EXHIBITIONS
石井林響展
千葉に出づる風雲児
「西に関雪(橋本関雪)、東に林響あり」と称され、明治末から大正期にかけて画壇を賑わせた日本画家・石井林響(本名=毅三郎)。千葉県山武郡土気本郷町(現・千葉市)に生まれ、16歳で上京後に下村観山の推薦で橋本雅邦に入門し、「天風」の名で若くして頭角を現した。
初期では当時流行していた歴史画を線密に、物語豊かに描写。その後、横山大観や今村紫紅から影響を受けた風景画や田園風俗画へと画風を大きく展開させ、牧歌的なテーマで色鮮やかな作品を数多く手がけた。
帝展の委員となるなど地位も築いた林響だが、徐々に画壇から距離を置き、大正15年に郷里に近い千葉の大網宮谷に画房「白閑亭」を築いて移住。号を「林響」に変えて南画や文人画に没頭し、新たな画境へ進み出ようとした折、45歳の若さで急逝した。
本展は、林響にまつわる新たな資料や他作家の作品を含む約140点で、その知られざる画業に迫る28年ぶりの回顧展。古画を愛し、同時代の画家たちの中でも随一の目利きで知られた林響の蒐集品もあわせて紹介する。
初期では当時流行していた歴史画を線密に、物語豊かに描写。その後、横山大観や今村紫紅から影響を受けた風景画や田園風俗画へと画風を大きく展開させ、牧歌的なテーマで色鮮やかな作品を数多く手がけた。
帝展の委員となるなど地位も築いた林響だが、徐々に画壇から距離を置き、大正15年に郷里に近い千葉の大網宮谷に画房「白閑亭」を築いて移住。号を「林響」に変えて南画や文人画に没頭し、新たな画境へ進み出ようとした折、45歳の若さで急逝した。
本展は、林響にまつわる新たな資料や他作家の作品を含む約140点で、その知られざる画業に迫る28年ぶりの回顧展。古画を愛し、同時代の画家たちの中でも随一の目利きで知られた林響の蒐集品もあわせて紹介する。