、深さ7メートルほどの岩の割れ目が15メートルに及び続いており、18世紀の琉球王朝時代、人口を調整するために妊婦をその割れ目に連れて行き、飛び越えられたものだけに出産を許すという口減しに、その場所の神話が転用されたと言われている)。同時に「ゆず」という沖縄生まれで愛馬の「うらら」と日常をともにする少女との出会いもあり、フィクションの要素が頭の中で膨らんでいったのです。