日系移民の思い出と記憶を多層的に内包する作品群。はがみちこ評「大﨑のぶゆき:ブエノスアイレス」展
2019年の4月から約1ヶ月間、アルゼンチン・ブエノスアイレスでのレジデンスに参加した大﨑のぶゆき。本展では、現地で生活する日系移民たちの記憶や思い出についてのリサーチを起点にした作品を発表した。独自の理論を展開する作家の試みを、アート・メディエーターのはがみちこが論じる。
「アルゼンチンは日本の未来ではないか」
「イメージの流れ消える絵画」を手掛けてきた大﨑のぶゆきは、近年は自分や特定の誰かの個人的記憶を手がかりに、「見る」ことをめぐる認識論的な問いや記憶の曖昧さを喚起させる作品群を発表している。さらにその延長として、「ブロック宇宙論」(宇宙は4次元時空のブロックにすべて納められているとみなす)や「スポットライト理論」(時間の流れを認知することは、4次元ブロックのなかをスポットライトが移動するようなものと説く)といった最新の現代宇宙論におけるいくつかの仮説にヒントを得て、複数の時空(過去・現在・未来)の記憶を同一作品内に表そうとする「マルチプル・ライティング」なるアイデアを展開する。
本展はこの近年の制作上のコンセプトをベースに、ブエノスアイレスでのレジデンスにて、アルゼンチン日系移民をルーツに持つ人々に対し、彼らの思い出について取材を行うことで構想されたものだ。自らを取り巻く世界の成り立ちの"ユニバーサル"な地平に向けられたその態度は、彼らを描くにあたり「日系移民」という特異性を無効化する契機を狙う。その契機とは「普通」に還元することだ。
《Portraits(ブエノスアイレス | 日系移民のポートレイト)》はインスタレーションによって群的に示される作品である。中心のモニター3台には、水溶性絵具を用いた彼の手法によって、ブエノスアイレス日亜学院の生徒の肖像写真を描いたポートレイトが溶けていく映像が写され、周囲には彼が取材した人々の実際のポートレイト写真が配されている。当然ながら日本人らしい顔立ちをしている彼らの写真は、一見すると、日本の家庭のスナップ写真のようでもある。
しかし、会場に流れる音声は、彼が聞き取りした女性たちによるスペイン語の会話の録音だ。展示内でその翻訳は示されないので、スペイン語が聞き取れる人でなければ内容はわからず、そのディスクリプションのなさは、むしろ日常のなかでありえるだろう状況(外国語を話す日系移民の人に出会う)と同じ体験を鑑賞者に与える。おそらくそれは、大﨑がこの会話を最初に耳にしたときと通じる状況だ(彼はスペイン語を理解しない)。配布テキストでは、音声が日系の双子姉妹が2人の思い出について話す会話であること、そのインタビューの内容によって大﨑が個人的な随想を深めたことが示唆されている。これを読んでもやはり、鑑賞者は、肝心な会話の内容自体に辿り着くことができないが、それは大﨑が彼女たちの話す思い出自体に辿り着けない(もし彼が内容を理解したとしても、それを共有したことにはならない)ことに等しい。こうした他者の記憶が不可触である「普通さ」、あるいは「転写」が作品体験のなかに仕組まれることで、視覚を通じて展開されてきた大﨑の関心が「聞く」ことの曖昧さへと拡張されている。
《untitled album photo》シリーズは、取材した人々のアルバムの日常的な写真をモチーフに、同様に水溶性の絵画の溶ける様子を撮影した「記憶」のアーカイブとしての写真作品だ。小サイズのインスタント写真(チェキ)の組作品では、個人に固有なものとしての記憶を匿名的な集合として示すいっぽう、フィルムからの現像(Cプリント)の大型作品では、個を超えて複数性へと開かれる記憶を象徴的に示す。
大﨑は、個人の記憶は「ユニークピースでありマルチプル」であると述べ、他者の記憶の固有性への触れられなさと同時に、「自分自身とつながって転写していく」感覚、「なんともいえない時空を超えてつながっていく感覚」が確かにあるとして、冒頭で述べたような現代宇宙論への近接を体感的に説明する。誰かの記憶を描いた絵画が、融解して移り変わる様を見る。特別でありながら何気ない誰かの会話を、その内容を知ることなしに聞く。それらの曖昧な体験のなかに、この時空に入り込むための仕掛けが試みられているのだろう。
いくども財政恐慌に陥り、現在進行形でインフレが加速するアルゼンチンで、さして大きな混乱もなく普通の生活を営む人々に触れた大﨑は、日本とアルゼンチンにまつわる対称性(真反対)から、「アルゼンチンは日本の未来ではないか」というSF的ともいえる直感を、彼独自の理論により導き出したという。ゆえに、ここで大﨑がとらえようと試みたのは、自らとかけ離れた(アルゼンチンの)人々の過去ではなく、自ら(日本)の未来についてであるらしい。
《日時計(-34°)》は、大﨑がアルゼンチンで撮った写真の額に、一角が-34°(アルゼンチンの緯度、日本の緯度が35°になるためちょうど地球の真裏にあたる)の三角形のUVカット・アクリルをはめ込んだものだが、日時計が太陽光によって影を落とすように、UVカットされていない面が紫外線から被る経年変化をあらかじめ織り込んだ作品になっている。ここでは、ひとつのイメージの現在の姿に過去と未来が内包されている様を即物的に表し、日亜を結ぶ軸線が画面を二分するであろう構成は、ある点では実験であり、また違う点では魔術である。
ところで、ブエノスアイレスはマルセル・デュシャンの2つ目の亡命地でもある(最初の亡命地は言わずもがな、ニューヨークだ)。大﨑に倣って、筆者がブエノスアイレスという都市についての個人的な印象をあえて持ち出すとすれば、それは、デュシャンがチェスに本格的にハマった場所、というものになる。アメリカが第1次世界大戦の終結に向けて参戦すると、次なる土地に彼が選んだのは、古くからヨーロッパ諸国の入植が進み、当の大戦では中立を貫いていたアルゼンチンだった。1918〜19年の南米で過ごした短い期間に、デュシャンはとくにチェスに打ち込んだという。これについての理由は、様々に考えられる。“反芸術のカリスマ”なる神話を少し脇に置き、この芸術家についても、芸術という制度の自律性の外部に接続して(特異な人ではなく普通の人として)、当時の社会状況に即して検証する態度を採用してみたらどうだろうか。つまり、大戦によって家族や友人らが分断され、遠くからの訃報が届くような亡命地での生活のなかで、彼がチェスに向かった事実を見ることだ。近代美術史を観察すると、抽象絵画の発生は第1次世界大戦前後に集中している。同様に、デュシャンの亡命とチェスへの熱狂に因果を見出してはいけないものか。
8×8の盤上にあらゆるゲーム展開の可能性を内包するチェスは、デュシャンにとって4次元についての思索の鍵でもあった。それならば、直面する困難な状況への応答として、世界の構成を位相を変えて還元する態度があったと言えるかもしれない。大﨑の試みもまた、どこかそれにつながる部分がある。ちょうど100年の年月を超え、2人の4次元論者がブエノスアイレスという地点上で接近した偶然の一致。それは、ただ驚くばかりのことである。