オラファー・エリアソンが語る、地球のために私たちが/アートができること
4月24日、ライゾマティクスが主催するオンラインイベント「Staying TOKYO」に参加したオラファー・エリアソン。キュレーター・長谷川祐子との会話のなかで、現在のアートを取り巻く状況について何を語ったのか?
3月14日から、東京都現代美術館で個展「オラファー・エリアソン ときに川は橋となる」を開催予定だったオラファー・エリアソン。現在は新型コロナウイルスによる臨時休館を受け、その開幕は延期となっている(*5月27日追記:同展は6月9日開幕)。
そんなエリアソンは4月24日、ライゾマティクスが主催する実験的オンラインイベント「Staying TOKYO」に参加。キュレーター・長谷川祐子とともに「アート」を取り巻くいまの状況について語った。ここでは、1時間半におよぶディスカッションのなかから、その発言の断片を紹介する。
なお、トークのアーカイブはYouTubeで全編視聴することができる(同時通訳のため視聴方法はYouTubeの概要を参照)。
どのように過ごし、何を考えているか
新型コロナウイルスに対しては、2月の半ばごろから対処をはじめていました。大きなスタジオを小さく5つに分けてキッチンやトイレを別々に用意するなど、それぞれのチームが会わないよう対策を行い、ドイツでもスタジオをオープンすることができています。また100人のスタッフの雇用者としては、政府からの給付金にとても助けられています。
文化はアイデンティティの一部であり、社会の上に追加されるもの、社会の周縁部にあるものではありません。この危機のなかの中心にあるものです。そのなかで私はいま、少しスローダウンして、何が良いのか/悪いのかを考える時間を楽しんでいます。
私たちがこの時間を使って考えるべきことは「何に戻りたくないか」「何を変えたいのか」です。コロナ危機の前にも、世界が良くなるためのアイデアはたくさんありましたが、それを実行する時間がありませんでした。いまは、この後に何をするのか検討する良い機会のはずです。自分を勇気づけてくれて、批判的な思考を高めるような本を読むことも良いと思います。私も、これから改善したいことのリストを書き出しているところです。そこには、いままで考えたことのなかったようなことも含まれています。
いま読んでいる本
いまはブルーノ・ラトゥールの『地球に降り立つ』(2019)や、ダナ・ハラウェイの『Staying with the Trouble』(2016、邦訳未刊)、そしてティモシー・モートンの本などを読んでいます。
それから、国連の多国間的な要素についてとても興味を持っています。私たちが生きる時代はナショナリズムが活発で、二極化した対話が国境をまたいで行われています。しかし私は、それぞれの違いではなく、私たちが共通して持っているものに焦点を当てた言語を開発することが重要だと考えています。
自然の権利、そのためにアートができること
私たちにはrethink(再考する)、reframe(再編・再定義)、redesign(再設計)しなければいけないことがたくさんあります。人類が生存できる限界のことを「プラネタリー・バウンダリー」と呼びますが、私たちはそれに対応できていません。地球が持つ以上の資源を使っていて、このままでは人類は絶滅してしまいます。しかし人間がいなければ、地球は元気を取り戻すでしょう。これは地球の危機ではなく、人類の危機というだけなのです。
哲学とアートにおいて扱うべき問いは、私たちの権利の再解釈について、そして基本的な地球の問題についてではないでしょうか。世界では、非人間中心的な立場から、自然についても権利を認めるような動きが生まれています。人間はいまの状況に甘えすぎてはいけません。私はアーティストとして、多元的な共存に貢献できるか、ということを考えています。大切なのは垂直ではなく、水平のヒエラルキーです。
「文化が自分にとって何であるか」を考えることは重要です。文化はどこかに所属する感覚であり、それは何と暮らすか、どこで暮らすかという価値観の問題でもあります。それ自体は高い理想であり、私たちの考えと行動の距離はかなり大きい時があります。たとえば仕事がひとつしかなくて、それが環境にあまり良くないことはわかっているけれど、それをやらなければいけない、というようなときです。価値観と生活に差があるのは悪いことではないですが、その価値観に近づこうとする向上心を持つのは大切なことだと思います。
