美術手帖2022年2月号
特集「ケアの思想とアート」
「Editor’s note」
『美術手帖』2022年2月号は「ケアの思想とアート」特集。雑誌『美術手帖』編集長・望月かおるによる「Editor’s note」です。
「ケア」と聞いて、多くの人は医療や介護の現場を思い浮かべるかもしれない。だが今回の特集で取り上げたいのは、「誰しもが他者との関係性のなかにある」という事実に基づいた、より広い世界のとらえ方についてである。
近年、この言葉を頻繁に見聞きするようになった背景には、新自由主義に起因する経済危機や格差問題、そしてコロナ禍により、もはや従来の価値観だけでは乗り越えがたい現実に直面しているという状況があるように思う。
以前から「ケア」という概念は、哲学から政治学まで、広く研究対象として論じられてきた。その中心となる考えとは、「他者への依存を不可避とし、偶然とも言える相互依存のなかで、他者のニーズを充たすためにときに奔走する人々の実践から世界をとらえる」(エヴァ・フェダー・キテイ)といった視点や、幼児期から老齢期まで、「人間は誰かに一方的に依存しなければ生きていけない時期」があり、誰もがケアされる人になりうるし、それをケアする人もまたつねに存在する(岡野八代)という、ケアする側とされる側両方への想像力をうながすようなものである。これらは二元論的思考や、正義を追求する姿勢、また競争や市場原理に基づく強権主義などとは、明らかに逆のものだ。
現代美術のなかでもこうしたテーマに根ざし、社会のなかであえて蓋をされがちなことを、作品という形で声にしてきた作家は多い。そこで本特集では「ケア」という視点から美術をとらえ直すと何が見えてくるのか、研究者やアーティストたちに話を聞くことにした。
ケアに関わる実践をしている何人かに共通しているのが、実際に出産や育児、家族の介護の当事者に自分自身がなったとき、既存の理論や価値観に疑問を感じ、目の前の出来事に相対するプロセスのなかで、ケアの思想につながっていくということだ。例えば渡辺篤は、自身のひきこもりの経験を起点に「コロナで孤独感を抱いている人」とともにプロジェクトを2020年に始め、一方的な支援や搾取に陥らないよう、「当事者と何をし、その後当事者の環境や実感がどう変化するか」を重視している。また障害や精神疾患を抱える家族がいる立場から、作品を手がける佐々木健と飯山由貴の対談では、健常者の基準を押し付けるのではなく、自分の兄や妹の視点から世界はどう見えているのかを理解し伝えようとする姿勢がうかがえた。
「ケア」の視点から作品に光を当てると、自分自身も確かにその一部に関わっているのだという実感と現実が、改めて浮かび上がってくるように感じた。コロナ後の世界を新しい言葉で紡ぎ直していく必要に迫られているいま、このなかに多くの示唆とヒントがあるのではないだろうか。