日本初の試み。ヨーゼフ・ボイスとブリンキー・パレルモの2人展に見る社会と芸術の関わり
現代美術の世界でいまなお大きな影響を与え続けるヨーゼフ・ボイス。そのボイスの作品とともに、教え子であるブリンキー・パレルモの作品を紹介する展覧会「ボイス+パレルモ」が豊田市美術館で始まった。
第2次世界大戦以降の美術界において、もっとも重要な存在のひとりであるヨーゼフ・ボイス(1921~86)。そして33歳という若さでこの世を去ったボイスの教え子、ブリンキー・パレルモ(1943~77)。このふたりの作品を紹介する初めての展覧会「ボイス+パレルモ」が豊田市美術館でスタートした。会期は6月20日まで。本展は、日本では約10年ぶりのボイス展であり、公立美術館としては初のパレルモ展となる。
ボイスは脂肪やフェルトを素材とした彫刻作品の制作のほか、アクション、対話集会、政治や環境問題にも介入し、多岐にわたる活動を展開した。「社会彫刻」や「人は誰もが芸術家である」というボイスの言葉は、アートファンでなくとも聞いたことがあるだろう。
いっぽう、その教え子であるブリンキー・パレルモ(1943~77)は、ボイスと比べると知名度は低い。デュッセルドルフ芸術アカデミーでは、いまや巨匠であるゲルハルト・リヒターとともに学び、20世紀初頭の抽象絵画や同時代のアメリカ美術などに影響を受けながら、33歳で逝去するまで、絵画の構成要素を問い直すような作品を手がけた。そんなパレルモを、ボイスは教え子たちのなかでも自分にもっとも近い存在であると認めている(ボイスがパレルモについて語ったインタビューが、本展図録に収録されている)。
この教師と教え子という関係であり、親しい存在でもあったふたりを同時に紹介する今回の試み。企画者のひとりである豊田市美術館学芸員の鈴木俊晴は「ボイスはよく知られる作家だが、パレルモは初めて名前を聞く方も多いと思う。対極的なふたりを見せる企画」としつつ、いまボイスを見せる理由について次のように理由を語る。
「『人は誰もが芸術家である』という強いメッセージとともに大きな足跡を残した。日本ではとくに2011年以降、芸術と社会のつながりを考えるうえでボイスが先例として取り上げられることが度々あるが、その言葉が先走っている。今回はボイスを『作品をつくる人』として見せたいと考えた。ただボイス展としてしまうと、通り一遍になってしまうが、パレルモとともに紹介することで面白くなるのではないかという狙いがある」。
会場はプロローグとエピローグを含めた10のセクションで構成されている。
ボイスの作品からは、その代表作であり鈴木が「本展のひとつの鍵」とする《ユーラシアの杖》(1968/69、東西冷戦下のヨーロッパからユーラシア大陸を再接続しようと試みるボイスの同名パフォーマンスで用いられた)をはじめ、70年以降に政治性を高めていったときに行ったアクションの記録映像、50~60年代のドローイング、日本に来日した際に残した黒板など多種多様な作品を一堂に展示。
またパレルモは、ボイスと出会ったことで抽象的な作品へと展開していく過程がわかるような作品群や、買ってきた布を貼り合わせただけの「布絵画」や、パブリックなものに働きかける役割を担っていた壁画のドキュメンテーション、金属板に絵具を塗った「金属絵画」など、いずれも日本ではなかなか見ることができない作品が並ぶ。
文字通り動的で雄弁なボイスと、静謐なパレルモ。ふたりの存在は相反するようにも思えるが、会場をめぐるとふたりの作品がシームレスにつながっていることに驚かされる。
本展では、キャプションに明確な作家名が記載されていないこともその効果を生み出しているのかもしれない。キャプションの作家欄にあるのは「B」あるいは「P」という文字のみ。「大きな固有名詞をいかに読み替えるか。あえてキャプションに作家名を明確なかたちで表示しない。どちらがどちらの作品かわからない状態にしたい」と鈴木はその狙いを語っている。
「意味やメッセージで導くのではなく、その手前で作用するためには色と形が重要。造形の力、美術が持つ可能性を、ふたりの作家を並べることで感じてもらいたい」。
様々な手段によって社会変革を企てた雄弁なボイスと、絵画を再構築することで既存の概念を問い直そうとしたパレルモ。ふたりの作品を概観することで、社会と芸術の関わり、芸術の営為とは何かを考えたい。