EXHIBITIONS
受贈記念「星野眞吾・高畑郁子 二人の足跡」展
革新的な日本画に挑んだ星野眞吾と、創画会を舞台に叙情的な信仰世界を描き続ける高畑郁子。2人はまったく異なる作風と画才を持ちながらも、互いに認め合う同志であり、長年連れ添った夫婦でもあった。
星野(1923〜97年)は愛知県豊橋市出身。49年に三上誠らと前衛美術グループ「パンリアル美術協会」を結成、52年に中村正義、高畑らと中日美術教室を開設した。父の死をきっかけに、人拓シリーズの制作を開始。糊をつけた身体を和紙に押しあて、その痕跡に岩絵具を付着させるという独特の手法で、当初は掌や足の裏など身体の一部のみを用いたが、やがて全身におよび、身体各部を組み合わせることによって多様な形態をつくり出した。
高畑は48年に豊橋市立高等女学校を卒業後、中村らと知り合い日本画をはじめ、59年に第13回女流画家協会展で女流画家協会賞を受賞。74年頃からインドの憧景と信仰世界を混交させた独自の様式を確立した。主題はインドにとどまらず、中南米やチベットの遺跡、日本の遍路など各地の取材をもとに、仏教的なモチーフを用いるなど、様々な展開を見せている。
本展では、美術館に寄贈された約30点の作品を中心に展示。それぞれの初期〜近年までの足跡をたどる。
星野(1923〜97年)は愛知県豊橋市出身。49年に三上誠らと前衛美術グループ「パンリアル美術協会」を結成、52年に中村正義、高畑らと中日美術教室を開設した。父の死をきっかけに、人拓シリーズの制作を開始。糊をつけた身体を和紙に押しあて、その痕跡に岩絵具を付着させるという独特の手法で、当初は掌や足の裏など身体の一部のみを用いたが、やがて全身におよび、身体各部を組み合わせることによって多様な形態をつくり出した。
高畑は48年に豊橋市立高等女学校を卒業後、中村らと知り合い日本画をはじめ、59年に第13回女流画家協会展で女流画家協会賞を受賞。74年頃からインドの憧景と信仰世界を混交させた独自の様式を確立した。主題はインドにとどまらず、中南米やチベットの遺跡、日本の遍路など各地の取材をもとに、仏教的なモチーフを用いるなど、様々な展開を見せている。
本展では、美術館に寄贈された約30点の作品を中心に展示。それぞれの初期〜近年までの足跡をたどる。