2024.9.22

日本の芸術祭は誰かの声の受け皿になりうるか

今年、横浜美術館を中心に開催された第8回横浜トリエンナーレ「野草:いま、ここで生きてる」(3月15日~6月9日)は、その政治性の強いキュレーションから、ソーシャルメディアを中心に多くの批判が寄せられた。芸術祭において社会問題を扱うことは困難なのだろうか? 日本における芸術祭の在り方や意義、そして日本という国ならではの芸術祭の可能性について、田中功起が考察する。

文=田中功起

第8回横浜トリエンナーレ「野草:いま、ここで生きてる」(3月15日~6月9日)展示風景より 撮影=編集部

日本の芸術祭は誰かの声の受け皿になりうるか

アート産業としての日本の芸術祭

 AとB、2つの対立するものがあるとして、はたしてその2つは本当に対立しているのだろうか、と問うことができる。AとBのそれぞれのなかに、互いの特性を受け入れる可能性が潜んでいる場合もある。そのときAとBの対立は本質的ではなくなり、融解し、ひとつになる。

 Aとしてここで考えているのは地域芸術祭だ。ビエンナーレやトリエンナーレといったイベントを国内に輸入するときに、それらは国際芸術祭という名前に翻訳された。

 2000年代以降、地域芸術祭(地域アートや地域アートプロジェクトとも呼ばれる)は増え続けている。しかしそれらはアートのプロフェッショナルに向けた、展覧会制作の新しいアイデアやテーマの現代性、アート作品の質を問うようなアプローチではなく、集客も意識したお祭りとして行われ、ツーリズムやまちおこし的な需要に対応したものが多かったと思う。すでに言われてきたことだとは思うが、1980〜90年代の箱物行政のなかでたくさんの地方美術館がつくられた結果、日本のアート産業はいわば美術館建築というハード面の飽和状態に直面し、芸術祭というソフト面へと移行してきた。ぼくはずっと、この祭りとしてのビエンナーレ、トリエンナーレの在り方に疑問を持っていた。

 Bとしてここで考えているのはキュレーターだ。国内外問わず2000年代以降のアート産業のなかで顕著になってきたのはキュレーターの存在感である。

 キュレーターには、美術館に所属するインハウスのキュレーターや無所属のインディペンデント・キュレーターがいるが、いずれにせよ、展覧会の企画制作を行う人物を指す。展覧会はキュレーターの固有名によって大きく左右され、ひとつの展覧会を考え、つくるという行為は、ある意味ではアーティストによる創造行為と同等のものと見なされるようになってきた。これまでの様々な展覧会制作の歴史を踏まえたうえで、実験的な形式を目指すものもあり、例えば5年に1回開催されるドイツのドクメンタは、展覧会をラディカルな学びの場所として位置づけている。多様な参加者によって現れてくる政治性や展覧会を読み解くための無数の書籍制作、たくさんのイベント、開催地の複数化など、展覧会制作は拡張されてきた。ぼくはずっと、このキュレーションの在り方を参照し、制作においても影響を受けてきた。

 まちおこしとしての芸術祭(A)と実験的なキュレーション(B)は相いれない、と思うかもしれない。少なくともぼくはそう思ってきた。一般の観客向けなのか、プロフェッショナル向けなのか。でも、果たして本当にそうなのだろうか。国内のアート産業のなかで勃興してきた祭りとしてのアート(A)も、グローバルなアートワールドで勃興してきたキュレーションの在り方(B)も、ともに産業構造が生み出したそれぞれの結果だ、と言えるのではないか。対立している2つの価値は、ある意味では私たちの消費行動のふたつの側面かもしれない。ツーリズムという観点に立つとき、地域芸術祭に行くことも、ビエンナーレやドクメンタに行くことも、どちらのコンテンツが好きか嫌いかという旅行者/消費者視点の違いでしかない。AとBはどちらも消費行動を促すための2つのインセンティブでしかなく、そこに対立構造を見ていたぼくは表面的な違いに惑わされていただけかもしれない。