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2023.4.15

「デザインは人間の幸せという目的のために調整していく行為」。河北秀也が「iichiko design」から見た日本の風景とは

大分県立美術館で2月11日~3月29日、ロングセラー商品「いいちこ」のアートディレクションを長年手がけてきた河北秀也の企画展「イメージの力 河北秀也のiichiko design」が開催された。約50年にわたって業界を牽引し続ける河北がデザイナーを志したきっかけから、「いいちこ」との出会い、そして数々の仕事を通して見えた日本社会への提言まで、インタビューを通じてお届けする。

聞き手・文=三澤麦(ウェブ版「美術手帖」編集部) 撮影=稲葉真

河北秀也 撮影=稲葉真
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「ジャーナリストかデザイナー、もしくはレーサーになりたいと思っていたんです」

──東京藝術大学の在学中からデザイナーとして活躍されていた河北さん。デザイナーという職業を志したきっかけはなんだったのでしょうか。

河北秀也(以下、河北) 高校1年のときに転校したんです。理系なのか文系なのか、何系の大学に行くか、そもそも何になりたいのかを悩んでいたとき、自分はジャーナリストかコミュニケーションデザイナー、もしくはカーレーサーになりたいと思ったんです。一見関係がないように思えるこの3つの職業には共通点があります。現場を冷静に観察・取材して報告するのが、ジャーナリストの仕事ですよね。デザイナーも現実をしっかりととらえて、それに見合ったデザインをする。レーサーは難しい道を高速で正確に走るんですよ。これはどれも同じような仕事だなと思ったんです。そのなかからデザイナーを選んだ理由は、1964年に東京オリンピックのポスターを見て、こんな仕事がやりたいと思ったからなんですね。

──レーサーを目指していたとは驚きです。藝大卒業後はデザイナーを志し、日本ベリエールアートセンターを立ち上げられたのですね。

河北 「日本ベリエールアートセンター」って長ったらしい名前ですよね(笑)。本当は、日本アートセンターっていう名前にしたかったんです。その頃はアート系をやるのか、デザイン系をやるのか、はっきりとは決まっていなかったんです。しかもすでに「日本アート・センター」も「日本デザインセンター」も存在していました。

 そのとき地下鉄駅のすぐ横に「ベリエール」っていう喫茶店があったんですよ。ベリエールってフランス語でおひつじ座って意味で、たまたま当時の社員全員がおひつじ座だったんです。だから「日本ベリエールアートセンター」になりました。

河北秀也

──先日は大分県立美術館で企画展「イメージの力 河北秀也のiichiko design」も開催されました。「いいちこ」に携わられて約40年。「変わらない風景」を提示し続けてこられましたが、その背景はどのようなものだったのでしょうか。

河北 この40年間で世のなかがものすごく変化したので、それに合わせて広告媒体やデザイン制作の方法も増えていきました。1984年、いいちこの広告は1枚のポスターから始まりましたが、人がそんなに見ないポスターはマスコミ4媒体(テレビコマーシャル、ラジオ、新聞、雑誌)には入っていませんでした。テレビコマーシャルなんかは大企業しか出せないような広告費用がかかりますから。

 当時、いいちこの酒造メーカーである三和酒類株式会社は大分県宇佐市の小さい会社でした。そのため、東京に広告を出す際はいちばん費用の安いポスターを選んだんです。6〜7駅に1週間張るというのが1単位になっていて、銀座線と日比谷線、丸ノ内線に1週間ぐらい張ろうと思ってお願いしました。こういった方法で細々とやっていこうと思っていたところ、じわじわと売れ始めたんです。

「イメージの力 河北秀也のiichiko design」展示風景より、手前は1984年4月に掲載された第1作目「A-1 1984年4月 東京」

日本の 「美しい風景」 を探しに、海外へ

──いいちこのポスターは主に海外での撮影が多いと伺いました。それはなぜでしょうか。

河北 日本の「美しい風景」を探しに、あえてヨーロッパやアメリカに行っているところがあるんですよね。これとかもロンドンの桜なんですよ。ぱっと見たときに、日本かどうかわからないような風景にしています。

 日本でこのような風景を撮影するのは難しいんですよ。木に似せたコンクリートの杭があったり、「餌をあげないでください」といった看板がたくさんあったり。どこか1ヶ所だけならば撮れるんですけれども、あちこち巡りながら周辺を撮影しようとするとできないんです。その理由は、日本には文化がないからだと考えます。

右下が1986年12月に掲示されたロンドンの桜を写したポスター
「イメージの力 河北秀也のiichiko design」展示風景より、手前は「A-88 1991年2月 スイス」

──「日本の風景」を海外で撮影するというミッションがあったからこそ、その対比が浮き彫りになりますよね。具体的にどのような点において「日本には文化がない」と感じますか。