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2024.10.17

「私は死を乗り越えて生きてゆきたい」(草間彌生美術館)開幕レポート。草間の死生観はいかに作品に表れたか

東京・弁天町の草間彌生美術館で、草間彌生の死生観の表出と変遷を取り上げる展覧会「私は死を乗り越えて生きてゆきたい」が開幕した。会期は2025年3月9日まで。

文・撮影=安原真広(ウェブ版「美術手帖」副編集長)

展示風景より、《再生の瞬間》(2024)、奥が《命の炎―杜甫に捧ぐ》(個人蔵、1988)©YAYOI KUSAMA
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 東京・弁天町の草間彌生美術館で、草間彌生の死生観の表出と変遷を取り上げる展覧会「私は死を乗り越えて生きてゆきたい」が開幕した。会期は2025年3月9日まで。

 1929年生まれの草間は、複雑な家庭環境下で太平洋戦争を体験し、トラウマや神経症による自殺未遂衝動を創作によって乗り越えてきた。そんな草間にとって生と死は、自身の創作における差し迫った問題でもあった。本展は1940年代の絵画から最新作までを展示することで、草間がいかに生と死に向き合ってきたかを探る。

展示風景より、手前が80年代に制作された立体作品、奥が1975年に制作されたコラージュ ©YAYOI KUSAMA

 1階のエントランスには立体作品《生命(REPETITIVE VISION)》(1998)と、アクリル絵画のシリーズ「わが永遠の魂」より《永遠に生きていきたい》(2017)と《自殺の儀式》(2013)が展示されている。

展示風景より、手前が《生命(REPETITIVE VISION)》(1998)、奥左から《自殺の儀式》(2013)、《永遠に生きていきたい》(2017)©YAYOI KUSAMA

 黒地に黄色の水玉で覆われ、植物のように上空に伸びていく《生命REPETITIVE VISION)》は、草間が60年代に性的な強迫観念を、無数の男根を模した詰め物で表現したソフト・スカルプチュアの延長ともいえる作品だ。しかし、本作からは草間を追い詰めるような強迫性よりも、上方向に進もうとする生命の力強さを感じさせる。また、後方に展示された2点の絵画は、それぞれ生と死という相反する願望が表現されており、つねに双方の意識を持ち合わせながら創作に向かった草間の姿勢を感じさせる。

展示風景より、手前が《生命(REPETITIVE VISION)》(1998)、奥左から《自殺の儀式》(2013)、《永遠に生きていきたい》(2017)©YAYOI KUSAMA

 2階では、初期から80年代にかけて多様な方法で死に向き合うことで生み出された草間の作品が並ぶ。まず、注目したいのは49年に描かれた初期の代表作《残夢》だ。赤く荒涼とした大地で枯れたひまわりは、いまだ戦争の死の記憶が生々しく残る当時の空気を表しているようにも感じられる。

展示風景より、左が《残夢》(1949)©YAYOI KUSAMA

 また、本展示室では57年に渡米し、60年代に「自己消滅」というコンセプトのもと、ベトナム反戦運動と呼応しながら実施された草間のヌード・パフォーマンスなども紹介されている。

 70年代に入り、近親者の死や心身の不調に直面して帰国した草間は、直接的に死を感じさせる作品に取り組むようになる。会場中央にある《希死》(1975-76)は、1階の生命力あふれる《生命(REPETITIVE VISION)》とは正反対の印象を受けるソフト・スカルプチュア作品。冷たく輝く銀色のファルスがトレーに押し込められたその様は、死のイメージを喚起させる。

展示風景より、手前が《希死》(1975-76)©YAYOI KUSAMA

 また、帰国後の草間が制作した詩も、死を強く意識したものも多い。本展では作品とともに壁面に記された、草間の言葉による創作にも注目してほしい。

展示風景より、草間の詩と《SEA OF MY BLOOD》(1976)©YAYOI KUSAMA

 3階では、天井まで伸びる樹木のような最新のインスタレーション《再生の瞬間》(2024)が展示されている。筒状に縫い合わせた水玉模様の布に綿を詰めた本作は、枝を四方へと伸ばすような生命力にあふれている。

展示風景より、《再生の瞬間》(2024)、奥が《命の炎―杜甫に捧ぐ》(個人蔵、1988)©YAYOI KUSAMA

 このインスタレーションと組み合わされた平面作品が《命の炎―杜甫に捧ぐ》(1988)だ。キャンバスのうえに無数に描かれた水玉には尾が生えており、さながら生命の根源である精子のようにも見える。本作から感じる動的な印象は、そのまま本展示室全体にあふれる、生の躍動のイメージにもつながっている。

 4階では2010年に制作された草間が自作の詩を歌う映像が、合わせ鏡で無限に増殖するヴィデオ・インスタレーション《マンハッタン自殺未遂常習犯の歌》を見ることが可能だ。

展示風景より、《マンハッタン自殺未遂常習犯の歌》(2010)©YAYOI KUSAMA

 本作で草間が歌う詩には「去ってしまう」「天国への階段」「自殺(は)てる 現在は」といった、死への衝動を思わせる言葉が散りばめられているが、同時に「花の煩悶(もだえ)のなかいまは果てなく」「呼んでいるきっと孤空(そら)の碧さ透けて」といった爽やかで、永遠を感じさせるようなイメージも内包している。死に向き合いながら、新たなものを生み出す制作を続けてきた草間の両義的な言葉が、見る者の心に訴えかける。

展示風景より、《マンハッタン自殺未遂常習犯の歌》(2010)©YAYOI KUSAMA

 最後となる5階の屋外ギャラリーでは、最新の「かぼちゃ」をモチーフとした作品《大いなる巨大な南瓜》(2024)が佇む。草間の代名詞ともいえるアイコニックな作品だが、ここまでの展示で草間の死生観に触れてきたあとに見ると、生命の象徴のようにも感じられるだろう。観賞者はこの屋外空間からふたたび1階のロビーへとエレベーターで戻ることになるが、こうした循環的な導線も、生と死の輪廻を想起させる。

展示風景より、《大いなる巨大な南瓜》(2024)©YAYOI KUSAMA

 草間の創作をつらぬく死生観に焦点を当てた本展のあとでは、誰もが知る草間の作品の数々の味方も少し変化して見えるかもしれない。草間彌生というアーティストへの新たな気づきを提示する展覧会といえるだろう。