EXHIBITIONS
上野リチ
ウィーンからきたデザイン・ファンタジー
京都国立近代美術館で展覧会「上野リチ:ウィーンからきたデザイン・ファンタジー」が開催される。ウィーンと京都で活躍したデザイナー、上野リチ・リックス(1893〜1967)の世界で初めての包括的な回顧展。
世紀末芸術の爛熟期にあったウィーンで、フェリーツェ・[リチ]・リックス(のちの上野リチ・リックス)は裕福な家庭の長女として生まれた。リベラルな生活環境で育ち、芸術的素養を身につけたリチは、ウィーン工芸学校でテキスタイル、七宝、彫刻などを幅広く学び、卒業後、ウィーン工房のデザイナーとして活躍した。
その後、日本人建築家・上野伊三郎と出会い結婚し、京都に移住。結婚後の名前は「Felice Ueno-Rix」と綴り、日本では愛称であるリチ(Lizzi)の名前で活動し、第二次世界大戦前は2つの都市を行き来しながら活動。工芸や織物、染色など京都の伝統工芸の技術も取り入れつつ、壁紙やテキスタイルなどの日用品や室内装飾といった幅広いデザインを生み出した。
戦後は夫とともに、京都市立美術大学(現在の京都市立芸術大学)の教授となり、退職後はインターナショナルデザイン研究所を設立。後進の育成にも尽力し、大きな足跡を残している。
京都に生きたウィーン人・上野リチの活動を初めて回顧する本展。京都国立近代美術館が所蔵する多くのリチ作品に加え、オーストリア応用芸術博物館/現代美術館(ウィーン)など国内外の機関からリチ、そして関連作家の作品・資料を招来し、約370件によって、色彩豊かで創造力あふれるリチの魅力あるデザイン世界の全貌を明らかにする(会期中、一部展示替えあり)。
*──上野リチの結婚前の正式な名前はフェリーツェ・リックス(Felice Rix)で、「リチ(Lizzi)」は愛称。結婚後の名前をリチ自身は、ドイツ語式に「Felice Ueno-Rix」と綴り、自ら愛称を用いて「Lizzi Ueno-Rix」とも記している。日本では後年の勤務先である京都市立芸術大学でも「上野リチ」とその名が記載されているため、本展ではその表記を踏襲しつつ、「上野リチ・リックス」が正式な表記として採用された。
世紀末芸術の爛熟期にあったウィーンで、フェリーツェ・[リチ]・リックス(のちの上野リチ・リックス)は裕福な家庭の長女として生まれた。リベラルな生活環境で育ち、芸術的素養を身につけたリチは、ウィーン工芸学校でテキスタイル、七宝、彫刻などを幅広く学び、卒業後、ウィーン工房のデザイナーとして活躍した。
その後、日本人建築家・上野伊三郎と出会い結婚し、京都に移住。結婚後の名前は「Felice Ueno-Rix」と綴り、日本では愛称であるリチ(Lizzi)の名前で活動し、第二次世界大戦前は2つの都市を行き来しながら活動。工芸や織物、染色など京都の伝統工芸の技術も取り入れつつ、壁紙やテキスタイルなどの日用品や室内装飾といった幅広いデザインを生み出した。
戦後は夫とともに、京都市立美術大学(現在の京都市立芸術大学)の教授となり、退職後はインターナショナルデザイン研究所を設立。後進の育成にも尽力し、大きな足跡を残している。
京都に生きたウィーン人・上野リチの活動を初めて回顧する本展。京都国立近代美術館が所蔵する多くのリチ作品に加え、オーストリア応用芸術博物館/現代美術館(ウィーン)など国内外の機関からリチ、そして関連作家の作品・資料を招来し、約370件によって、色彩豊かで創造力あふれるリチの魅力あるデザイン世界の全貌を明らかにする(会期中、一部展示替えあり)。
*──上野リチの結婚前の正式な名前はフェリーツェ・リックス(Felice Rix)で、「リチ(Lizzi)」は愛称。結婚後の名前をリチ自身は、ドイツ語式に「Felice Ueno-Rix」と綴り、自ら愛称を用いて「Lizzi Ueno-Rix」とも記している。日本では後年の勤務先である京都市立芸術大学でも「上野リチ」とその名が記載されているため、本展ではその表記を踏襲しつつ、「上野リチ・リックス」が正式な表記として採用された。