【DIALOGUE for ART vol. 1】動物を描くふたりのインスピレーションソースは、東洋美術と「たべっ子どうぶつ」
「OIL by美術手帖」がアーティストの対談と作品紹介を行う企画をスタート。第1弾では、上野裕二郎とsumaが登場。沖縄県立芸術大学の先輩と後輩にあたるふたりは大学卒業後、ともに東京藝術大学の大学院に進学。現在は、アトリエをシェアしながら制作を続けるふたりの、アートにかける思いをお届けする。
──この連載は、おふたりがお互いに聞きたいことを相手に質問しながら、自由に話していただく企画です。最初にそれぞれが美術を始めたきっかけ、アーティストを目指ようになった経緯をお聞かせいただけますか。
上野裕二郎(以下、上野) 中学生のときに自分の進むべき方向を考えて、ぼんやりとですが得意分野で興味もあるのが美術だと感じ、美術系のクラスがある高校に進学しました。ただ、最初からやりたいことが明確にあったわけではなく、しばらくは漫然とした日々を送っていました。ですが、同級生が美術部に誘ってくれて、そこで本格的に油絵を描くようになり、美術館や画集で巨匠の作品に触れるうちに、気づけば没頭するようになっていました。その後、進学先に沖縄県立芸術大学を選び、油画を専攻しました。
suma 僕は本当に些細なことなんですが、幼い頃から絵を描くことが大好きだったんです。でも、どの学校にもひとりは飛び抜けて絵の上手い子が居るじゃないですか、なんとなくその子と比べてしまって中学生に上がったあたりから人前で絵を描くことが恥ずかしくなって。美術の時間もふざけたりして絵を描くことを遠ざけていたんです。でも、心の中では自分の絵をみんなに見てほしいってずっと思ってました。中学3年生に上がってすぐに、仲の良い絵の上手い友人が交換スケッチブックをやろうと声をかけてくれて、マンガのキャラクターの模写やオリジナルのキャラクターを描いて交換するようになって、いま思えばあの時を境に自分のなかで「人と競う絵」から「自分を貫くことを楽しむ絵」に変わった気がします。それをきっかけに高校は美術をより学べるところに決めました。
大学進学に関しては、当時まったく何も考えがなくて焦って居たとき偶然実家のクローゼットから、小学生時代の将来の夢とかを書いた貼り紙が出てきたんです。鉛筆の濃い字で「プロ野球選手」って書いてあったんですけど、よく見ると下に消しゴムで消した「画家」という字の跡が残っていたんです。じつは自分が本当になりたかったのは画家で、無意識にもここまでその道を選んできたんだなとそのとき気づき、それが美大を目指したきっかけだったと思います。
──そして上野さんは京都出身、sumaさんは北海道出身で、沖縄県立芸術大学で出会われました。
上野 僕は18歳まで京都で育ったので、国内でもできるだけ文化的に馴染みのない場所を選ぼうと思い、沖縄に行きました。高校時代は西洋のアカデミックな技術に興味があり、写実的な絵を描いていましたが、同時に写真的な表現を目指すことに限界を感じてもいました。自分が身を置く環境を変え、それまで自分が見ていたものを一度否定して新しい方法を模索しようと考えて沖縄芸大で勉強することを決めました。
suma 美大受験を考えていたときに、先生から沖縄芸大は自由な印象があるし、君に向いているんじゃないかと勧めていただき、まずは沖縄について調べてみたんです。当時、自分はグラフィティアートを見ることにハマっていて、沖縄のストリートシーンがシブくてカッコいいと知って、それを肌で感じながら制作できたら幸せだなと思って沖縄を選びました。
高校3年生になって沖縄芸大のオープンキャンパスに行ったときに、当時学部2年生だった上野さんがアトリエで制作していたのをよく覚えています。湿った感じのする水辺のリアルなワニの絵を描いていて、まだ何でもない高校生の自分からすれば「こんな凄い人が居るのか!」と感動するばかりでした。それが上野さんとの出会いでもあり、自分が最終的に沖縄芸大を選ぶ大きなきっかけになったんだと思います。
