2023.2.22

銀座の“怪しい地下空間”「ガーディアン・ガーデン」に何があるのか。光岡幸一展「ぶっちぎりのゼッテー120%」

若手アーティストを応援するガーディアン・ ガーデンの公募展入選者のなかから、各界で活躍する作家のその後の活動を伝えるための展覧会「The Second Stage at GG」 シリーズ。その53回目を飾る光岡幸一展 「ぶっちぎりのゼッテー120%」が開催されている。今年8月に閉館する同ギャラリーの空間を存分に生かした展示に注目だ。

文=山内宏泰 会場撮影=黒田菜月

展示風景より
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 光岡幸一が「会いに行けるアーティスト」として奮闘中だ。

 東京・銀座7丁目、外堀通りに面したギャラリー「ガーディアン・ガーデン」では現在、光岡幸一展「ぶっちぎりのゼッテー120%」を開催中。この会場に連日、アーティスト本人が詰めているのである。

 ただ滞在しているだけではない。折りに触れてパフォーマンスを繰り出し、展示における重要なパートを担っている。展示自体の内容はこうだ。

 ギャラリーの扉をくぐるとすぐそこに壁が立ててあり、その中央に人ひとりようやく通れる穴が開いている。どうやら中に入ってよさそうだ。奥へ進む。薄暗がりの空間内のあちらこちらに、壁掛けや台上、床置きでいくつものモニターが設置されている。

展示風景より
展示風景より

 片隅でキラキラしているのは、無数の鏡が取り付けられた回転ラック。鏡面の一つひとつにはマスキングテープで何やら文字が描かれている。壁面中央に、ドラムセットのキックペダルが据え付けられ、天井からは一本のロープが垂れ下がる。

 混沌、のひとこと。一歩足を踏み入れただけで、別世界に迷い込んだ感覚に陥る。銀座のど真ん中にいるのを忘れてしまうと同時に、ここがビルの地下の小さな一室であったことを強く意識する。

展示風景より

 ぱっと見の訳のわからなさに追い打ちをかけるように、各モニターは代わるがわる転がる石や、丸まったレシートが風に吹かれる様子を映し出す。音声も付随しておりゴロゴロゴロゴロ……という人の声による擬音や、レシートを擬人化したアテレコが会場に響く。

 さらに加えて、だ。こちらが暗闇のなかで戸惑っていると、脇の扉が開いて人が出てくる。回転ラックを猛スピードで回したかと思えば、ロープにぶら下がり勢いをつけて宙空を横切り、壁面のキックペダルを蹴りつける。低音が大きく鳴る。首をすくめているあいだにその人は、別の扉から出ていってしまった。

 一連のパフォーマンスをしているのはアーティスト自身。いわば空間のかき混ぜ役であり、彼が介入することでインスタレーションは完結するのである。

パフォーマンスする光岡
パフォーマンスする光岡

 最初は場に馴染めない感もあるが、しばらく身を置いていると、多様な刺激がクセになってくる。キックペダルが壁を打ち大音響を立てるところなど、つい笑ってしまう。人それぞれポイントは違えど、きっとツボにハマる何かが見出せるはずだ。

 パフォーマンスの合間に、光岡幸一本人をつかまえて話を聞けた。

 作品のなかに生身の自分が登場するかたちとしたのはなぜか? 「身体を通して何かを実感することは大切にしてきたので、今回は毎日作品と直接関わっていこうと決めました」と光岡は語る。

 それで、アーティストが出ずっぱりという珍しい形態の展示と相成ったのだ。とはいえ、シナリオを考えたり動きをルール化したりはしないという。「即興でやることによっていろんなズレが生じて、グルーヴ感も出るでしょうから」。

 光岡はいくつかある出入り口を縦横に使ったりと、ずいぶん自在に動き回れている。これについても独自の理由がある。「じつは以前このギャラリーでアルバイトしていたことがあって、空間を丸ごとよく知っているんです。ここがどういう場所だったのか、考え直すつもりで展示の構成を考えていきましたね」。

パフォーマンスする光岡

 会場のガーディアン・ガーデンは今年8月、1990年代から刻んできた歴史に幕を下ろす。多くのアーティストとその作品が出入りしたこの空間の意味と意義を、とらえ直しておく意図があっただろうと想像できる。

 今展は「The Second Stage at GG」の一環として企画されたもの。同ギャラリーで開いた公募展入賞者たちの、その後の活動を紹介する展覧会シリーズだ。光岡幸一も2015、16年に、公募展「1_WALL」のファイナリストに名を連ねているのだった。

「ぶっちぎりのゼッテー120%」展は、じつにシリーズの第53回という。このギャラリーが新進アーティストの実験場として、いかにしかと機能してきたか窺える。

 後継のギャラリースペースは、東京駅前のグラントウキョウサウスタワー1階に新設されることとなる。光岡幸一が作品を通して検証した現行スペースはなくなるが、つねに新しい表現が展開される自由な空気は、受け継がれていく模様だ。

展示風景より