既知と未知、生と死を往還するアルベルト・ジャコメッティの彫刻
エスパス ルイ・ヴィトン大阪で現在、アルベルト・ジャコメッティ(1901〜66)の個展が開催中だ。フランスのフォンダシオン ルイ・ヴィトンが所蔵するジャコメッティ作品のなかから、大作《大きな女性立像 II 》を含む7点を展示する同展。2017年に国立新美術館で行われたジャコメッティの大回顧展も担当した横山由季子が、本展をレビューする。
よく知っているはずのものが突如として未知のものになる──連綿と続く日々のなかで、誰しもそのような感覚にとらわれたことがあるだろう。ひとつの文字を長いあいだ注視しているとゲシュタルト崩壊が起きたり、見慣れた風景が全く知らない場所に変貌したり、ふとした瞬間に家族や友人の顔がその人として認識できなくなったり。そんなとき、私たちは連続した時間や空間のネットワークから切り離されて、絶対的な孤独ともいうべき状態に宙づりになる。ジャコメッティは、街中の人々や目の前のモデルを凝視しながら、この既知と未知のあいだを絶えず行き来して制作していた。
エスパス ルイ•ヴィトン大阪で開催されているジャコメッティ展には、第二次世界大戦を経て細長い彫刻へと向かった時期の7点の彫刻作品が展示されている。会場に足を踏み入れると、最初に出迎えてくれるのは《大きな女性立像Ⅱ》(1960)である。3メートル近い高さの直立不動の女性立像は、もともとは、「歩く男」「頭部」とともにニューヨークのチェース・マンハッタン銀行ビルの広場に設置される予定だった。この計画は頓挫するも、ジャコメッティは継続してこの3点の制作に取り組み、数々の展覧会に出品する。1962年のヴェネチア・ビエンナーレでは完成した3点の石膏像を含む80点あまりの作品が展示され、彫刻部門の大賞を受賞したことで、ジャコメッティの国際的な評価は確固たるものとなった。なかでも巨大な女性立像は目を引いたことだろう。彼が生きていたら苦々しく思っただろうが、2010年のオークションで《歩く男Ⅰ》のブロンズ像が当時の史上最高額の94億円で落札されたことは記憶に新しい。
ジャコメッティの代名詞となった細長い人物像は、細部をそぎ落とされて記号化されたアイコンとして、一度目にしたら忘れられない強さを放っている。しかしながら、それは彼の彫刻が持つ豊かさの一面にすぎない。その像の前に立ち、じっくりと向き合えば、手の痕跡である無数の凹凸がその表面に刻まれていることに気づくだろう。指やナイフの跡が残るでこぼことした表面に視線を巡らせていると、ブロンズであるのに、非常に脆い存在を前にしているような感覚に陥る。また、近くに立っていても非常に遠くにあるような錯覚も起きる。峻厳であると同時に儚いジャコメッティの彫像は、作家がとらえようとした人間存在そのものを反映しているかのようだ。
同展に出品されているもっとも初期の作品である《棒に支えられた頭部》(1947)は、ある2人の人物の死の追憶から生まれた。1946年12月、雑誌『ラビリンス』に寄せた「夢・スフィンクス楼・Tの死」という謎めいた文章のなかでジャコメッティは、オランダ人の隣人Tと、かつてチロル地方を共に旅したヴァン・Mの死について克明に描写しているが、死に際して彼らの頭はのけぞり、口が開いていたという点で共通している。そして、Tの死を目の当たりにして抱いた、無に等しいオブジェとなった頭への恐怖を、ジャコメッティは生きている人々に対しても見出す。生きていると同時に死んでいる対象、時間や空間との関係を失い、絶対的な不動性のなかで凍りついた人間や物、それこそ、ジャコメッティが苦心しながらデッサンや彫刻でとらえようとした存在の核心である。
この体験ののち、1948年にジャコメッティは初めて細長い彫像を発表する。《3人の歩く男たち》はこの年の制作で、歩くという動作を表現しているにもかかわらず不動性を宿している。《ヴェネツィアの女Ⅲ》(1956)は、同年のヴェネチア・ビエンナーレのために制作された女性立像のうちの1点だ。こうした全身像はもっぱら記憶をもとに制作されており、女性は直立し、男性は歩く姿で表された。そして、最晩年のジャコメッティのモデルをつとめたルーマニア出身の写真家エリ・ロタールの彫像も3点出品されている。肩から上の《男の頭部(ロタールⅠ)》(1964-65頃)、腰から上の《男の胸像(ロタールⅡ)》(1964-65頃)、膝までを象った《座る男の胸像(ロタールⅢ)》(1965頃)は、いずれも頭部はモデルの顔に肉薄しているのに対して、肩から下の形は崩れ、凹凸は深く、あたかも作家の故郷スタンパにそびえるアルプスの山肌を思わせる。パリで暮らすようになってからも毎年のように母の待つスタンパに帰っていたジャコメッティにとっての原風景が、目の前のモデルに重ね合わされたのかもしれない。
これらの作品が配置された会場にも目を向けてみよう。ジャコメッティの絵画を思わせるグレーとオレンジで構成された会場デザインは、パリに拠点を置き、数々の美術館や博物館の改築や空間設計を手がけてきたジャン=フランソワ・ボダン率いる建築事務所によるものだ。やや宙に浮いたように見える台座のデザインは、作品の力強さと儚さを引き立てている。壁面には、イポリット=マンドロン通りの小さなアトリエで塑像やデッサンに没頭する作家の写真が大きく引き伸ばされており、雑然としたアトリエの雰囲気と、制作の緊張感が伝わってくる。これら2枚の写真は、いずれもスイス出身の女性写真家サビーヌ・ヴァイスが撮影したもので、会場の奥には、無数の瓶と自作に囲まれて佇む作家を写したモダンプリントも1点展示されている。また、壁で仕切られた別の部屋では、エルンスト・シャイデガーとペーター・ミュンガーによるジャコメッティのドキュメンタリー映画が上映されており、会場にはスイス南東部訛りのフランス語で話す彼の明朗闊達な声が時折響いていた。
ところで、ジャコメッティにまつわるものとしては、作品だけでなく、『エクリ』(矢内原伊作・宇佐見英治・吉田加南子共訳、みすず書房、1994)に収められた作家の文章や日記、インタビューをはじめ、ブラッサイやアンリ・カルティエ=ブレッソンといった写真家たちによる数々の写真や映像、長時間モデルを務めた矢内原伊作やジェームズ・ロードらの証言が残っている。また、妻アネットにより、作家の死後も保存されたアトリエの壁のデッサンや石膏像、家具、画材は、現在パリ14区のアンスティチュ・ジャコメッティで公開されている。そこには、ジャコメッティを天才芸術家として神話化し、作品に唯一無二の価値を付与するのではなく、苦悩と逡巡に満ちた生=制作の時間を、終わることのないプロセスとしてそのまま残したいという作家や周囲の人々の欲望が働いているように思われる。この度の展覧会では、洗練されていながらも作家の生の気配に満ちた空間で、作品を見つめ、会場を歩き、作家の声を聴きながら、その思考や制作のプロセスを追体験することができた。1966年にジャコメッティがスイスの病院で息を引きとってから半世紀あまり、どんな人間にも平等に訪れる死を正面から見つめ続けた彼の生きた軌跡が色あせることはない。
ALL Photos: Fondation Louis Vuitton, Paris © Succession Alberto Giacometti / Adagp, Paris 2023
Photo credits: © Jérémie Souteyrat / Louis Vuitton