KYOTO EXPERIMENTが見せる新たな試み。オープニングを飾る金氏徹平が見せるものとは?
10月14日から京都市内を会場に開催される舞台芸術フェスティバル「KYOTO EXPERIMENT 京都国際舞台芸術祭」。今回、そのオープニングを飾るのは、美術家・金氏徹平による新作『tower(THEATER)』だ。contact Gonzoや青柳いづみなどが参加するこの作品が目指すものとはなにか?
10月14日から開幕する「京都国際舞台芸術祭 KYOTO EXPERIMENT 2017」(以下、KEX)は演劇、ダンス、音楽を主に扱う「舞台芸術祭」であるにもかかわらず、今回のオープニングを飾るのは、美術家・金氏徹平による『tower(THEATER)』である。2011年の『家電のように解り合えない』以降、チェルフィッチュ主宰の岡田利規とコラボレーションを精力的に重ねるなど、彫刻理論と身体表現の架橋を志向する金氏ではあるが、日本を代表するフェスティバルが、そのヘッドライナーに美術家を抜擢するというのは、まさしく大英断と言えるだろう。では、その成果はいかなるものになるのだろうか? 10月8日に行われた全体リハーサルから、本作のポテンシャルを占う。
京都駅西に位置する旧崇仁小学校体育館が、『tower(THEATER)』の稽古場。お隣りのグラウンドでは地元の少年野球チームが練習する、なんとものんびりした雰囲気のなか、本作の稽古は続いている。そもそも『tower(THEATER)』とはいかなる作品なのか? KEXのホームページでは、すでに金氏が書き下ろした「『tower(THEATER)』に関する覚え書き」が公開されている。そこで「舞台上に約6メートルの、大小いくつもの孔の空いた、抽象的な建築物」と述べられているように、舞台中央には巨大な矩形の「タワー」がそびえ立ち、それによって誘発された、あるいはタワー自体を奮い立たせるかのようなアクションが次々と起こる、というのが補作の骨子である。そして、それらのアクションを起こす人々がとにかく豪華だ。
マームとジプシー、チェルフィッチュなど人気劇団で活躍する女優・青柳いづみ。都市や山野をプレイフィールドに格闘技に似たパフォーマンスを行うcontact Gonzo。大阪を拠点とする音楽家・ドラマーの和田晋侍。「水曜日のカンパネラ」に楽曲提供もしたミュージシャンのオオルタイチなど、関西圏を中心とする異才のアーティストたちが、ずらりと揃う。
さらに、小説家の福永信、チェルフィッチュの岡田利規がテキストを提供するだけでなく、一部パートの演出も担当。特に福永は今回が演出家デビュー(!)とのことで、要注目である。
そういった人々のアクションから生じるのは、じつに破天荒な大騒ぎだ。一人の少女がタワーから産み落とされたかのごとく登場する冒頭では、まるで巨大なタワー自体の夢を覗き込んでいるかのような奇妙な感触に、筆者の心は静かにざわざわと揺れた。かと思えば、contact Gonzoはいつものメンバー入り乱れての“どつき合い”を、これまで見たことのないアクロバティックな次元で展開し、大いに驚嘆させてくれる。ネタバレになるのでこれ以上は伏せるが、もしもタワーを箱に例えるならば、文字通り「おもちゃ箱をひっくり返したような」めくるめく展開が約80分にわたって続けられた。この日が初の通し稽古ということもあって細部にはまだ荒々しさが感じられたが、むしろ、このよい意味での野蛮さが本番にも引き継がれることを熱烈に期待したい。
昨年、好評を博したアピチャッポン・ウィーラセタクンの『フィーバールーム』の日本初演のように、美術と演劇のクロスオーバー、ジャンル間の越境はますます盛んに行われているが、金氏の『tower(THEATER)』もその一種と見なすべきなのだろうか? 即断は難しいが、おそらく「否」であろう。
彫刻のイメージを喚起させる石や鉄ではなく、オモチャや軟体的な素材を戦略的に選んできた金氏は、彫刻を成立させる条件を物質そのものではなく、物質と物質をつなぐ可視/不可視の関係性に見出してきたアーティストだ。近年は、そのコンセプトはさらに展開・拡張し、2016年の「金氏徹平のメルカトル・メンブレン」(丸亀市猪熊弦一郎美術館)では、ついに金氏は作品を自らの手でつくり出することを放棄して、プロ・アマ問わないさまざまな人に指示を与え、新作を発表するという荒技をやってのけた。そのかわりに、金氏は展示以外のほぼ全部(図録編集、デザイン、キュレーションなど)を担当することになったのだが、ここで見られた役割の転換は、金氏がグランドマップを描きつつも、各パートの演出・構成をそれぞれのアーティストに委ねるスタイルを採った今作に、アップデートして引き継がれていると言えるだろう。それを踏まえて見れば、演劇作品である『tower(THEATER)』は、同時に金氏の新しい彫刻(概念を示す)作品と言えるのではないだろうか?
もちろん、本心は作家のみぞ知る、だが演劇の仮面を装いつつ、自身の彫刻概念をめぐるコンセプトを「舞台芸術祭」のオープニングに送り込む金氏の企みは痛快である。そして、それをがっぷり四つで受け止めてみせたKYOTO EXPERIMENTの器の大きさも、テーマやコンテンツの均一化傾向が加速する芸術祭ブームにおいて、とても頼もしく感じる。
芸術は本質的にでたらめさを有する。そのでたらめさが、でたらめなままに我々の前に届けられる『tower(THEATER)』を迷うことなくオススメしたい。心地よい混沌を体験するために、今週土日はぜひ京都へ。