アートや文化にできるのは、その価値観について常に確認し、私たちがいまどの程度にいるのか確認することです。文化が教えてくれるのは、「この考え方は保守的すぎる」「これは未来のためには必要ない」ということです。過去の価値観を選択してしまうと、明日に行くのがとても難しくなってしまいます。
だから私は「コロナの後は元に戻るか」という考え方が嫌いです。そんなことは起きるはずがありません。予測できないことへの恐怖や不安があるのもわかりますが、時間は一方向に進むだけです。考えなければいけないのは、「なぜ明日が昨日より良くなるのか」ということです。そうでないと明日に行けないからです。
「ときに川は橋となる」
作品をつくり始めたとき、自分に関係があるものから始めようと思いました。私は客観的な自然観ではなくて、人がどのように自然を見ているのかということ、そして文化と自然が切り離されていることに興味があります。人間だって自然だと考えれば、自然が自然について考え始めるとき、それが文化になると言えるかもしれません。
東京都現代美術館での展覧会では、人間が住む地球上のごく薄い層である「クリティカルゾーン」へのアプローチとして、新しいことをたくさん試しました。どのようにクリティカルゾーンを見つめるか、どのようにシステムを再定義し、デザインし直すかということを考えました。
私たちは「川にかかった橋は渡るものである」と思っています。でも、それはなぜでしょうか。川に橋がかかっているのに、そこを渡るために違う方法をつくり直す、考え直さなければいけないときがあるはずです。では、誰がものの見方を再定義し、新しい価値を提案できるのか。それが文化であり、科学や教育です。「ときに川は橋となる」というのは、わからないものを受け入れ、未来を創造するプロセスのために必要な考え方なのです。
ウイルスとの共存
私はこれまで以上に、「親密さ」ということについても考えています。いまローカルなレベルでは、お互いを気にする、守るということにフォーカスする機会が増えています。それから、医療従事者やゴミ収集に携わる人がとても重要な存在になっています。私自身も、そういった人々の大切さを忘れていました。これまでは傲慢だった、もしくは感覚が麻痺していたのです。だからこそいまは、最人間化のプロセスにあると言えるかもしれません。
しかしこの新しい「思いやり」というパワーは、国のレベルには届いていません。私たちの足元は思いやりにあふれているのに、リーダーシップのレベルでは経済ばかりです。たしかに経済は重要ですが、私たちは人としての価値を守ることを優先するための蓄えはすでに持っているのではないでしょうか。
私たちは、How(どのように)ではなくWhy(なぜ)について考えるべきです。Howを考えるのは、政治家の仕事です。アーティストはWhyを考え、そして価値についての対話をしなければなりません。私たちはひとりの人間でしかないですが、ひとりの人間としてどう貢献し、何ができるかを考えていく必要があります。ネットワークをつくり、文化がシステムとして重要だということを話し合わなければいけないと思います。
若い人へのメッセージ
あなたが私ぐらいの年齢になったとき、例えば30年後の2050年、いまの自分に手紙を出すと考えてみてください。何を書きますか? どんなアドバイスをして、どう生きろと伝えるでしょうか?
未来からのアドバイスとして、この3つを考えてみてください。気候の問題のために自分は何ができるのか、他の人たちにどう接するのか、そして自分が思い描く未来を実現するため、社会的な意味でどのように協働するのか。そして、書いたことといまの生活を比べてみてください。
私が伝えたいのは、世界をより良い場所にするのは自分ではないと絶対に思うな、ということです。大人に変な機能を植え付けられたりしないように、古い人のロボットのようなリアリティを押し付けられないように。自分を開放して、自由に環境のため、地球のために行動するべきです。私の展覧会を見に来てくれても良いですが、それより重要なのは、自分で自分の未来をつくることです。