それぞれの世界を映し出す鏡としての。小金沢智評「イラストレーションがあれば、」
社会と密接につながり、時代の精神や思想を映し出す「イラストレーション」。中世の彩飾写本や16世紀の世界地図、現代のポスターまでが一堂に会した「イラストレーションがあれば、」は、イラストレーションを多角的に考察した展覧会であった。「イラスト」という略語が社会に浸透した日本において、イラストレーションの原理とは何か? その豊かさをキュレーターの小金沢智が論じる。
「イラストレーション」の原理を問い直す
「イラストレーション」という一言では説明し難い概念を主題とするにあたって、しかも中世から現代までのヨーロッパそして日本を対象とするその射程の広さにあたって、本展ではしかし、その冒頭から明確な道筋を鑑賞者に示している。すなわち16世紀頃の「プトレマイオス図」と、2000年代の安西水丸による《水丸の散歩道》という2点の「地図」の展示、そして美術評論家の中原佑介によるテキストによってである。
現実の視点をもってしては〈見る〉ことのできない全世界、しかも、それによってのみ〈世界〉を〈知る〉という認識の働き──一枚の世界地図の示しているこの二つの性質こそ、イラストレーションの本質をあますところなく物語っているように思われる。イラストレーションとは、〈明るみにだす〉というのがその語源だが、見えないものに光をあてるというその光の角度こそ、今いった幻影の視点をつくりだすことに他ならない。世界地図は架空の一点から光をあてられた全世界のすがたである。それは明るみにだされた世界、つまり、世界のイラストレーションなのである。 ──中原佑介「イラストレーションと文化の顔」『美術手帖 イラストレーション』4月号増刊(美術出版社、1966年4月)、98頁
世界地図と、(「水丸事務所」がそのなかに見つけられるように)安西が事務所を構えた南青山の地図は、対象とする地域のサイズの(しかも、きわめて大きな)違いこそあれ、むしろそれこそが中原が書くような、「光をあてるというその光の角度」の差異なのだと本展は主張する。簡易的には「さし絵。図解」(*1)と説明される「イラストレーション」の、別の、もしかしたら本質とも言えるのかもしれないとらえ方の提案への強い意志は、中原のテキストを含むパネルが貼られた壁面を中心にして、その両サイドにも壁を建て、それぞれ地図を展示するという方法からも明らかだ。
そしてその展示は、展覧会全体の縮図でもある。本展はまず、時間や架空のそれまでも含む様々な「世界」の様相を表す「地図」を入口に、キリスト教の彩飾写本、解剖図など、いまだ知られざるものを啓蒙する目的から添えられたと思しきイラストレーションから、次第に、それら機能から離れていくと思しきイラストレーションへと展開していく。イラストレーションとは往々にして個人だけに帰するものではなく、商業・広告などとも結びつき、他者が大なり小なり介入するものだ。とはいえ、世界、宗教、身体など、社会全体に関わるものからごく私的なものという主題の拡大が見て取れ、それが「プトレマイオス図」と安西水丸《水丸の散歩道》におそらく象徴されている。したがって、ほとんど、この2点によって展覧会で言いたいことが言われているとすら言ってもいい。続く展示から、鑑賞者はそのあいだ数百年のイラストレーションの歴史的展開を見ることができる。
展示のなかほどで目に留まった一冊の雑誌がある。1904年の『明星』であり、開かれていたページには山本鼎の《漁夫》(1904)が載る。先立って書いた「もうひとつの日本美術史 近現代版画の名作2020」のレビューでも触れたとおり、《漁夫》は自画・自刻・自摺による創作版画の始まりに位置づけられる作品である。つまり、本展における同作の展示は、イラストレーションを「さし絵。図解」と訳すのであれば、山本にとってはおそらく不服に違いない。けれども、《漁夫》に対して「言うならばもっと小さな単位の、(それも国家と当然関係するものの)、大衆の生活の視点から鑑賞されるものではないか」と私が書いたように、イラストレーションが展開していく過程における「ごく私的なもの」の主題の成立と重ね合わせて見ることを検討してみるときが、山本の作品をこうして展示することの自然さに思い至るのではなかったか。
