岡本太郎の「太陽の鐘」が復活!
前橋再生のシンボルに
岡本太郎が制作し、現在非公開となっている「太陽の鐘」が、群馬県前橋市に移設される。これに先駆け都内で記者発表会が行われ、移設のきっかけをつくった糸井重里や、移設先の空間デザインを担当した建築家・藤本壮介らが登壇。移設先を再現した模型も発表された。
岡本太郎(1911〜96年)が制作した「太陽の鐘」が、現所有者である日本通運から群馬県前橋市へと寄贈され、前橋市内に移設されることが決まった。
「太陽の鐘」は、岡本が大阪万博の仕事にとりかかる前年の66年に制作したもの。岡本が生涯で制作した鐘は2つしか存在せず、そのなかでも自身のシンボルである太陽の名を冠したのはこの「太陽の鐘」のみ。
鐘を吊るすモニュメントも一体として制作された作品で、鐘本体だけでも直径1.2メートル、高さ2.4メートル、重さ約3トンにもなる大作だ。日本通運が運営する静岡県のレジャー施設内に設置されたが、99年の施設閉園後は日の目を見ることなく、幻の作品となっていた。
移設を主導するのは、前橋市のまちづくり支援を目的に同市に拠点を置く企業24社により運営される「太陽の会」。前橋ビジョンの基本理念「めぶく。」の策定に携わり、岡本太郎財団との関わりも深い同市出身の「ほぼ日刊イトイ新聞」主宰・糸井重里を通じてこの「太陽の鐘」の存在を知り、前橋市再生のシンボルとして作品の修復と移設を発案した。
記者発表会では、糸井重里と、「太陽の会」会長を務めるジンズ代表取締役社長・田中仁によるトークセッションも行われた。そのなかで、糸井は「『なんだ、これは!』というのが岡本太郎の芸術の定義。(街の再生に向けて)雷のような効果があればいいなと思う」と語った。
移設後の空間デザインを担当したのは、2013年のロンドンのサーペンタイン・ギャラリー・パビリオンや、京都国立近代美術館で現在開催中の「技を極める-ヴァン クリーフ&アーペル ハイジュエリーと日本の工芸」展の会場設計などを手がける建築家の藤本壮介。移設先の広瀬川沿いの市有地に大地が盛り上がったような丘をつくり、それが岡本の造形と連続するような空間を設計した。登壇した藤本は、「もともとここに生えていたものなんじゃないか、あるいは地面から芽吹いて現れてきたのではないかと思うくらいに、作品が場所と一体となって見えてほしい」とコンセプトについて語る。
公開は今年11月を予定。丘の上に登って鐘をついたり、仰向けに寝転がったりできる場所も設けられ、目で見るだけでなくからだ全体で前橋の芽吹きのエネルギーを感じることのできる空間となる。