「運動史」としての写真史 若山満大評「「写真の都」物語 ―名古屋写真運動史:1911-1972―」
名古屋市美術館にて、2月〜3月に開催された本展では、1920年代に日本のピクトリアリズムをけん引した〈愛友写真倶楽部〉や写真家・東松照明を生んだ都市、名古屋の写真表現の展開に焦点をあてた。同地名古屋に根ざす美術館で、その物語はどのようにつむがれたのか? 東京ステーションギャラリー学芸員の若山満大がレビューする。
すべて終わった、だが写真だけが運動し続けている
名古屋市美術館で「「写真の都」物語 名古屋写真運動史 1911-1972」が開催された。本展は、名古屋を中心に活動した写真家・写真団体を時系列に沿って紹介し、同地60年の写真史として総括する展覧会である。
本展序文には「写真表現の変遷を個人の表現史として回顧するのではなく、複数の人々が出会い、意気投合して生まれ出た表現として辿ること。当地名古屋で展開した写真表現を、ある共通した目的と方向を共有した運動体として見ること」という企画者(竹葉丈・名古屋市美術館学芸員)の史観が表明されている(*1)。様式変遷史ではなく「運動史」としての写真史を叙述しようする点に、本展のユニークさがある。
また本展は、これまで同館が開催してきた名古屋の写真に関する展覧会の集大成でもある。「名古屋のフォト・アヴァンギャルド」(1989)、「日高長太郎と愛友写真倶楽部 芸術写真の黄金期」(1990)、「構成派の時代 初期モダニズムの写真表現」(1992)、「写真家・東松照明 全仕事」(2011)ほか、1980年代末から今日に至る同館学芸員の研究蓄積を通観する本展は、圧巻の質と量を備えた敬服すべき「全仕事」であった。
本展は、60年におよぶ名古屋の写真運動史を全6章で構成する。第1章では「写真芸術のはじめ──日高長太郎と〈愛友写真倶楽部〉」と題して、名古屋における絵画主義写真(ピクトリアリズム)の実践が紹介された。ピグメント印画法を駆使する技術に定評があった日高らの仕事を、オリジナルプリント・レタッチ済み原板・ニュープリント・雑誌に掲載されたコロタイプ印画の複写を並列するという展示方法が採られていた。
続く第2章「モダン都市の位相 「新興写真」の台頭と実践」、第3章「シュルレアリスムか、アブストラクトか 「前衛写真」の興隆と分裂」においても、オリジナルプリントと複写が並列する。ピクトリアリズムを批判的に乗り越えようとした写真のモダニズム(新興写真)に関する研究には、すでに多くの蓄積がある。しかしながら、名古屋におけるその受容と実践を包括的に紹介するのは本展が初めてである。名古屋発の写真雑誌『カメラマン』(1936年創刊)を立ちあげた海部誠也や紅村清彦らの活動は、東京発の新思潮を受け止め、ローカライズしながら拡散する機能を果たしたものだと理解された。
第4章では「客観と主観の交錯 戦後のリアリズムと主観主義写真の対抗」として、戦中の停滞期を経て再度隆盛する1950年代のアマチュア写真文化を紹介した。その二大潮流ともいうべきリアリズムと主観主義写真の対立は、ピクトリアリズムとモダニズムの相克が戦争を跨いで再燃したかのような印象を受ける。即物的描写・報道という社会的使命など新興写真由来の写真観を称揚する土門拳や臼井薫らに対して、現実の一元化に抗うように「主観的現実」を印画紙上につくり出そうとする山本悍右ら〈VIVI〉。表現の力点を撮影以前に置くか、ポストプロダクションに置くか。あるいは、写真の本質をいかに定義するか。本展の企図に照らしてみるならば、なるほど日本における写真の展開は、それぞれの立場を堅持する人々の政治−運動の歴史として解釈しうる。
第5章「東松照明登場 リアリズムを超えて」では、前章の土門的リアリズムと対をなすようにして、東松の「リアリズム」が検証された。「カメラとモチーフの直結」(土門)が対象の実体を克明に捕えようとする態度ならば、東松のそれは対象の実態を捕えようとする。企画者の見解に倣うならば、東松のリアリズムとは「環境」を描写・表現しようとする態度である(*2)。
最後の第6章「〈中部学生写真連盟〉集団と個人、写真を巡る集団の模索」では、東松と齋藤良吉によって結成された同連盟の活動を跡付けた。東京都写真美術館「日本写真の1968」展(2013、企画:金子隆一)において検証に先鞭がつけられた学生写真運動。本展では全日本学生写真連盟(*3)の機関紙や写真集とともに、中部地方における運動の具体的な成果として、名古屋電気工業高校写真部『大須』や名古屋女子大学写真部『郡上』などを紹介した。
本展で展示された「写真」は様々な形態をとっていた。つまり、オリジナルプリント・原板・ニュープリント・雑誌からの複写・印刷物の一部として「写真」があり、そのすべてが会場内で等価に鑑賞されていた。この良し悪しについて論じるつもりはない。それよりも、ここには「写真とは何か/私たちは何を写真作品と見做しているのか」という問いが潜在していることを指摘したい。実在論的と言えばそうだが、ここで想定しているのはもっと卑近な、写真の実際の取り扱いに関わる問いである。例えば、原板は写真なのか(*4)。コンタクトプリントは作品なのか。写真/作品以前であるならば、作者(物故者)は果たしてそれを供覧されることを許すだろうか。写真をめぐる展示の倫理はまだ確立されていない。写真表現を「運動体」と理解しうるのと同様に、写真もまた「動態」と理解されうる。
*1──「序に代えて」本展カタログ、2021年、国書刊行会、p.2
*2──前掲、p.128
*3── 全日本学生写真連盟の活動歴・機関紙・写真集などの資料は、一般社団法人もうひとつの写真記録(AAJPS)によって下記のサイトにアーカイヴされている。https://aajps.or.jp/index.html
また、「日本写真の1968」展の企画者である金子隆一(写真史家)は2019年11月、Bombas Gens Centre d'Art (スペイン・バレンシア)で全日本写真連盟について講演している。下記はその講演録である。https://www.youtube.com/watch?v=Xy4hjlvMEWw
*4── 金子隆一「写真原板とは何か」『日本写真学会誌』73巻1号、2010年https://www.jstage.jst.go.jp/article/photogrst/73/1/73_1_18/_pdf