上野 まだ写実的な絵を描いていた頃だね。sumaが学部に入ってきてからのことは、僕も覚えてる。スマホで絵を見せてくれて、自分が高校時代に描いていたのは西洋絵画の伝統に則った絵だったけど、sumaは高校生ですでに自分のスタイルを持っていて、けっこう毒々しい絵を描いていたから印象に残ってる。
suma 高校の頃は好きな子の肖像画とか、自分の悩みなどを題材にして絵を描いていました。地元ではそんな絵を描いていたけど、沖縄に移住してびっくりしました。環境も建物も人の雰囲気も全部が違って、土地ごとの特性みたいなものが地域によって出るんだと気づいたし、そういう部分を大事にして制作したいと思ったのは沖縄に移住してからでした。
上野 僕の場合も京都から離れたことで、自分が育った環境を客観的に見ることができた。京都の神社仏閣にある障壁画や屏風絵などに触れてきたことを思い返せたのと、沖縄は東南アジアに近いから、台湾やタイに行ってアジアの美術を見る機会もあって、自分のアイデンティティについて考えるようにもなった。
あと、沖縄では制作に行き詰まったとき、漁港に行って海をぼんやり眺めたりもしていたんだけど、水の表情を眺めているだけで自分の表現が開けてくるようなことがあった。あれは沖縄だからできた体験だったと思う。
suma 海で思い出しましたけど、上野さんともうひとり自分の同期の友だちと沖釣りに行きましたよね。沖縄の魚ってすごくないですか?イラブチャーっていう魚とか、ほかにも色もかたちも強烈な魚がいたり、それ以外にも今まで見たことのない生き物がいたりしたのも衝撃的で。
上野 そうだね。それと、沖縄は日差しが強いから、美術をやっていると光の影響を強く受けていることを再認識した。強烈な光があるから色の表現に変化も生まれたと思うし。例えばゴッホも強い日差しを求めて南フランスのアルルに行ったわけで、場所が変わって環境が変化すると表現にも影響が生まれるということを沖縄で実感した。
suma そうですね、綺麗な海を背景に赤瓦の屋根が強い日差しに照らされていて、色彩が強くて豊かな土地ですよね。僕は地元の北海道に戻ると、冬は真っ白な雪原と森の茶色、空の薄い青ぐらいの色数の少ない景色で、それはそれで好きなんですけど自分は淡い色彩の景色で成長してきたんだなと改めて気付かされました。
上野 なるほど。自分の場合、写実的な絵から目指すスタイルが変わって、色を分割して描くようになったし、黒い線を使うようになったのも沖縄に来てからだ。
suma 黒い線といえば、自分も今ではかなり使うようになりましたね。沖縄中部にタトゥースタジオがたくさんあって、よく見ていたんですけど、中でも線に太さのあるオールドスクールタトゥーが好きでその影響も受けているのかもしれないです。
──おふたりの技法や作品のイメージはかなり違いますが、動物をモチーフに選んでいる点は共通していますね。
suma 上野さんはもともと動物を描いていて、自分も動物が好きだけど、動物を描くうえで全然見ているものが違うんだろうと思っています。上野さんはどういったことを思って動物を描いているんですか?
上野 動物を描くことになったきっかけについて、実はあまり多くを語るべきではないとも考えているのだけど・・・・・・。自分が20歳のときに友人でありアーティストとしても尊敬していた人の自殺という出来事があり、それが自分には本当に耐え難いもので、自分自身の人生観や表現の方向が大きく変化するきっかけになったと思う。それ以前はどちらかというと、何を描くかよりもどう描くか、内容よりも表現に興味があった。その友人の死をきっかけに生命や人生の意味について深く考えるようになり、人は自ら命を絶つこともあるけど、動物はもっと単純に生存競争のなかで厳しい環境を生きている。それこそが本来のあるべき姿なのではないかと思って、生物の外形を描くのではなく、もっと内的なエネルギーや存在の気配を自分の感覚で取り出すように描きたいと思って動物をモチーフに選ぶようになった。もちろん、それだけが理由というわけではなく、幼少期の体験や伝統的な美術の影響など、複合的な要因が絡み合って今の表現があるわけだけど。sumaが動物を描く理由は?
