記憶と記録のあわいで、未来を考えるために。学芸員・佐々木蓉子が語る「もしもし、奈良さんの展覧会はできませんか?」

美術館の学芸員(キュレーター)が、自身の手がけた展覧会について語る「Curator's Voice」。第14回は、青森県弘前市で3度にわたって開かれた奈良美智の展覧会を振り返り、未来へと継承する弘前れんが倉庫美術館の「もしもし、奈良さんの展覧会はできませんか?」。担当学芸員の佐々木蓉子が開催に至るエピソードや見どころを語る。

文=佐々木蓉子

展示風景より
前へ
次へ

 明治・大正期、酒造工場として建てられた建築である弘前れんが倉庫美術館は、2020年に現代美術館として開館した。「記憶の継承」をコンセプトとして、鉄の太い柱や漆黒のコールタール壁など倉庫の特徴を可能な限り残しつつ、建築家・田根剛が改修をおこなった。建物が生まれ変わる大きなきっかけのひとつが、2000年代(2002、2005、2006年)に三度開催された、弘前市出身の現代美術家・奈良美智の展覧会だった。

弘前れんが倉庫美術館 ©︎Naoya Hatakeyama

 1959年生まれの奈良は、1987年に愛知県立芸術大学大学院修士課程修了後、1988年に渡独。国立デュッセルドルフ芸術アカデミーを修了し、ケルン在住を経て2000年に帰国する。同時期弘前では、当時の煉瓦倉庫のオーナー・吉井千代子氏(吉井酒造株式会社社長)が、雑誌で見かけた奈良の作品に強く惹かれていた。自分の倉庫で展示をしてもらうことはできないかと、奈良が所属していたギャラリーなど各所に問い合わせたのである。このことをきっかけに煉瓦倉庫の内部に初めて足を踏み入れた奈良もまた、この空間での展示を望んだ。結果として、2000年より横浜美術館を皮切りに全国巡回が予定されていた展覧会「I DON'T MIND, IF YOU FORGET ME.」(以下「I DON’T MIND」)の最終地として、煉瓦倉庫での開催への道が探られた。同展は奈良にとって国内の美術館初の本格的な個展であり、その後の国内での活動の展開の契機となった。

展示風景より

 「奈良美智展弘前」は当時、「事件」「奇跡の展覧会」とも呼ばれたが、その所以のひとつは運営・企画から設営準備、会期中の仕事の多くが実行委員会を核としたボランティアスタッフの尽力によって担われたことにあった。展覧会は想定を超える大盛況となり、煉瓦倉庫を基点に街や人々が熱気に包まれた。当時の実行委員会の有志が中心となり、2003年には青森県初のアートNPOとして、NPO法人「harappa(はらっぱ)」が誕生した。このharappaを運営の母体として、その後もボランティア主体での二つの展覧会「From the Depth of My Drawer」(2005)(以下「From the Depth」)、「YOSHITOMO NARA + graf  A to Z」(2006)(以下「A to Z」)が開催される。美術館のなかった弘前の地における三度の展覧会の成功は、「煉瓦倉庫を街のあらたなアートの拠点に」という市民の意識へと結びついた。

展示風景より、「YOSHITOMO NARA+graf A to Z」の資料展示

 本展は、三度の「奈良美智展弘前」について、初回の2002年の開催から20年が経ったいま振り返り、未来の美術館や街のあり方を来館者とともに考えたいという思いから生まれたものだ。奈良の個展ではなく、あくまでも「美術館と市民がつくるもの」という前提のもと、立ち上がった。過去を懐かしく思い返すだけではなく、三度の展覧会が街や人に残したものが現在や未来に接続していることを示唆し、当時を直接知らない人にとっても新たな発見が生まれうる契機となることを目指したいと考えた。