横尾忠則が語る「寒山百得」。「観念と言葉を排除して描き続けた」
東京国立博物館 表慶館でスタートした「横尾忠則 寒山百得」展。中国の唐代に生きたとされるふたりの伝説的な詩僧にして、美術や文学の主題となってきた「寒山」と「拾得」を独自に解釈し、横尾はおよそ1年半のうちに102点の絵画を描き上げた。アトリエを訪れ、その制作について話を聞いた。
「自分のなかの『ちっさい私』」
──2020年に国立新美術館で開催された「古典×現代2020—時空を超える日本のアート(以下、古典×現代)」に2点、2021年の東京都現代美術館「GENKYO 横尾忠則 原郷から幻境へ、そして現況は?(以下、GENKYO)」にも出展された「寒山拾得」シリーズが、ついに全貌を現します。どのようなきっかけで「寒山拾得」という主題で作品を描こうと考えたのでしょうか。
これまでに中国からの影響もあって、日本の水墨画の伝統で多くの画家が「寒山拾得」を描いてきました。それだけみんなが興味を持つテーマなんだということはわかったけど、僕は「気持ち悪い人物を描くものだ」と思いながら見ていた(笑)。しかし、あるときに森鴎外が「寒山拾得」をテーマに著した短編を読んで、非常に興味を持ちました。「風狂の禅僧・詩僧」などと呼ばれているけど、伝記があるわけではないし、どうも架空の人物のようだと。一種の(人格化された)理念ですね。
寒山拾得の親玉みたいな存在である、豊干(ぶかん=寒山と拾得を養ったとされ、豊干禅師とも呼ばれる来歴不詳の唐の禅僧)の創作ではないかと僕は勝手に解釈しているわけです。既成の枠をはずれて自由自在に活動させられるわけですから、その生き方を美術に置き換えたらこれほど適切なテーマはありません。それで曾我蕭白の「寒山拾得」がとくに気持ち悪かったので、これを描いたのが始まりですね。
──「古典×現代」で発表された2点の作品ですね。
あの2点で寒山拾得とは「はい、さようなら」のつもりでした。こんな気持ち悪いやつにはもう関わりたくないと、そんな感じでしたよ(笑)。でもなんだか残火に火がつくような感じで、東京都現代美術館の「GENKYO」展の最後の部屋でも何点か描きました。
──「GENKYO」展では、膨大な数の作品を展示された最後に「寒山拾得」がモチーフの作品が展示され、画風も新たにして改めて創作が始まっていく予感がしました。
僕はあそこで終わったつもりだったんですが、どうやら始まりだったようです。東京国立博物館で展示をするなんて想像していなかったし、なんだか自然と始まってしまいましたね。
──そして2021年秋の「GENKYO」展終了後から、猛烈な勢いで残り100点近くの「寒山拾得」が描かれたのですね。
最初は蕭白の「寒山拾得」がありましたが、10点か20点を描いたところでこのテーマを理解できはしないだろうと思い、「寒山拾得」の「拾」を「百」に変えて、「寒山百得」として100点を描こうとなったのが大まかな流れです。しかし、実際に描き始めてみると、20点ぐらい描いたところでもう飽きてしまったんですよ(笑)。こんなのに取り掛かっても大変なことになると思ったし、どうしようかと困ってしまった。
そこで当初のスタイルからどんどん離れ、寒山拾得を現代人にしてみたり、女性化してみたり、寒山拾得のもつ多様性を絵で表現しようと考えました。誰のなかにでも自由自在に活動してしまう寒山拾得のような人格は存在すると思うんです。つまり、自分のなかの「ちっさい私」とでもいうのかな。複数の私が自分のなかにいると思うので、それをできるだけ絵に解放していこうと思って、「寒山百得」を描くことになりました。
──横尾さんのなかの多様な人格が「寒山百得」の名のもとに姿を現したのですね。
真面目な性格の自分も不真面目な性格の自分もいますし、かっこいいものを求める自分もふざけた自分もいる。それをキャンバスにひとりずつ登場させて、好き勝手なことをやらせていくことにしました。そこから先はもう何も考えませんでした。ゆっくりじっくり考えて描いたらダメだと思ったので、できるだけスピーディーに描くことを決めました。ゆっくり考えながら描いていたら1年で30点ぐらいしか描けませんから、それでは面白くない。とにかくスピーディーに描くことを心がけました。