suma 本当にまったく逆でびっくりしてます。いまつくっている作品は、合板でできた新聞紙やチラシにお絵描きをするといったイメージを持ってシリーズとして制作しています。これは、幼い頃に祖母と一緒にチラシなどの広告に「お絵描き」をしていた瞬間こそが自身の創造の原点であるといった考えから始めたシリーズです。その「お絵描き」の記憶に詰まっている要素、例えば当時好きだった動物や植物、食べ物、親の好みでずっと流れていた音楽、マンガやアニメのキャラクター、買ってもらったおもちゃ、楽しかった瞬間などをモチーフとして制作しています。
その最初のフェーズとして、最近は動物のシリーズをつくっているんですけど、ここからがさっき言った「逆」についてで、僕たちは動物と完全な会話はできないじゃないですか。だから動物を描くときには、その動物の表面より外側を見て描いています。内側は想像し得ないと僕は思っていて、そのモチーフを表すためには周りを構成している要素を描いていく必要があると考えています。なので、リアルの動物たちも何か思うことがあるだろうし凶暴でエグい部分もあるけど、そういうのを一旦削ぎ落として、人がよく言う「カワイイ」動物を表現するためにカートゥーン調の絵柄で描いています。動物の本質なのか、「ガワ(外側)」なのか、お互い見ている部分が全然違っていてびっくりしました。
上野 確認したいんだけど、人間の目線を通して見た動物、つまり、犬だったら本物の犬ではなく、人間が持っている犬の情報をイメージに起こすようなこと?
suma そうですね。犬であれば、骨、首輪、犬小屋などで最低限犬を表せると思います。当然「イヌ」という名称でさえも犬を構成している要素の一つですよね。ほかにも、シンプルにかわいいとか人間に甘えてくるとか、そういうのが人間が思う動物の好きな部分だと思うんですけど、それって人間が見たいものだけを見ようとしているというか。自分は、お菓子の「たべっ子どうぶつ」がすごく好きで、あのクッキーのかたちは実際の動物にじつはあんまり忠実ではないんですけどそれっぽいかたちにして中心にそれを表す名称を書いていますよね。あれも「ガワ」の部分だと思うんですね。それっぽいかたちにして名前を刻めば、本質を隠してもその動物に見える。そういった「ガワ」の部分は、みんなの共通認識のうえに成り立っていると思うので、たべっ子どうぶつから感じるものを取り入れている部分は大いにあると思います。モチーフの中心部にメッセージを刻んでいるところとか。
──上野さんは先ほど沖縄で台湾や東南アジアとの地理的な近さを感じて、アジアのアイデンティティについて考えるようになったと話されていました。表現への影響をお聞かせください。
上野 自分のいまの表現は、筆のストロークで動物を描くという20歳頃から始めたものなのですが、当初は東洋思想や気についてそれほど意識していたわけではありませんでした。油絵具で対象物を写実的に描く西洋の古典絵画では、イメージが絵具の物質感よりも先行するように、基本的に筆跡を残さないことが求められるわけですが、逆に筆のストロークに自分の感情や感覚を込めるように描こうと思ったのが最初で、画材もそれに適したアクリル絵具を使うようになりました。これは紙の上に墨で描くという東洋の美術の影響が大きかったです。例えば水を描くにしても、西洋絵画ではある瞬間を切り取ったような写実的な描かれ方をしますが、東洋絵画では、筆の線の集積によって水が流れていく時間すらも内包したような描かれ方をしています。台湾の故宮博物院で古い山水画を見たときに、画家の運筆によって対象物の気韻生動を表現するということについて、頭ではなく感覚として腑に落ちるものがありました。
──今回、「OIL by美術手帖」に出品された作品も、日本画をモチーフに制作されましたね。
上野 はい。狩野芳崖の《羅漢図》(制作年不詳)に描かれた虎とヒョウが互いに噛み合っているイメージを引用しています。これまでに虎や鷲などを描いてきましたが、その背景には自分が東洋の美術から受けた影響があるので、それを意図的に示してもいいのではないかと考えるようになり、既存の作品のイメージを引用しました。狩野芳崖がどういう意図で虎とヒョウが噛み合う様子を描いたのかはよくわかっていないそうなのですが、自分は対立の概念──例えば古代と現代であったり、具象と抽象であったり──を作品に取り入れることをひとつのテーマにしているので、この二頭の虎の絵では繰り返される陰と陽の循環や相補性といったことの表現を意図しています。
──sumaさんの出品作品についてもお聞かせください。
suma 牛のモチーフは少し前の作品なんですが、構図は先程話した「たべっ子どうぶつ」のシルエットをイメージしています。いまはそこから展開して、先ほど触れたような、みんなの持っている共通認識をどうにか取り入れて深めていきたいと考えています。例えば今回、鮭をモチーフにした作品を発表する予定ですが、明治の油画家・高橋由一が鮭を干している様子を描いた作品《鮭》(1877頃)の構図を引用したり、教科書などでなんとなく見たことがある気がするイメージを想起させることを意識して作品をつくっています。
上野 ではけっこう、第三者の視線を意識して絵を描くの?
