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2018.6.14

「芸術の革命」と「革命の芸術」の
生真面目すぎた挫折。中ザワヒデキが見た、
「池田龍雄 楕円幻想」展

第2次世界大戦前後の大きな価値転回に立ち会い、ルポルタージュ絵画、前衛芸術、宇宙の成り立ちをテーマとした絵画など、約70年にわたって多彩な作風を展開してきた池田龍雄。170作品を通してその活動を振り返る展覧会が練馬区立美術館で開催中(4月26日〜6月17日)だ。この回顧展を通して見えてくるものとは? 美術家の中ザワヒデキがレビューする。

文=中ザワヒデキ

池田龍雄 楕円空間 1963-64 ファーガス・マカフリー, ニューヨーク&東京蔵
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戦後美術の現在形「池田龍雄展-楕円幻想」 優等生芸術家の後衛性 中ザワヒデキ 評

 今年満90歳を迎える池田龍雄の人生は痛ましい。小学校の図画大会でメダルを受賞し、科学者になる夢を抱いていたという模範的優等生だったであろう少年は、軍国主義教育の格好の餌食でもあった。15歳で海軍航空隊に志願入隊し、16歳で特攻隊に編入され、立派な辞世の句を親元に届けたが、訓練中の満17歳の誕生日に終戦。帰郷し師範学校に編入したが、18歳のときにGHQ通達による公職追放で教師不適格とされ退学。軍国主義者の烙印を押された。国家から正義と奨励されたものを死も覚悟して真面目に追求してきた挙句の果ての転落だ。当然、体制の権威や他者からの価値観の押し付けを厳しく疑う、一層真面目すぎる思想を懐くこととなる。

 だがその生真面目さが、芸術家としてのその後の人生のみならず、作風や作品の細部までをも貫き通してしまったのではないだろうか。池田は恐らく自他ともに認める典型的な前衛芸術家であろうが、古典的とさえ映じる作品の端正な佇まいは、むしろ後衛と形容されるべきだろう。さらに言えば、池田にとって芸術や前衛は、アヴァンギャルド芸術研究会で20歳のときに出会った実験工房の作家たちと同じく、研究や学びの対象としてあり続けた。つまり芸術家となってさえも池田は、優等生に留まり続けたのではないだろうか。

 生前回顧展である本展は、「第0章 終わらない戦後」「第1章 芸術と政治の狭間で」「第2章 挫折のあとさき」「第3章 越境、交流、応答、そして行為の方へ」「第4章 楕円と梵」「第5章 池田龍雄の現在形」の全6章から成る。第0章と第1章が断然面白い。民主主義が揚げられるさなかに自らに提出した「芸術の革命」と「革命の芸術」の一致という課題は、1950年の朝鮮戦争勃発により喫緊のものとなり、真面目に答えようとした池田はルポルタージュ絵画の旗手となった。シュルレアリスティックな描法の採用は、理性からの解放を目指した本家シュルレアリスムとは真逆で、視覚言語による政治参加という高度に理性的な所作だったが、それでもここには手探りの実験と現実参画の高揚感が見て取れる。画面に漲るこの時代特有の重たい暗さも、今日的視点からはとても魅力的だ。

 「第2章 挫折のあとさき」の挫折とは、1956年のアンフォルメル旋風によりルポルタージュ絵画追求の可能性が閉ざされてしまったことと、60年の安保闘争の失敗から芸術と政治が遠くかけ離れてしまったことを指す。「芸術の革命」と「革命の芸術」の一致という課題は霧消した。アンフォルメル旋風は、恥ずべき欧米追随として池田も批判したのだが、これを機縁としたパラダイムシフトは具体美術協会や九州派、ネオ・ダダの台頭を許し、前衛の語は、物質と行為の直接表現に走った彼らを指す用語となった。この時点で、思想をタブローに間接表現する池田らのリアリズムは、後衛に見えることとなった。作風は必然的にマニエリスム化し、もともと怖かった絵はいっそう怖く、少しはあった茶目っ気は一掃された。仕方あるまい。

池田龍雄 巨人 1956 東京国立近代美術館蔵

 「第3章 越境、交流、応答、そして行為の方へ」は痛々しい。絵画の終焉が語られた時代、池田はオブジェをつくりランドアートに手を染めパフォーマンスを行った。旺盛な挑戦と言えなくもないが、優等生としての自己を優等生的に自問した結果であるならば、作品としての質の高さも相俟って、ますますもって優等生の哀しい性だ。瀧口修造と松澤宥への敬愛を隠さない。すなわち池田にとって、誰かが始めたオブジェもランドアートもパフォーマンスも、学びの対象だったのではないか。第2章よりもこの章こそが、美術家としての内面的な挫折に思える。前人未踏の荒野への踏み出しが前衛ならば、そもそも前衛は学べないものだということに、作家は気づいていたはずだ。

 第4章と第5章は、その点、安心して観賞できる。とことん巧くなった画家が繰り出す作品のヴァリエーションとして、宇宙論や東洋思想に思いを馳せつつ楽しめるからだ。小品オブジェには茶目っ気も戻ってきた。芸術や前衛は、安心して楽しめるようなものではないと突っ張る必要は、もはやない。第3章の危機を通過した勤勉な老作家の余裕を祝おう。

 若い一時期、「芸術の革命」と「革命の芸術」の一致という課題を高揚感をもって掲げ得たことが、やはり池田芸術の総括ではあるまいか。哀しき優等生としての長いその後の芸術家人生は、逆説的にその補強に働いたとするので、良いのではないか。

 閑話休題。2011年の震災が原発事故という人災を招いたことと、20年の東京オリンピック開催の気運によって、10年代の日本現代アートには芸術と政治の問題がまたも持ち込まれているように私には感じられる。本来の芸術批評が弱体化し、社会学に取って代わられたことがますます拍車をかけている。私はこうした現状を、優等生ばかりでつまらないと感じている。