【今月の1冊(今月は2冊)】
芸術の過去・現在・未来を探求する2冊『芸術の終焉のあと 現代芸術と歴史の境界』『アート・パワー』
『美術手帖』の「BOOK」コーナーでは、新着のアート&カルチャー本の中から毎月、注目の図録やエッセイ、写真集など、様々な書籍を紹介。2017年5月号では、アーサー・C・ダントーによる『芸術と終焉のあと 現代芸術と歴史の境界』とボリス・グロイスによる『アート・パワー』を取り上げた。
「芸術の終焉」が叫ばれて久しく、「芸術とは何か」という根源的な問いがいまだ堂々巡りを繰り返す中、「終焉のあと」を展望するための重要な理論書が立て続けに邦訳された。
まずは、美学者アーサー・C・ダントーの芸術哲学が結実した『芸術の終焉のあと』(原著は1997年刊行)。アンディ・ウォーホルの《ブリロ・ボックス》(1964)に代表されるように、現代美術の世界では芸術作品とただのオブジェ(現物)の区別はもはや曖昧である。現代美術は「なんでもあり」。ダントーいわく、その中でなお、「芸術とは何か」を問うならば、視覚的な情報や感性による判断ではなく、哲学をもって追求しなければならない。長らく視覚芸術の原理を成してきた「模倣」の時代から、芸術と非芸術の峻別に反省を加えるイデオロギーの時代、そして多元的に広がるポスト・ヒストリカルな時代へ。各段階で主要な役割を果たした理論を踏まえ、あるべき評論の原理を探ることが本書のメインテーマである。
他方、『アート・パワー』(原著は2008年刊行)は、今年1月の招聘プロジェクトでも大きな注目を集めた美術評論家ボリス・グロイスが1997~2007年に発表したテキストを集めた論考集。芸術はそれ自体でなんらかの力(パワー)を有するのか――。作品がアート・ワールドやマーケットに大きく依存し、ときに政治参加によって正当性を得ようとする現況を見据え、グロイスは「芸術の自律は可能か」という古典的にも思える命題に挑む。そして自律性の条件として「美学的平等性」なる概念を導入し、イメージ群が水平的に広がる領野に目を向けることを説く。グロイスがここで可能性を見出すのは、アーカイヴ空間として「新しさ」を生み出すミュージアムであり、イメージの乱用によって偶像破壊の操作を行うキュレーションであり、「生政治」に通じるインスタレーション形式のアート・ドキュメンテーションである。こうした主張は美学的次元にとどまらず、世界を画一化するグローバリゼーションへの抵抗と読み取ることが可能だろう。
「芸術の終焉」に至る歴史的展開を押さえるのに必携のダントー、実践につながる理論書として読めるグロイス。日本の現代美術にとっても決して他人事ではない課題が、この2冊から引き出せるはずだ。
(『美術手帖』2017年5月号「BOOK」より)