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2021.8.3

素材と作品の逆転に見る「膠」の姿。小金沢智評 「膠を旅する──表現をつなぐ文化の源流」

武蔵野美術大学の共同研究「日本画の伝統素材『膠(にかわ)』に関する調査研究」の成果発表展として、同大学の美術館・図書館で 「膠を旅する──表現をつなぐ文化の源流」が開催された。膠づくりの歴史的・社会的背景を見つめ直す本展では、現地調査のドキュメントを中心に、実物資料や同館所蔵の日本画を紹介。膠という素材を通して見えてくるものとは何か、キュレーターの小金沢智がレビューする。

文=小金沢智

「膠を旅する——表現をつなぐ文化の源流」の展示風景より 撮影=内田亜里
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「膠」という存在とどのように向き合うか?

 一見、スペクタクル=見せ物的な展覧会である。会場の武蔵野美術大学 美術館・図書館、その前庭には、皮なめし工程で使われるタイコと呼ばれる巨大なドラムと、皮を仕入れる際に使用される金網ケース──いずれも、長期間におよぶ使用感が見受けられる──が置かれている。また、展覧会手前で鑑賞者を出迎えるのは、牛骨(頭部)であり、再びのタイコ、金網であり、大量に積まれた牛の生皮を被写体とするモノクロームの写真であり、膠の乾燥台である。そしてメイン会場と思える展示室4に足を踏み入れれば、天井から鹿の乾皮が吊るされ、壁一面に数百にもなる膠が展示され、あるいは牛の乾皮が積まれ、板張りという皮の乾燥作業をするための巨大な木枠が出品されている。

展示風景より、タイコとメッシュパレット 撮影=内田亜里

 本展について書くにあたっては、まずこれらの〈生々しさ〉──というか、それらは「ありのままのもの」であるという点で、まさしく〈生〉(なま)のものであるのだが──が、展覧会全体のムードをつくっていたという点に、まずは言及しなければならないだろう。それらは、美術館という場にあって、きわめて異質なものにほかならない。つまり、本展で展示されたものの多くは、いわば美術作品が制作されるための〈素材〉とその生成過程を中心とするものであり、一般的に美術館で展示されるのは、素材を通してつくられた美術作品であるからだ。本展であれば、展示室5を用いて展示されていた毛利武彦《檻》(1958)、麻田鷹司《牛舎》(1952)、丸木位里・丸木俊《原爆の図 高張提灯》(1986)が、主要な展示品として陳列されよう。そしてそれらの理解を深めるための資料として画材が展示されることはあっても、その逆は通常ない。いっぽう本展では、膠というものの理解を推進するための資料──ただしこれは、資料であることが作品としての価値を貶めることを意味しない──として、作品が展示されるという逆転が起こっている。

展示風景より、手前が牛の乾皮 撮影=内田亜里
展示風景より、左から毛利武彦《檻》(1958)、丸木位里・丸木俊《原爆の図 高張提灯》(1986)、麻田鷹司《牛舎》(1952)
撮影=内田亜里

 この逆転は、展示室4の展示台中央において、本展監修者である日本画家・内田あぐりによる初期作品が、様々な種類の膠、岩絵具、胡粉、墨、筆などのいわば日本画材とともに、大胆にもロール状で置かれていることに、もっとも象徴的にあらわれていた。日本画の専門用語としては「捲り(まくり)」と呼ばれ、屏風や掛軸(現在であればパネル)等で表装されていない状態を意味するが、そのまま展示されることは非常に珍しい。内田は、本展開催と同時に刊行された『膠を旅する』(*1)所収の「膠と私」で、こう書いている。すなわち、「膠の長所はその性質が水溶性で柔軟性があり、水や岩絵具、顔料、墨、麻紙との相性も良い。(中略)膠のこうした柔軟性のある特性は、私の表現にとっては無くてはならない存在である。膠は接着剤というよりも、動物の体液で描いているという意識が私にはある」(p.234)と。メディウムとしての特徴である柔軟性を示す格好の状況として、これほどわかりやすいものもないだろう。ここで内田の作品は、作品であり資料として展示されている。ただ、美術作品と素材が逆転していると指摘できながらも、本展で動物の骨や皮が展示されることによって、「動物の体液で描いているという意識が私にはある」という内田の態度と、内田の手による作品の関係性が裏打ちされている点は興味深い。

