【今月の1冊】絵巻から抽象まで、「風景画史」を語り尽くす大著
『美術手帖』の「BOOK」コーナーでは、新着のアート&カルチャー本の中から注目したい作品をピックアップ。毎月、図録やエッセイ、写真集など、様々な書籍を紹介。2016年10月号では、古今東西の風景画を網羅した、全3巻に及ぶ山梨俊夫の大著『風景画考 世界への交感と侵犯』を取り上げた。
『風景画考 世界への交感と侵犯』全3巻 山梨俊夫=著 風景を介してめぐる、人類の精神史
全3巻、総計1620ページに及ぶ壮大な風景画論が誕生した。古代ローマの壁画から現代日本の心象風景とも言うべき抽象絵画まで。日本とフランスの近現代美術を専門とする著者が、長年の美術館勤務の経験で培った知見と鑑賞眼を駆使して、古今東西の風景画を存分に語り尽くした大著である。気になる固有名詞が出てくる章から読み進めることもできるが、せっかくならば著者が用意してくれた時間軸に沿って、日本と西欧の風景画を行き来する長旅を楽しみたい。
風景画というジャンルが成立する以前の古い時代を扱った第1部。日本の風景画の源流に置かれるのは、奈良時代に領地を画定するために作成された古代荘園図である。絵師たちは歩きながら山々の地形を身体的にとらえ、断片的な情報を繋ぎ合わせて地図を作成した。平安時代の絵巻物や屏風絵は、当時の人々の自然観が反映され、雪舟の傑作《天の橋立図》には「見ること」と「描くこと」の相克が見受けられる。「絵画」なる概念は未だ存在しない時代だが、広大な世界の全体像をなんとか統合しようとする彼らの意思は、その後のジャンルとしての「風景画」の誕生を予告するものだ。
第2部では画家の眼と身体が外界に向き合うさまに着目し、旅する文人画家の狩野探幽、池大雅、浦上玉堂らを論じるほか、「真景」の概念について解説する。一方ではるか遠くの西欧にも目を転じ、レンブラント、ターナーといった風景画の巨匠の革新性についておさらいすることも忘れてはいない。第3部になると時代はようやく近現代へ。日本における油絵のパイオニア、高橋由一の視覚形式の分析を皮切りに、高村光太郎「緑色の太陽」に端を発する「個性」表現の代表格として、萬鉄五郎、岸田劉生らの風景画が俎上に載せられる。さらに時代を下って、林檎の木をリズミカルな線描に還元したモンドリアン、色面絵画のロスコ、果てはランド・アートのスミッソンまでを論じる展開に意外さを覚える読者もいるかもしれないが、風景画の要諦が主体と外界の関係性を描くことにあるのだとしたら、このような作家たちへの言及も「風景画史」の流れとして十分に妥当である。
人間は自分が生まれ育った土地の風景をみずからの精神に取り込むものであり、風景画はそうした蓄積から生み出されるのだと著者は言う。この観点に立つとき、本書は風景画なるジャンルの形成と変転を追った絵画史に留まらず、風景を介してめぐる人類の精神史といった趣を帯び始める。
(『美術手帖』2016年10月号「BOOK」より)