suma もちろん見る人の顔色をうかがうような絵は描きたくないんですけど、みんなが「ああ〜確かに」ってなるような作品を描きたいと思っています。自分のなかに持っているイメージを出しつつ、鑑賞者にも刺さるようなものができればいいなとは考えています。あと、つい笑ってしまうような作品をつくれるようにいつも小ネタづくりをしています。
現在は動物モチーフの作品がほとんどですが、これからは先程言ったおもちゃのほかにも植物にも視野を広げていきたいと思っています。上野さんは今後の展開をどのようにお考えですか?
上野 ここ数年、一貫して筆のストロークの集積によって動物を描いてきて、最近は龍や鳳凰のような実在しないものや、もっと名前すらないような心象の生物を描こうとしてきた。それらは実在しないからこそ、太古から人類が見えない大きな力に対してかたちを与えてきたもので、自分の興味もそれと重なってくる。今後も今の方向性を大事にしていきたいと思いつつ、さらに先の展開として、自然が生み出す造形要素を作品に取り入れられないかを考えている。例えば、水面の揺らめきや瑪瑙などの石の断面、生物の体表の模様、さらには空から撮影した地表の様子まで、スケールがまったく違うのに類似性を感じさせるものがある。最近はこうしたものに興味があって、自然から学ぶことでも自分の絵により広がりと含みを持たせられるのではないかと思っている。
suma この虎の作品にも水の流れとか岩の断面のようなイメージがありますよね。
上野 動物が持つシンボルとしての意味は残しつつ、そこでイメージを限定してしまうことなく、絵画としての広がりをつくり出すことは常に考えている。もちろん、絵画はロジック以上に情感に訴える力のあるものだと思うので、結局は説明よりも感覚を重視しているわけだけど。
──最後に、アトリエをシェアすることのメリットをうかがえますか。
上野 sumaがまだ沖縄県立芸大の学部生だったときに、自分は東京で距離がありましたがSNSなどで彼の作品を見ていて、大学卒業で絵を止めたら絶対にもったいないと思ってアトリエをシェアしようと誘ったんです。彼は十分アーティストとしてやっていけると作品から感じていたので。そう思った相手だからこそ、表現は自分とまったく違いますが刺激になりますし、自分とは違うやり方や考え方を聞くことで、自分自身を別の角度から認識できるのもメリットだと思っています。
suma 僕はアーティストとしてのあり方を学ばせてもらっている気がします。普段の生活を見たり、上野さんはこういう資料や作品を見ているからこういう作品を描けるんだなと思ったり、勉強させてもらっていることが本当に多いです。あとは、展示に関する具体的なことも教えていただいてますし、同じく英語を学んでいる最中ということでどうやって勉強するのがいいかアドバイスをもらえたり、すべてにおいて学ばせてもらっています。先輩でもあり、勝手に兄のように感じているところもある気がします。
上野 ゆくゆくは海外でも活動していきたいと思うので、英語がネックになったらいけないと思い自分もまだまだですが勉強中です。作品の発表の場が広がりますし、英語がわかれば日本で出版されていない文献にあたれたり、広がる部分は多いと思っています。
大学院を修了してまもなく1年を迎える上野と、現在、大学院に在籍中のsuma。大学の先輩後輩という関係から、アトリエをシェアしながら制作にのぞみ作家として刺激し合う様子が伝わってきた。この連載では、今後も刺激をし合う気鋭のアーティストたちの対談を通して、新たな表現が生まれる予兆を届けていきたい。