展示風景より、中央が内田あぐりの作品群 撮影=内田亜里

 さて、冒頭で書いたように、本展はそのような展示も含め、一見、スペクタクル=見せ物的である。だが、そう感じる感性は、少なくとも筆者の場合、いかに普段それらを知ろうとせず、想像しようとせず、絵画の〈表面〉だけを見てきたのかということの裏返しでもある。本展における、膠を絵画のメディウムとしてだけではなくより広い観点から紹介する展示──アイヌ文化によるチェプケリ(鮭皮靴)やアイ(弓矢)の実資料など──はもちろんのこと、〈動物資源〉という観点から北海道網走市、大阪府浪速区・貝塚市、東京都墨田区、埼玉県草加市、兵庫県姫路市で行われた各種調査とその成果は、〈見せ物〉などではなく、なによりその土地に生きてきた人の歴史を広く知らせるものに違いない。展覧会場の壁面にはカッティングシートによって、内田あぐり、毛利武彦ら日本画家の言葉のほか、「牛は鳴き声しか捨てるところはない」「夫は空を見て川の音を聞くその日その日の仕事を、いつも真剣にやり遂げていたとも言っていた。だからこそ、水流の微妙な変化を、川の中の石同士がぶつかり合う音を聞き分けて判断して、原皮の川漬け、陸揚げのタイミングを判断していた──森本寿美子」という言葉が貼られ、それらは画家による言葉とも重なって、会場に重く響く。本展の主役は膠であり、膠をめぐる人と土地とその歴史である。

展示風景より 撮影=内田亜里

 であるからこそ危惧しなければならないのは、膠を〈伝統〉という枠から語りすぎ、ともすれば神秘化することであるだろう。例えば本展概要の一文には「日本画の伝統的画材である膠は、絵具と支持体をつなぎとめる素材として、多様な表現を生み出しながら、連綿と続く日本画の系譜を支えてきました。しかしながら、今日において伝統的な手工業による膠の生産は途絶えています」とある。なるほど膠はたしかに日本画の「伝統的画材」であり、それらは「伝統的な手工業」によってつくられてきた。だが、他方、日本画という本来であれば絵画の一ジャンルが国粋主義と結びつき、はたしてアジア・太平洋戦争下では日本画家たちによる国威発揚のための絵画が描かれたこと、そして戦後間もなくにあってはその反動と反省から「日本画滅亡論」まで唱えられたことを、それらを経た今日の私たちは忘れるわけにはいかない。この意味で本展「膠を旅する──表現をつなぐ文化の源流」は、主に膠が使用されている絵画ジャンルである日本画を組成の観点からとらえ直す画期的なものでありながら、同時に、日本画を膠という素材の面から神秘化する危険性も併せ持っているのではなかったか。主催者は後者を望んでいるわけではなかろうが、本展の貴重な調査研究成果に対して盲信的な視線を注ぐことのないよう、我々もまた注意を払ったうえで膠という存在と向き合わなければならない。

*1──『膠を旅する』国書刊行会、2021年5月。なお、筆者は本書に「膠をめぐる往復書簡──日本画家・金子朋樹の事例を中心に」を日本画家・金子朋樹との往復書簡という形式で寄稿している。ただ、書籍・展覧会のベースとなっている武蔵野美術大学共同研究「日本画の伝統素材『膠』に関する調査研究」のメンバーではなく、展覧会自体には関わっていないため、今回の寄稿依頼を引き受けた。