マンガで読む美術の「入門書の入門書」をつくる理由とは。パピヨン本田インタビュー
トラになってしまった美術好き家族が、日本一おもしろくわかりやすく、マンガと文章で現代アートを解説する『美術のトラちゃん』。楽しく現代美術について紹介してくれるマンガ作品『常識やぶりの天才たちが作った 美術道』。立て続けに「マンガを用いた現代美術入門」を上梓した現代美術作家・パピヨン本田に、マンガで美術を語る理由を訊いた。
──9月に刊行された『美術のトラちゃん』、10月刊行の『常識やぶりの天才たちが作った 美術道』の双方とも反響は大きく、すぐ増刷に。人気の理由はどこにあると思われますか。
実感はあまり湧いていませんが、どちらも時間をかけてつくった本なのでうれしいです。『美術のトラちゃん』は2021年7月から2年弱、「CINRA」での連載をまとめたものですし、『美術道』は声かけていただいてから1年半ほど執筆を続けてきました。
『美術のトラちゃん』のウェブでの連載は、1回につき2ページという短さなので、いつも伝えきれない何かが残ってしまう感覚はあるんです。だから、解説を足して本のかたちに改めてまとめたいとずっと思っていました。そういう本をつくることができれば、絶対いままでにないおもしろいものになるという自信もありましたし。本になったことで、色々とこだわってつくってきた部分に気がついてもらえた気がします。例えば最初の数回を除いて、取り上げる作家が大体男女交互になっているのですが、本のかたちになったことで気がついてくれる人もいました。
『美術道』のほうは、とにかくわかりやすい美術入門書を目指して、要素をとにかく絞り込みました。美術の歴史や思想は、ちゃんと説明しようとすればするほど、書くべきことがどんどん出てきてしまう。そこで担当編集者と話し合って、「そのアーティストが何をしたかひと言で」「時代背景を描く」「他のアーティストとの影響関係を明らかに」「そのアーティストの人生をたどる」の4つにポイントを絞って、マンガと文章で美術を全然知らないという人にもわかりやすく伝えようとしました。
情報を削るだけ削って、エッセンスだけ取り出した入門書をつくるというのは、やってみるとすごく怖いことでした。見当外れなことを描いているんじゃないか、大事なポイントが抜け落ちているんじゃないかと不安になるんです。実際、文字数の関係でたくさん書いた文章やイラストを削りましたし。出版前数日は、読者からどう言われるか不安で、寝れなくなりました。
でもここまでは、うれしい声を聞くことが多いです。先日は読者からの感想で、本に出てくるアーティストのことが気になって、作品を実際に観たくなり展覧会へ足を運んでみたという声に出合えました。自分の本が美術に目が向くきっかけになったんだとすごく嬉しかったです。
──マンガで美術を語るというスタイルを始めたのはなぜでしょう?
小さいころからマンガ好きだったというのがいちばん根っこにあります。小学生のころは『コロコロコミック』に夢中でしたが、コロコロはいまも毎号買って読んでいます。
美大を出たあと美術作家の活動を続けていたところ、コロナ禍に展示の予定が消えたりして時間ができたので、SNSに美術モチーフのマンガをアップし始めました。そのときは作家の友達を笑わせたいくらいの軽い気持ちだった気がします。
──2冊それぞれの企画スタートのきっかけは。
『美術のトラちゃん』は、ウェブメディア「CINRA」の編集部からSNSを見たと声をかけていただいて、マンガ連載が始まりました。過激な作品をつくっている現代美術作家も、私生活では幼児の世話に翻弄されていたり、娘の好みに合わせて流行りの歌を憶えたりしていているところなどを色々見てきて、つくる作品と生活のギャップがおもしろいなと思っていたんです。だから美術作家の親がいる家庭の、けらえいこさんの『あたしンち』のような日常ものをかけたらおもしろいだろうなと思いついたんです。そこから色々転がって最終的にトラの親子のお話になりました。
学生時代から演劇やお笑いもやっていて、おもしろい舞台をつくりたいといつも思ってきたのですが、舞台でやるとなるとセリフを覚えて演技の練習を重ねなくてはいけないし、場面転換ができなかったり、役者の人数が足りなかったりと制約が多くなります。マンガを描いてみて初めて気づいたのですが、それまでコントでやりたくてもできなかったことがなんでもできるんです。キャラクターは自分より演技が上手いし、何人役者を出しても舞台転換をしてもお金がかからない。なんでもやってくれる役者とお金が無限にある劇団を手に入れた気分です。
『美術道』のほうは、一読してだれでもすんなり理解できる現代美術の入門書が僕自身もほしかったというのが根本の動機です。現代美術に興味を持つ人は世にたくさんいるでしょう。自分も高校時代に関心を持ち始めて入門書を手にとってみたのですが、すぐ挫折してしまった。難しくて理解できなかったのです。
その入門書には、見出しに「モダンアートから現代アートへ」などと書いてあった。前提知識ゼロの身からすると、まずモダンアートと現代アートの違いが何かがわからない。その後も知らない専門用語がたくさん出てきてわからず、この入門書を読むために必要な入門書はないのかと思ったものです。他の入門書も読んでみたのですが、当時の自分には難しかった。本を読むのもそもそも苦手でしたし。『美術道』はそんな高校生の時の自分のためにつくった、「入門書の入門書」みたいなものかもしれません。
これも入門の道筋がない弊害なのかもしれませんが、インターネット上に飛び交う現代美術関連のコメントに極端なものが多いのも、以前から気になっていました。美術に関する事実や史実や考え方がうまく浸透していないからという気がしていて。いまだに現代美術が詐欺師みたいな人たちが適当なことをやってるだけの世界だと思われている。
その誤解を少しでもやわらげるような本があれば、現状がよくなるんじゃないかと思ったのも『美術道』を書いたきっかけです。専門用語はなるべく控えて、どうしても難しい言葉を使わないといけないときは、ちゃんとわかりやすく説明をする。ざっくりとでもいいから美術の流れをイメージできるものをつくりたかった。
やってみると、想像以上に大変なことでした。美術の歴史はとても長くて入り組んでいるし、先人たちが深く考えたり悩んだり、複雑に影響を与え合ったりしながら作品をつくってきたことが、調べれば調べるほどわかってくる。自分が書いた美術のなんとなくの流れも、星の数ほどある見方のうちのひとつでしかないですし。美術入門の本が難しくて長々としたものになりがちな理由が、身に沁みてよくわかりました。