本展では「この頃の創作版画は記事内容に従属せず、独立した鑑賞のために挿入されたものであることは前提としながらも、雑誌の豊かなイメージを先導するものとして、イラストレーション的な側面も担っていたのかもしれません」(*2)と、《漁夫》を紹介した理由について述べているが、その展示は、イラストレーションだけではなく版画の主題の歴史的展開も同時に考えたとき、興味深い符合を見せる。「図解」、あるいは語源の「明るみにだす」という機能から、表現において私的なものが明るみに出てきた時代のシンボルとして、本展での《漁夫》は位置づけることができるかもしれない。
さて、イラストレーションの機能を「世界地図」を例に出して語った中原に対して、「刺青」という喩えを出して語った人物に、文筆家の草森紳一がいる。27篇のイラストレーションについてのテキストを集めた『「イラストレーション」地球を刺青する』(すばる書房、1977)の終わりに、草森は、レイ・ブラッドベリの短編集『刺青の男』(1951)の原題「the Illustrated Man」からヒントを得て、「イラストレーターとは、地球上の森羅万象を刺青してみせる存在ではないかと合点し、ひとり悦にいっていたころがある」(*3)と書いた。「森羅万象」とはいかにも壮大に思われると思うが、そのすぐ前の段落の、「鏑木清方の師の水野年方は、明治の挿絵の大家だったが、その彼が「挿絵の修行は、なんでも画けなければ一人前とは云えない。挿絵を職にしたおかげで、自分は得難い勉強をしたのだ」と門下に諭したという。挿絵が、森羅万象、描かざるものなしであることを、この言葉はよく示している。「一人の挿絵画家の描く対象は、一部分であっても、それが総体に及ぶ時、全宇宙の現象を覆いつくすのである」(*4)という文章を受けてのものだ。
そう、本書において草森は、鳥山石燕、《伴大納言絵巻》、大津絵、小村雪岱など、日本で言葉としてのイラストレーションが定着していく60年代以前の作家・作品も取り上げており、挿絵、カットなどの言葉も使っているのだが、そういった言葉の違いこそあれ、中原と草森に共通するのは、イラストレーションが世界全体と大いに関わるものだという認識である。イラストレーションが関わる他者とは世界のことなのだ。さらに草森は、「イラストレーターは、複製技術を駆使し、複製の運命に身をまかせることによって、自分を超えているばかりではなく、地球そのものを刺青している。刺青するというより、刺青そのものになっている。/彼等が見たイメージは、私たちの知っているつもりの地球以上に、地球である。いや、彼等は地球以上に地球であることによって、もう一つの地球、もう一つの宇宙の中の地球を、私に見せてくれる」(*5)とまで書く。
「明るみにだす」だけでは飽き足らない欲望を持ち、もうひとつの地球、もうひとつの宇宙すらつくり出す存在としてのイラストレーターと、そのものとしてのイラストレーション。それはある対象についての単純な「さし絵。図解」ではありえない。「イラストレーションがあれば、」私たちはいくつもの世界を見ることができ、さらにはその世界を生きることすらできるのかもしれない。地図の世界に遊ぶように。英題で「The Possibility of Illustration」(イラストレーションの可能性)と名付けられた本展は、その意味で、「イラストレーション」「挿絵」の原理についてのアジテーションとして見られなければならない。
*1ーー『広辞苑 第八版』(岩波書店、2018)、213頁
*2ーー『イラストレーションがあれば、』(武蔵野美術大学 美術館・図書館、2020)、27頁
*3ーー草森紳一『「イラストレーション」地球を刺青する』(すばる書房、1977)、388頁
*4ーー前掲書、388頁
*5ーー前掲書、389頁